十八、夜駆ける流星
夜風を浴びたチェルカ草原が、ざわざわと唸る。
ひとつひとつの葉が牙をむくように揺れ、まるで「帰れ」と叫んでいるかのようだ。
耳を刺す草の合唱に、ヴェレは思わず眉間を寄せた。
「余所者が入ってきて、怒っているんだ」
「カイラムに乱暴するからだぞ」
縄でぐるぐる巻きにされた戦士たちが鋭い視線を投げてくる。
……が、その姿では威圧感も半減だ。
「そんな格好で凄まれても、ねえ?」
面白がったクラレットが、彼らの頬や頭をつついて遊ぶ。
ヴェレはそれを横目に、御者席の隣へと移った。
瞬きを繰り返すハカリと目が合う。
「何です、その顔は」
「あ、いや、ヴェレが自分から僕の隣に来るなんて珍しいなと」
「……殺気を感じたので、出てきただけです」
「え!? 殺気!?」
「鈍いのか鋭いのか、どちらかにしていただけません?」
ため息を吐いた、その瞬間――。
空から引き裂くような光が降り、馬車の荷台に流星が突き刺さった。
怯える馬を叱咤し、ハカリが素早く手綱を切る。
ヴェレは幌へ飛び上がった。
白銀の矢は丈夫な布を貫き、触れるより早く空気中の魔力と溶け消える。
「一体どこから……」
「……ふむ。この腕前、《流星の矢》かもしれんな」
「知ってるんですか、フラー」
「《射手座》の中でも最高の射手がそう呼ばれる。《流星の心臓》を担う使い手がの」
フラーの言葉に、ヴェレは鎖骨へと指を這わせた。
刻まれた《歌い手》の重みにはまだ慣れない。
けれど、譲れないものはあった。
「《乙女座》より先に《星送り》を果たすためです。邪魔をするならば、誰であれ容赦しません!」
「ほほ、先代と違って、ずいぶん好戦的な《歌い手》じゃの」
「あら、お嫌いですか?」
「まさか! 弱肉強食こそ世の常よ!」
フラーは笑い、パチンと指を鳴らした。
淡い光の玉がふわりと馬車の周りを照らし出す。
「――《流星の矢》であれば、この程度、仕留められんはずがあるまいな!!」
あからさまな挑発に、全員が同時に頭を抱えた。
「タリク様の射を舐めるな!」
「シャナール様なら、この鈍い馬車なんぞ一息で木端微塵だ!」
騒ぎ始めた戦士たちを、シトラスが覚えたばかりの「口封」で黙らせる。
その隣ではクラレットが大きな欠伸をして、呑気に寝転がっていた。
「マスター? 戦闘中だよ?」
「固いこと言うなよ、坊。これでも一応、病み上がりなんだぜ?」
「だからリゲルに帰った方がいいって言ったのに」
「旅は道連れって言うだろ」
「道連れ拒否されてたじゃん」
はあ、とため息を吐いたシトラス。
ほぼ同時に――第二射が飛んできた。
今度は先ほどの脅しとは違う。
幌を突き破り、床板を貫いた矢の威力に、シトラスは情けない声を上げた。
「ひいっ!?」
矢羽の震える音が耳に残る。
外から差し込む月光が、矢の軌跡を淡く照らしていた。
「全員、伏せて!!」
ヴェレの鋭い声と同時に、もう一本の矢が唸りを上げて飛び込んでくる。
木片が弾け、荷箱が無残に崩れ落ちた。
「……距離を詰められてる!! ハカリ、速度を上げてください!!」
幌は無惨にも引き裂かれ、立っているのがやっとだった。
不安定な足場の上でヴェレは愛刀を構える。
少し離れた見晴らしのいい丘で、何かがきらりと瞬いた。
「シトラス、詠唱の準備を!」
「わ、分かってるけど……あそこから撃ってこの威力!? やばいやばいやばい……!」
あわあわと唇を振るわせながら、シトラスが両手を組む。
フラーに教わった《祈り》のポーズを取ると、自然と心が凪いでいくのが分かった。
ゆっくりと呼吸を繰り返し、呪文を紡ぐ。
「月光よ、鎧となりて、我らを守りたまえ――《月鎧》」
月の紋章がシトラスの額に浮かび上がる。
次いで、馬車を覆い隠すかのように巨大な白銀の盾が姿を現した。
「……これは、」
フラーに師事してからというもの、シトラスの魔法は更に力を増している。
研ぎ澄まされた魔力の心地良さを受け、ヴェレはニッと歯を剥き出して笑った。
