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レーヴの海で逢いましょう  作者: 神連 カズサ
第3章、星に祈るとき
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十五、言の葉を紡ぎ、星を編む


 こんなに胸が高鳴ったのは、いつ振りだろうか。

 兄のオーランが大きな獲物を一人で取ってきたのを聞いて家を飛び出したときか、ヴェレに買ってもらった魔導書のページを初めて捲ったとき以来かもしれない。

 ふんふん、と鼻息荒く書棚を見上げる少年の後ろ姿に、ヴェレは小さくため息を漏らした。


「いいですか、坊や。私はクラレットの部屋で書類仕事をしていますから」

「分かってるって!! 朝から何度も聞いたよ!!」

「……魔法を試したくなったら?」

「必ず庭に出てから、試す!!」

「よろしい」


 ヴェレの声も既に遠くなっているのだろう。

 こちらに一度も視線を向けないシトラスにどこか寂しさを覚えながら、ヴェレは客室へと引き上げることにした。


「どれから読もうかな~~!!」


 クラレットの病状もすっかり落ち着いた今、シトラスを縛るものは何もない。

 心置きなく魔導書を読める喜びに少年は、身も心も文字通り打ち震えていた。


「……坊には、これが良いと思うがの」


 突如、頭上から降ってきた声にシトラスはハッと息を呑んだ。

 今までどこに行っていたのか、この二日ほど姿を見ていなかったフラーが、空中でふわふわと漂っている。


「フラー!! すごい!! 浮遊魔法使えるの!?」

「おうとも。《乙女座(ユングフラウ)》では基本中の基本じゃぞ」

「いいなあ~~! 僕にも出来るかな……!」

「どうだろうな。やってみるか? その前に、この本を読んでみろ。今の坊に必要なことが書いてあるはずじゃ」


 ほれ、と勧められた魔導書を受け取れば、それはシトラスが敬愛して止まない《ロッツォ式》の魔導書だった。

 中には攻撃魔法の組み立て理論と、短縮詠唱などが事細かに記されている。


「前に一度読んだことあるけど、今読むとまた違う風に感じる」

「ほお?」

「ここ、前は意味が分からなかったんだ。でも、詠唱しないと発動できない魔法もあるし」

「そうじゃの。だが、お前さんに詠唱魔法はちと不向きかもしれんぞ」

「どうして? 《水球》や《煌潮》は問題なく使えたよ?」

「……それらは真の詠唱魔法ではない。古から伝わる《詠唱魔法》とは、また別――見せた方が早いかの」


 フラーはそう言って、片眉を持ち上げると開け放たれた扉から中庭の方へと飛び立ってしまった。

 ついてこい、と言うことなのだろう。

 シトラスは魔導書を持ったまま、慌てて彼女の後を追いかけた。


「先にお主らが詠唱魔法と呼ぶものを見せよう」


 フラーが短く息を吐き出す。


「歌うは綻び、切り裂くは風――《烈風(アイラ)》」


――豪。


 一陣の風が巻き起こり、空間を切り裂いた。

 何もないところに放たれたおかげで被害はなかったが、これが建造物や人に当たっていたときのことを考えるとシトラスはゾッとした。


「次に我ら《乙女座》が《詠唱魔法》と呼んでいるものじゃな」


 フラーが両手を組んで、ゆっくりと瞼を閉じた。


「清き焔よ、束の間の闇を祓い、魂に光を織り成せ――《浄焔(カリスティア)》」


 フラーの詠唱に反応して、大気中を漂う星の魔力が彼女の身体へと引き寄せられていくのが分かった。

 先ほどの魔法が微風に感じるほどの熱気が、フラーを覆ったかと思うと、地面を引き摺るほど長い髪が、豊かに唸りを上げる。


「すごい……ッ! どうやったの!!」

「言葉に息吹を吹き込んだだけさね」

「言葉に息吹?」

「意味を知らずとも、魔法は発動できる。だが、その意味を解して詠唱すれば、魔法は真の力を発揮する、というわけじゃ」


 聞き慣れない単語に、シトラスは瞬きを繰り返した。

 親鳥を慕う雛鳥が如く、自身へと駆け寄ってきた少年に、フラーは眦を和らげながら小さく頷きを返す。


「坊は、詠唱に使われている言葉の意味をどこまで理解しておるのかの」

「何かこう火魔法っぽいなあとか、これは水のことかなあとか、字の雰囲気で判断しているかな……」

「ほう? その歳で元素魔法を扱えるか……。大したもんじゃな」

「でも、僕、自力で発動できるのは炎魔法までで……。刻印の方が得意なんだ」

「二式まで使えるなら問題あるまいて。刻印魔法が得意なら、自分に刻めば良いではないか」

「無理だよ。僕はヴェレやハカリたちと違って《祝福持ち》じゃないもの」

「《祝福持ち》? 何じゃ、それは」


 今度はフラーが瞬きを繰り返す番だった。

 長い睫毛を忙しなく動かす彼女に、シトラスが「知らないの?」と小首を傾げる。


