九話 混沌
翌日の放課後。五人そろって、ガイウス教官の部屋に呼び出された。
壁には古い剣が何本も掛けられ、机には書類が山積みになっている。教官は、腕を組んで俺たちを見渡した。
「私たち、何か悪いことしました……?」
「ルーヴェル、落ち着いてください。たぶん、違います」
ノエルが小声でなだめる。
「今日呼んだのは、先日の課題の件だ」
教官が、重い声で切り出した。
「まず、礼と詫びを言わねばならん。C級とB級の魔獣が、課題の森に出た。本来、あり得んことだ。しかも、お前たちはそれを、全員無事に討伐した」
誰も、何も言えなかった。
「その報酬と詫びとして、月末の筆記試験に、お前たち五人は二十点を加算する。学長の許可も取ってある」
「二十点!? 神か!」
「やったー! ノエル、聞いた!? 二十点だよ、二十点!」
「それと、もう一つ」
教官の声が、一段と低くなった。
「あの魔獣を放った者だが、見当はついている。調べは、私と学長で進める。お前たちは、気にするな。任せておけ」
「見当、ですか」
「ああ。今は、それ以上は言えん。話は以上だ。ミナ、ノエル、セラは戻っていい。エルドとバルトは、残れ」
「えっ、なんで二人だけ?」
「ルーヴェル、行きましょう」
ノエルが、何かを察したように、ミナの腕を引いた。セラが、扉の前で一度だけ振り返る。その目が、俺たちに、「大丈夫」と言っていた。
扉が閉まると、教官が早速口を開いた。
「単刀直入に言おう」
教官は、椅子に腰を下ろして、俺たちを真っ直ぐに見た。
「お前たちが使っているのは、断線流だな」
隣で、バルトが息をのむのが分かった。
「やはり、か」
教官は、深く息を吐いた。
「最初に木剣を受けた日から、そうではないかと思っていた。だが、あの場で口にすれば、生徒たちに知れる。だから、黙っていた」
「教官は、断線流を、ご存じなんですか?」
「噂程度にな」
教官は、腕を組んだ。
「誰に教わったのかは、聞かん。聞けば、私にも責任が生じる。……だが、一つだけ、忠告させてもらう」
重苦しい雰囲気が部屋中に蔓延する。
「断線流の使い手が見つかれば、王族が動く。お前たちを、殺しにかかる」
場が静まり返った。
「理由は、私にも分からん。だが、昔、そうやって消えていった者がいたと聞いている。……だから、使うな。少なくとも、人前では」
「でも、断線流がなかったら、俺たちは……」
「完全に捨てろとは言わん。ただ、見せるな。人に見られるな」
教官が、俺たちの目を、順に見た。
「できる助言は、それだけだ」
☆
翌日の昼下がり。理事室で書類をめくっていたドルフの手が、ノックの音で止まった。
「ドルフ理事、少しよろしいですかな」
扉の向こうにいたのは、ガイウス教官だった。日に焼けた顔に、額の線が二本。腕を組んだまま、いつもの調子で立っている。
「教官か。私は忙しいのだが」
「すぐ済みます。昨日の課題の件で、二、三お聞きしたいだけです」
断る理由が見つからず、ドルフは眼鏡を押し上げて、向かいの椅子を示した。
「ミストラの森に、C級とB級の魔獣が出ました。ご存じのとおり、本来あり得んことです」
「ああ、聞いている。まったく、恐ろしい話だ」
「魔獣管理庫の記録を確認しました。檻が二つなくなっていました」
ドルフの心臓が、わずかに跳ねる。
「……それが、どうかしたのかね」
「あの庫の鍵を持てるのは、理事の方々のみです。昨日、どなたが庫に入られたか、ご存じではありませんか」
「知るはずがなかろう! 私は昨日、一日中この部屋にいた」
声が、思ったより高く出た。ドルフは咳払いで誤魔化したが、額に滲んだ汗は隠せない。袖口で拭った拍子に、視線が、机の引き出しへ流れた。
ガイウスは、何を言わず、それを見ていた。
「そうですか。……では、そのままを学長にご報告いたします。理事は一日中こちらにおられた、と」
「ま、待ちたまえ! 報告など、大げさだ。ただの事故かもしれんではないか。わざわざ学長の耳に入れるほどのことでは」
「事故で、檻が二つもなくなるものですかな」
ドルフは、口を開いて、閉じた。
言葉が、どこにも見つからない。
「お時間をいただき、感謝します」
ガイウスは一礼して、扉へ向かった。ドアノブに手をかけたところで、ふと、振り返る。
「ああ、そうだ。学長はエルド君とバルト君を妙に気にかけている。変なマネしないほうが身のためですよ」
扉が閉まった。
残された部屋で、ドルフは、しばらく動けなかった。
やがて、震える手が、引き出しに伸びる。鍵は、確かにそこにあった。昨日のまま。何も変わっていない。
勢いよく机を叩く音が、部屋の中にこだました。
☆
寮の部屋に戻ると、バルトはベッドに倒れ込んで、天井を睨んだ。
「使うなって言われてもよ。使わなきゃ、勝てねえじゃん」
「まあな」
「王族が、俺たちを殺しにくる、か。なんだよそれ、笑えねえ」
「……」