「次は防いでみせます!!」
ヴェレの声に呼応するかのように、第三の矢――文字通り矢の雨が馬車へと降り注いだ。
「シャナール様だ!」
感嘆に震える戦士を睨んで黙らせると、ヴェレは間近に迫る白銀の矢に目を窄める。
「この程度であれば、問題ありません」
細い二本の腕に《水刃》の刻印が浮かび上がった。
ぐっと力を込める。
双刀を大きく振りかぶって放たれた水の刃が、唸る矢と真正面から激突した。
衝撃の余波で、馬車が激しく揺れる。
馬たちが蹄を踏み鳴らし、ざわめく草原の音が一層大きく響く。
「ハカリ、左右に回避を!!」
ヴェレの声が闇夜の中に凛と咲いた。
「仰せのままに……!」
ハカリは力強く答えると、手綱を握る手に力を込めた。
真っ直ぐに走るのではなく、時折馬の首を振って、ジグザグに草原を駆け抜ける。
馬車の揺れは、ますます激しさを増した。
幌は完全に破れ、木枠に足を掛けることになったヴェレだったが、その目は獲物を逃すまいと炎を燻らせている。
撃ち漏らした矢の雨はシトラスの《月鎧》が弾き、閃光となって空気中に散らしていく。
けれど、勢いは止まらない。
一体どこから撃っているのか、正確にこちらの頭上を捉えて落ちてくる猛攻にヴェレは舌を巻いた。
「今度はこちらの番ですね」
いつまでも後手に甘んじるほど、気は長くない。
ヴェレの目が鋭く光る。
刻印が腕に青白く浮かび、空気の震えを伴って再び水の刃が姿を見せた。
放たれた水の刃は、矢の軌道に正確に重なり、ぶつかるたびに小さな水煙が弾ける。
次第に矢は弾かれ、雨の勢いが弱まっていった。
その隙を、ヴェレは見逃さなかった。
「シトラス、もう少しだけ踏ん張ってください!! このまま押し返します!!」
シトラスは両手をきつく握り込むと、展開している《月鎧》へと更に魔力を注ぎ込んだ。
月光の盾が輝きを増し、馬車全体を覆い隠す。
白銀の矢の群れが、まるで壁に跳ね返されるように空中で軌道を乱され、草原に散った。
深呼吸一つで落ち着きを取り戻したヴェレが、周囲へと視線を走らせる。
丘の上にあった光は、見えない。
「流石の連射じゃったの」
「……煽っておいて高みの見物とは。随分と良い趣味をされてますね」
幌の天井――もはや幌と呼んでいいものか、悩みどころではある――から、飛び降りたヴェレが呆れたように頭を振った。
「何を言う。わしは坊やの補助に回っておったぞ。おかげでほら」
馬車は無事じゃろ、と幌が朽ち、木枠が剥き出しになった荷台へと降り立ったフラーに、荷台組が白い目を送る。
何はともかく脅威は去った。
ふう、と冷たい汗を拭ったヴェレは、何となしに今まで自分たちが通ってきたチェルカ草原へと視線を遣った。
静けさを取り戻した広大な草原が、風に撫でられて再び唸り声を上げる。
不意に、ざわめきがゆっくりと音を失った。
「――お覚悟を!」
何かが動いた、と思ったときには遅かった。
宵闇の中、間近まで迫った狩人が、ヴェレに向かって飛び込んでくる。
吸い寄せられるように光った白刃に、しまった、と顔を顰めるが、時既に遅い。
かろうじて握ったままだった左手の刀を前に突き出す。
けれど、いつまで経ってもやってこない衝撃に、ヴェレは「え、」と情けない声を漏らした。
何故、自分が御者席に――。
「ハカリ!!」
シトラスの声に、ヴェレはほとんど反射で飛び出した。
「《交刻》が、間に合って良かった」
「何を!!」
「――レディに傷が残ったら、悲しいからね」
脇腹に深々と短刀が突き刺さったまま、片目を瞑ってウィンクを寄越した男に、ヴェレは腑がカッと熱くなった。
「ふざけないで!!」
怒りのまま、ハカリを刺した狩人に刀の柄先を打ち付ける。
ゴッと鈍い音を立て、地面へと崩れ落ちていった狩人を尻目に、ハカリの胸ぐらを掴んだ。
「私は武人です。また戦場で、私のことを女扱いするようなら、真っ先にあなたを殺します」
衝動のまま、不安定な《海の魔力》を纏ったヴェレが、眉間に深い皺を刻んだままハカリを睨み付ける。
