十話 祝福の光
ノエルに連れてこられた先は誰もいない、裏庭だった。
「ノエル! どういうことだよ! 俺たちが犯人って!」
「みんな、あの新しく来た平民が嫉妬でやったことに違いないって」
「まあ、おちつけバルト。なあノエル、そもそも線を増やすことは可能なのか?」
「……不可能なはずなんです」
「不可能?」
「線師が、生まれて七日目に引いた線は絶対です。そのあとで誰かが線を引こうとしても、元の線に弾かれて、すぐに消えてしまう。だから、後から線を引く手段は、存在しません」
「でも、現にあの先輩は」
「……ええ。だから、おかしいんです」
ノエルが、下唇を噛む。
「……一つ噂を聞いたことがあります」
「噂?」
「違法線師と呼ばれる存在です」
隣にいたゲイルの顔が、真っ青になっていた。
「どうやって線を書いているか、なぜそれをするのか、何もかも解明できていないし、誰も見たことすらない。ですから、都市伝説として、あるだけです……」
「じゃ、じゃあ、昨日ゲイルが言ってたあの人影が!?」
「わかりません……」
洗っても、削っても、消えない線。
それを、足せる者がいる。
俺は、自分の額に、無意識に触れていた。
「とにかく、お二人は今日は部屋からでないでください。先生には僕から体調不良だと伝えておきます」
☆
その後、寮の部屋で、バルトがふと言った。
「なあ、エルド。あのフィオナって先輩、昨日まで魔術が使えたんだよな」
「ああ、そうらしいな」
「線が一本増えただけで、使えなくなった」
「……」
俺は、『魔術基礎論 上巻』に書いてあった内容を思い出しながら話し始める。
「この前セラに見せてもらった本には、魔力量は生まれつき決まっていて、増えも減りもしない、と書いてあった」
「ってことは、フィオナ先輩の魔力量は、変わってねえはずだよな」
「変わっていないのに、魔術は出なくなった。つまり、魔力が足りなくなったわけじゃない。もしかして、……線が、魔術を使わせてない?」
言葉にした瞬間、ぞっとした。
「俺たちが魔術を使えないのは、平民だからじゃなくて、三本線だからってことか?」
バルトが、自分の額に指を当てた。
「もしこの線がなかったら、俺たちも……」
「分からない」
――身分と魔力量が、なぜここまで一致するのかは、いまだ解明されていない。
あの本の一文が脳裏をよぎった。
もし、この仮説が正しいなら……
「世界の秩序が、崩壊する」
窓の外で、風が、木々を揺らした。
☆
同日の夜。王城の奥深く、その一室で。
天井まで届く大きな窓から、月明かりが差し込んでいた。床には深紅の絨毯が敷き詰められ、金の燭台には、灯が揺らめいている。壁を飾る絵画だけで、家が何軒も買えるだろう。
その部屋の中央に、一人の青年が立っていた。
肩まで届く金髪。宝石の装飾が縫い込まれた礼装。肩から垂れる、赤いマント。額には、何もない。線のない、無印の額。
「――今、何と言った」
足元にひざまずいた従者が、額を絨毯にすりつけたまま、震える声で繰り返す。
「王立リネア学園にて……二本線の女生徒の額に、三本目の線が確認されました。魔術は、完全に失われたと」
青年の手の中で、ガラスの杯が、ぴしりと音を立てて、ひびが入った。
「あり得ぬ!」
怒声とともに杯が砕けた。破片が、絨毯に散る。
「殿下……非常に言いにくいのですが、学園中に、すでに噂が広がり始めております。ご覧になった生徒が、多数……」
青年の瞳が、冷たく光った。
「まずいな」
窓ガラスが、びりびりと震え、部屋中の灯が、一斉に揺れた。
「線の意味……それに気づく者が出る。まだやつらの残党が生きていたというのか!!」
「殿下、どうか怒りをお収めください……」
「鎮められるか!」
怒号が、空気を裂いた。
「民が、あの線の意味を知れば、この国は崩壊する。秩序が乱れ、反乱が起こる。余の代で、それを許すわけにはいかない!!」
青年は、ぎりぎり、と歯を食いしばった。
「やつらの捜索はもうやっているよな」
「はい。ノワール家に任せております」
「よい……線が増えたその女生徒はいまどこにいる」
「近衛が、すでに確保しております」
「余が着くまでは、生かしておけ。何が起きたのか、調べねばならん。……調べ終えたら、始末しろ」
「……は」
青年が、赤いマントを翻す。
大きな窓から外を見渡し、熟考する。
「……馬車を出せ。今すぐ、リネア学園へ向かう」
「今すぐ、でございますか? 夜通し走っても、着くのは明朝に……」
「構わん。あと、もう一つ」
青年が振り返る。その目に、感情はなかった。
「王家の秘技を使う」
「それは……!」
青年が、扉を押し開ける。
「明日、全校生徒を、一箇所に集めろ。夜が明ける前に、準備を整えておけ」
「かしこまりました」
赤いマントが、廊下に吸い込まれていった。
☆
翌朝。
突然、学園中に、魔術で拡声された声が鳴り響いた。
『全生徒、並びに教職員に告ぐ。直ちに、大講堂に集合せよ。繰り返す。直ちに、大講堂に集合せよ』
「何だ今の? 今どこから声した?」
バルトがキョロキョロと天井を見まわす。
寮の廊下に、生徒たちがあふれ出す。誰もが、不安そうに顔を見合わせていた。
「バルト、俺たちもいくか」
大講堂の場所はわからなかったが、人の波に身を任せていくと、無事到着した。
押しつぶされそうなほど人が多く、誰かと肩がぶつかるたびに、平民が、と舌打ちされたが、俺もバルトも、まったく動じないほどには慣れていた。
大講堂は、全校生徒でぎっしりと埋まっていた。一組から五組、一年生から三年生まで。教師たちが壁際に整列し、壇の脇には、学長の姿もあった。
「エルド君、バルト君、こっちです!」
ノエルが手招きして、俺たちを五組の列に引き入れる。
「いまから何が始まるんだ? 恒例行事かなんかか?」
バルトが不思議そうに尋ねる。
「それが……分かりません」
ふと、フィオナ先輩の、昨日泣き崩れていた姿が、頭に浮かぶ。
そのとき、重い扉が、音を立てて開いた。
空気が、変わった。
数名の側近を従えて、一人の青年が、ゆっくりと壇上へ歩いてくる。
背が高く、肩まで届く金髪が、窓からの光を受けて、まばゆく輝いていた。
身に纏う白の礼装には、金色の刺繍と宝石の装飾が、びっしりと縫い込まれている。背には、燃えるように赤いマント。
額には、何もなかった。
「……王族だ」
誰かが、掠れた声で呟いた。
ザワザワと困惑の波が広がっていく。
「王族!? エルドこれどういうことだよ!」
もしかして、俺たちを殺しに来たのか?