「だって王族ってとんでもない魔力量なんだろ? いくらなんでも勝てっこないぞ」
俺は、窓際に立って、夜の庭を見下ろした。
あの人は、オズは、知っていたのだろうか。この剣を持つことが、どれほど危険かを。
「……見られなければいい」
俺は、呟いた。
「そうは言ってもどこで誰が見てるかわかんねえじゃん」
「いや、見られても、断線流だと分からなければいい」
「どういうことだ?」
「別の流派に、見せるんだ」
振り返ると、バルトが体を起こして、目を丸くしていた。
「オズの剣を土台にして、俺たち自身の剣を作る。断線流の動きを、俺たちの動きに、溶かし込むんだ」
「……自分たちだけの、流派か」
「ああ」
「お前が叩いて、俺が見る。二人でやるやつ、とか?」
「それも、悪くない」
バルトが、にっと笑った。
「面白えじゃねえか。やろうぜ! かっけえ名前つけてよ!」
「名前は、あとだ」
「えー、そこが一番大事だろ!」
笑い声が、夜の部屋に響いた。
だが、その笑いの奥で、俺は思っていた。
王族が、断線流を排除する理由。
線の秘密。
俺たちは、確実に何かに触れている。
☆
模擬戦まで、あと一週間。
食堂の隅の席は、いつの間にか、六人掛けになっていた。
「だから、なんであんたがここにいるのよ!」
「いいだろう別に! 席が空いてたんだ!」
「他にも空いてるでしょ!」
「うるさい! ここが一番近かっただけだ!」
ミナとゲイルが、また言い合っている。ガミガミと言い合いながら、二人とも、妙に楽しそうだ。
いつの間に、ここが定位置になったんだ?
黙ってパンをちぎる。取り巻きの二人とは縁を切ったのか、ゲイルは毎日のようにこの席に座るようになった。机の落書きも、舌打ちも、もうない。
ちなみに、「平民」と彫られた俺の机は、ゲイルが魔術で直してくれた。
ゲイルには断線流の話を詳しくはしていないが、魔術を消したことについては口外しないでくれと、厳しく口止めをしておいた。
「お前ら、ほんと仲いいな」
「よくない!」
「よくないわよ!」
バルトの一言に、二人の声が、きれいに重なった。
「息ぴったりじゃないですか」
「ノエル!」
「ノエルまで!」
セラが、湯気の向こうで、声を殺して笑っていた。
「……で、だ」
ゲイルが咳払いをして、声をひそめる。
「お前ら、こんな噂、知ってるか」
「噂?」
「最近、貴族寮の廊下を、深夜に人影が歩いてるらしい」
スープを運ぶ手が、止まった。
「え、何それ、怖い……」
ミナが、隣のセラの腕にしがみつく。
「……重い、です」
「だって怖いんだもん!」
「幽霊じゃね?」
「バルト君、非科学的です。誰かの悪戯でしょう」
「いや」
ゲイルが、首を横に振る。
「見たやつが言うには、黒いマントを羽織って、手に何か持ってたって。ずっと、特定の部屋の前をうろついてたらしい」
「ゲイル、お前は見たのか?」
気になってゲイルに聞いてみる。
「見てない! 聞いただけだ! 僕は、断じて、見ていない!」
やけに力強い否定だった。
さては怖いんだな。
口には出さなかった。
☆
「エルド、今日の朝飯なんだろうな!」
「先週のこの日は、玉ねぎのスープと、魚と、あとなんだっけ」
「なんだったかなー……」
「いやああああ!」
翌朝、食堂へ向かう途中で、突然女性の悲鳴が聞こえた。
声がした方を見てみると、貴族寮の前に、人だかりができている。
「何だ?」
「行ってみようぜ!」
バルトと一緒に行ってみると、その中心に、一人の女子生徒が座り込んでいた。
亜麻色の髪を乱し、両手で顔を覆って、肩を震わせている。制服は、寝間着の上に急いで学生服を羽織ったままだった。
「フィオナ、落ち着いて!」
「見せなさい。顔を見せなさい!」
女性教師が、女子生徒の手を、そっとのける。
その額を見て、俺達は息をのんだ。
「うそ……だろ……」
生まれてからなんども見てきた、だが、この学園に来てからは一度も……
――三本の線。
彼女の額には新しく一本の線が足されていた。
一番下の一本だけ、墨の色が、ほかより黒く、にじんだ跡が、まだ生々しく残っていた。
「うそ、でしょ……!」
「あの子、二本線だったよな?」
「三年の、フィオナ・ベルトランよ。下級貴族の……」
ざわめきが、波のように広がる。
「朝、目が覚めたら、額が、ずきずきして……」
少女が泣きながら、掌を前に出した。
「魔術が……出ないの。どうして、出ないの。昨日までは、出たのに……! このままじゃ、学園から追放されちゃう!」
その指には、ひとかけらの光も、灯らなかった。
線が、足された。
生まれて七日目に、線師だけが引くはずの線が。一生消えないはずの線が、一晩のうちに、増やされた。
「……そんなことが」
「エルド君、バルト君!」
背後から、ノエルの声がした。いつもの冷静さが、全くもって見られず、焦っている。
「逃げましょう! いま君たちが犯人だってみんな大騒ぎしています!」
「「はああ!!??」」