青と桜の間で揺れる、その色合いをぼんやりと眺めながら、ハカリは小さく肩を竦めた。
「ごめんね」
「……二度と、勝手な真似しないでください」
すわ、頭突きでも飛んでくるか、と警戒したハカリの予想を裏切るかのように、ヴェレはそのまま彼の肩に額を預けた。
「ばか」と呟いたヴェレの声は、ハカリに届くより先にチェルカ草原の唸りにかき消されてしまった。
◇ ◇ ◇
草原の波を抜けた先に、《射手座》の居住地はあった。
岩山を背に黒漆で塗り固められた砦が見える。
張り詰めた弓弦の音が、ヴェレたちを出迎えた。
「随分と熱烈な歓迎だな」
「姉さん……」
「何だよ。事実だろ」
《射手座》の戦士たちの構えた矢尻が、月光を浴びて白銀に光る。
皆、一様に険しい表情でこちらを睨んでおり、とても話し合いが通じる相手には見えない。
何より、向けられた矢の冷たさに、肌と言わず、全身がひりつくような感覚に陥った。
「下がれ」
中央に立っていた指揮官――矢羽飾りを頭に付けた大男である――が、右手を上げると、草原が割れるように戦士たちが一斉に一歩後ろへ下がった。
ギルド連盟の正規軍よりも洗練された動きに、それまで軽口を叩いていたヴェレとクラレットの目がスッと細くなる。
統率の取れた武人ほど厄介なものはない。
自然と武器に手を伸ばした二人に、指揮官がくっと喉を鳴らした。
「止せ。エルナトの娘たち。私は戦いに来たわけではない」
「!?」
エルナトは二人を育てた先代マスターの名だった。
突然持ち出された懐かしい養父の名に、クラレットが険しい表情で男を睨んだ。
「アンタ、義父と知り合いなのか」
「《流星の矢》と言えば、思い出してくれるか?」
え、と声を漏らしたのはクラレットだけではない。
その場に居た全員が口を半開きにしたまま固まった。
「……何じゃ、アストラ。主はまだ《流星の矢》を務めとるのか。《射手座》は余程、後継に飢えとるらしいの」
いつから浮かんでいたのか、またしてもフラーが面白くなさそうな顔をして空から指揮官を見つめていた。
「導師様もお元気そうで安心いたしました」
「おかげさまでな」
そう言って、フラーはヴェレたちの頭上近くまで降りてきた。
未だ固まったままの彼らに「どうした」と声を掛けると、古びた機械人形のようにぎぎぎ、と首をこちらに回した弟子と視線が絡む。
「《流星の矢》って、あの《流星の矢》?」
「ふむ。どの《流星の矢》の話か、わしには分からんのじゃが」
「《星影の動乱》を平定したっていう、」
「ああ、それならそこに立っておる、いけ好かん大男の仕業であっとるぞ」
一同はフラーと指揮官との間で視線を行ったり来たりさせた。
《星影の動乱》といえば、十二部族全体を巻き込んだ大規模な戦争である。
それを収めたのが《星断つ斧》エルナトと《流星の矢》アストラガルと言われていた。
「アストラガル様、でいらっしゃる?」
恐々と挙手しながら、クラレットが彼に尋ねる。
「いかにも」
その返答に、もれなく全員が悲鳴を上げた。
救済の英雄が、眼前に立っているのだ。
これで興奮するな、と言う方が無理な話だった。
「……そこの戦士たちを返してもらいたいのだが、」
アストラガルの視線が、縄で縛られた戦士たちへと注がれる。
「返してやっても良いが条件がある」
「と、言いますと?」
「《流星の心臓》について聞きたいことがある」
フラーがアストラガルの前に一歩躍り出た。
長身痩躯のフラーとがたいの良い大男であるアストラガルが並び立つと、宛ら《星獣》の縄張り争いを見守っているような気分だった。
「各地で《乙女座》が何かしていることと関係があるのですね」
「主は察しが良くて助かるの」
にやり、と不敵な笑みを浮かべたフラーに、アストラガルは蟀谷を押さえた。
「…………良いでしょう。里へご案内いたします」
苦渋の決断と表情で色濃く語りながら、救済の英雄は一行を砦の中へと招き入れるのだった。