教官の助言が脳をよぎるが、いくらなんでも早すぎる。他になにか目的が……
「皆の者! こちらは現国王ゼルファリオン・グランディア・レグナードのご子息、ルシエル・グランディア・レグナード王子である!」
突然、王族の横にいた側近が声を荒げた。
「エルド君、バルト君、膝をついてください!」
全生徒が、一斉に膝をつく。俺たちも、慌てて倣った。
「……面を上げなさい」
王子が、穏やかに言った。よく通る、耳に心地よい声だった。
「突然の訪問を、許してほしい。王家の者として、諸君の学び舎を案じて参った」
真紅のマントを身に纏うその姿は、誰もが見るだけで圧倒されるほどだった。
これが王族……俺とはかけ離れた存在。
「昨日、この学園で、小さな騒ぎがあったと聞いた。だが、心配はいらない。諸君は、何も気に病む必要はない」
やはりフィオナ先輩の件か。
小さな騒ぎと言っているが、王族まで関わってくるとなると、相当重大って言ってるようなものだ。
おもむろに王子が、右手をゆっくりと掲げる。
「まずは諸君らに祝福を授けよう」
掌から、金色の光が溢れ出した。
光は天井へ広がり、大講堂全体を、薄い膜のように覆っていく。
星のように散りばめられたその光はすべての人を惹きつけた。
「……ッ!」
隣で、バルトが息をのんだ。
「これ……魔術だ」
唇をほとんど動かさずに、囁く。
「え?」
「数え切れねえ。何千本も糸が、あの手から、一人一人の頭に、降りてきてる……」
俺には、何も見えない。ただ、空気が重く、粘つくように、肌にまとわりついてくる。
周りの生徒たちが、一人、また一人と、まぶたを閉じていく。ミナが、ぼんやりした顔で揺れた。ノエルも。セラも。ゲイルも。
――まずい。
この魔術を受けたら終わりだ。理由は分からないが、本能がそう叫んでいた。
「糸が、まっすぐ、俺たちの頭のてっぺんに、来てる。……エルド」
バルトが、囁いた。
「漆」
その一言で、体が動いた。
――漆の太刀
オズが、素振りの最後に必ずやらせた型だった。剣を用いない唯一の型。手刀で、四方八方を素早く打ち、体の周りの空気を一瞬にして弾き飛ばす。
横にいるバルトは、漆の太刀をバレないように行なっている。
いつのまにか俺たちにとっては当たり前になっていたが、そういえば最初に漆の太刀を教わった際、なぜこれが必要なのかオズに聞いた。
剣をもってねえときも戦えるようにだよ、と言っていたが、どうやら今がそのときらしい。
糸を切っている感覚はないが、どうやらうまくいっているらしい。
体に変化は何もない。
やがて、金色の光が、すうっと薄れていった。
「以上をもって祝福の儀とする」
「終わった……のか?」
「エルド、大丈夫か?」
「ああ、なにも変わったことは」
壇上で、王子が満足そうに頷いていた。
その視線が、ゆっくりと大講堂を見渡す。そして、俺たちの上を、通り過ぎた。
一瞬だけ、止まった気がした。
「それでは諸君、今後とも勉学に励むよう」
それだけ言うと、王子は何事もなかったかのように微笑んだ後、マントを翻し、壇上からスタスタと降り、大講堂の門から堂々と立ち去った。
その後、学長の指示に従い、俺たちは各々教室に戻ることになった。
☆
「にしてもさっきの、王子何しにきたんだ? なんかわかるかエルド?」
「分からない」
「僕にも、わかりませんね」
「たぶん私たちの激励をしただけよ!」
教室で俺たちはさきほどの出来事について話をしていた。
「あそうだ」
バルトが何かを思い出したかのように言った。
「結局フィオナ先輩ってあれからどうなったんだ?」
昨日、三本線になってから一体どうなったのか。王子もそれを気にしていたようだが。
「フィオナ先輩? 誰それ知らないわ。ノエル知ってる?」
「いえ、僕も知りませんね」
……っ!
ということは、つまり。
「いやいや、昨日の朝いただろ! 人だかりができて、泣いてた先輩だよ!」
「なにを言っているんだ、バルト。そんな人この学校にはいないぞ」
「ゲイルまで……セラは!?」
「……わたしも、わかりません」
「いや、だってそんな!昨日!」
そこで俺はバルトの腕を掴んだ。
「たぶんバルトの勘違いだろ」
振り向いたバルトと顔をあわせ、それ以上は言うな、と目で訴えかけた。
「……ちょっと便所いってくる」
そう言うとバルトは走って教室を出ていった。