「刻印を二つ持っている人のことだよ。普通は一人に一つなんだって」


 僕も最果ての街で教えてもらったばかりなんだけど、と頬を掻きながら、眉尻を下げたシトラスに、フラーが無言のまま口元に手を添えた。


「どこかで伝聞が変わったのか。そうでなければ、そんなふざけた言い回しが出来るはずもない……」

「え?」

「…………すまん、独り言じゃ。なるほどのう。じゃが、武具には刻印が刻めるはずじゃろ?」

「う、うん。僕もよくヴェレの剣に刻むけど」

「ならば、身体を武具と思えば良い」

「!?」

「何、発想の転換じゃ。見ておれ」


 フラーはそう言って楽しそうに口元を綻ばせると、再び両手を組んだ。

 先ほどから、彼女が詠唱する際に見せるその仕草に、シトラスの口から「それも《詠唱》に必要なポーズなの?」と言葉が溢れる。


「そうさのう。昔は星の魔力に祈りを捧げ、その恩恵を授かる――《魔法》という言葉がまだ無かった時代は《祈祷》と呼ばれておったから、その名残じゃ」

「へえ……」

「わしはこの方が魔法の威力が増す気がするで、やっとるだけじゃよ。お主は別にせんでも、」

「ううん! 僕も今度から、それやってみる!」

「そうかえ」


 真夏の太陽を彷彿とさせる弾けんばかりの笑顔に、フラーも釣られて笑みを浮かべた。

 そして、気を取り直すように短く呼吸を繰り返すと、組んだ両手を口元に持っていき、軽く口付けを落とす。


「我が腕は、邪なるものを屠る光の剣。聖なるかな、星なるかな。我が身に宿りて、敵を穿て――《煌聖剣(エレオノール)》」


 詠唱の途中からでも、この魔法が他とは異なることがシトラスには分かった。

 フラーの声に合わせて、彼女の両腕が眩く光り始めたのである。

 そして、詠唱を終える頃には、星の魔力が腕に絡みつき、光の粒が刃の形を模っていた。


 それは、まるで流星が落ちてきたかのような――きらめく星々が織りなす美しい閃光を宿した剣だった。


「どうじゃ? 坊にはこれが、どう見える?」

「光の剣、かな? いや、星の剣って言った方がしっくり来るかも……」

「ああ、そうじゃな。だが、これは剣に非ず」

「どういう意味?」

「実態を持っとらん幻想の剣(ただの見せかけ)じゃ。わしがこうあれば良いなと思った形に、星の魔力が合わせてくれておる」

「そんなこと出来るの!?」

「応とも。《詠唱》の本質を理解できればな」


 シトラスは、自分が知っていた魔法はほんの一部、それどころか一欠片にも過ぎなかったということをまざまざと思い知らされた。

 フラーの手の中で踊る星の魔力に、鼓動が速くなる。


「お、教えてくれる?」


 興奮のあまり声が上擦った少年に、フラーはにんまりと深い笑みを返した。


「もちろんじゃ。《星の声》が聞こえる人間は、多い方がええからの」


 やったーと叫んだシトラスの声に、ヴェレは思わず階下を覗き込んだ。

 フラーの手を取って、その場で嬉しそうにステップを踏むシトラスが見える。


「……珍しい組み合わせですね」


 ぽつり、と呟いたヴェレの声は、ぬるい風に絡め取られ、二人には届かなかった。


 ◇ ◇ ◇


 六つ星を迎えると、この街は静寂に包まれる。

 普段暮らしているリゲルと打って変わって、穏やかに流れていく星に、ヴェレは苦笑を噛み殺した。


「こんなに静かだと落ち着きません」

「…………いつもは、喧しいくらいだからね」

「――姉さん!」


 窓枠に手を付いていたヴェレは、聞こえてきた声に慌ててベッドへと駆け寄った。

 クラレットが居心地悪そうな顔をして「よぉ」と片手を持ち上げている。


「全く! 無茶をして!! アンタレスの毒を飲むなんて、正気じゃありませんよ!!」

「悪かったって。寝起きなんだ。お説教なら、もう少し小さな声で頼むよ」


 クラレットはそう言って、ゆっくりと身体を起こそうとした。

 だが、数日間は寝たきりが続いていた所為か、上手く身体に力が入らず、再びベッドに逆戻りする。

 そんな姉の様子に、ヴェレは深いため息を吐き出すと、そっと彼女の背に手を差し入れ、起きるのを手伝ってやった。


「そういや、ここはどこだい?」

「カイザールという《天秤座(リブラ)》の街です。ここは、その、ハカリのご実家だそうで、」

「へえ~~。まあ、坊ちゃんって感じの見た目してるもんな」


 あいつ、とクラレットがおかしそうに肩を震わせる。

 寝起きとは思えない、相変わらずの口の悪さにヴェレは口元をひくつかせた。


「それで? 身体の調子はどうなんです?」

「ん~、ちょっと怠い感じはするけど、痛むところはないぜ」

「そうですか。それなら良かった」

「何? もしかして、心配してくれた?」


 冗談混じりに細められた金色の瞳に、ヴェレの喉がぐっと音を鳴らした。


「……しますとも。あなたが居ないと書類仕事が溜まって仕方ないんです」

「かわいくねえの」

「それはどうも」

「ばぁか、褒めてねえよ」


 クラレットがくつくつと笑い声を上げながら、ヴェレの髪を乱暴に撫で回す。

 次いで、いつもは一緒にいる相棒の姿が見えないことに、小首を傾げた。


「そう言や、シトラスはどうした? いくらあいつでも、まだ寝るには早いだろう」

「こちらへ」

「あ?」


 ヴェレはクラレットの質問には答えず、彼女を窓際まで連れて行った。

 中庭が見下ろせる位置にあるその窓の前には、一対のテーブルセットが置かれてあり、そこへクラレットを座らせる。


「あそこですよ」

「…………何してんだ、あいつ。つーかあの女誰だよ」

「それは、話せば長くなるんですけど。一言で説明するなら、彼女は姉さんの命の恩人の一人です」


 中庭ではシトラスが両手を組んで何事かを唱えていた。

 風に乗って流れてくる声を聞けば、何やら魔法の呪文を唱えているようだが、言い回しが古いものらしく、馴染みがない。

 少年の真向かいに立っていた女性が、不意にこちらを見上げるのが分かった。


 紫の瞳と視線が交差する。


「苦手なタイプかもしれん」

「安心してください。私もです」


 ほとんど間髪入れずに答えたヴェレの言葉に、姉妹はどちらからともなく笑い声を上げた。

 きゃらきゃらと響いてきた声に、フラーは小さく笑みを溢した。

 意識が回復した、ということは、アンタレスの毒を上手く中和できたのだろう。

 こちらを訝しむように見下ろしていた金色の双眸に、そっと安堵のため息を漏らす。


「我が腕に宿るは、雷の咆哮。静寂を裂き、全てを貫く閃雷と化せ――《閃光(ブラストリッツ)》」

 シトラスの詠唱に、大気中の星の魔力が震える。


 だが、それは形を成す前に、ほろほろと崩れ落ちてしまった。

 フラーがやったように腕へ魔法を付与しようとするも、魔力が上手く安定せず、あと一歩のところで崩れてしまうのである。


「ふむ。詠唱は完璧なんじゃが」

「うーん。どうして出来ないんだろう。ちゃんと意味も理解しているつもりなんだけどなあ……」

「坊と雷は相性がええからの。その点は心配ない。だが、ちと魔力が上手く流れとらん気がするのう」

「もう一回やってみるね」


 シトラスは深く息を吸い込むと、緩慢な動作で再び両手を組んだ。

 指先一つ一つにまで意識を研ぎ澄ませ、自身の周りを漂っている星の魔力を感じ取ろうと、瞼を閉ざす。


「我が腕に宿るは、雷の咆哮。静寂を裂き、全てを貫く閃雷と化せ――《閃光》」


 淡い光を放った星の魔力が、シトラスの腕へと集まってくる。

 だが、またしてもそれは雷の輪郭を描くよりも早く、細い糸が千切れるようにバラバラになってしまった。


「ぬあああ! またダメだった!」


 かれこれ一つ星は続けて詠唱を試している所為で、声も魔力もカスカスである。

 ばたり、と力なくその場に背中から倒れ伏してしまったシトラスに、フラーの眉間に深い皺が刻まれた。


「のう、坊」

「な~に~?」

「もしや、と思うが、身体強化として魔法を発動しているんじゃなかろうな」

「え、違うの!?」

「……それじゃなあ」

「嘘だぁ……」


 フラーの苦笑いを真正面から浴びて、シトラスは思わず顔を覆った。


「うああ~……。僕ずっと身体強化として魔法編んでたかもしれない……」

「だから、わしは再三言うたじゃろ。身体としてではなく武具として魔法を刻めと」

「フラーは出来るから簡単にそんなことが言えるんだよぉ」

「おいおい、泣くな泣くな。わしが虐めていると思われるじゃろ」

「虐めてるでしょお」


 遂には泣き出してしまったシトラス少年に、フラーが唇に指を二本添えて《口封(グリュム)》と唱える。

 うえーん、と叫んだシトラスの唇が、縫い付けられたかのようにギュッと見えない手によって押さえ付けられた。


「…………ッ!?(声が出ないッ!?)」

「ちょーっと黙っとれ。今、考えとるんじゃから」

「~~!!」


 シトラスの口を、文字通り黙らせると、フラーは彼の肩にそっと手を置いた。

 歳の割に魔力回路は太いようだが、それも一般人に比べると少し太いと感じるレベルである。


「これは基礎からやらんとダメじゃの。ほれ、今日はもう寝ろ。朝日が無いとどうにも始まらん」

「――――ぷはっ!! え!? どういうこと!!」

「魔力を育てるのは太陽神の光と相場が決まっておる。何じゃ、そんなことも知らんと魔法を使っとったのか?」

「は、初耳~~!!」


 漸く声を取り戻したシトラスの声を聞いて、笑う月が静かに目を細めていた。


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