七話 消された流派
休日の朝。
俺とバルトは、寮の裏の空き地で、木剣を振っていた。
「九十八、九十九、百……!」
バルトは百本目で木剣を投げ出して、地面に倒れた。対する俺は、息は上がっているが、まだ足が動く。
「……お前、ほんと、すげえよな。俺も、ちょっとは体力ついてきたって思ってたのによぉー」
「努力不足だ」
「ひっでえ!!」
そのとき、背後から明るい声が飛んできた。
「おーい! やっぱりここにいた!」
振り返ると、ミナが大きなバスケットを抱えて駆けてくるところだった。
「休みの日まで稽古してるって、ノエルから聞いたから。差し入れ持ってきたよ!」
バスケットの中には、パンと、干した果物。
「うおおお! 女神か!」
「大げさ!」
バルトが起き上がりざまにパンをつかんで頬張ると、ミナがころころと笑った。
木陰に腰を下ろして、三人で分け合う。
「それにしても、この前の試合、すごかったね! 魔術を消しちゃうなんて! 教室中、その話でもちきりだよ!」
「俺も、何が起きたのか、まだ分かんねえんだよな」
「ゲイルなんて、あれからずっと機嫌悪いんだから!」
俺は黙って、干した果物をかじる。甘酸っぱい味が、口に広がった。
「なあ、ミナ」
パンを飲み込んだバルトが、ふと言った。
「前から気になってたんだけどよ。魔術って、発動するときに名前とか言わねえの?」
「名前?」
「ほら、物語だとさ、『炎よ、我が敵を焼き尽くせ! ファイアボール!』とか言うじゃん。ゲイルも、黙って出してたから、ないのかなーって思って」
ミナはぱちぱちと瞬きをして、それから、ああ、と手を打った。
確かに言われてみればそうだな。バルトもいい質問をする。まあそれは、おそらく物語をわかりやすくするためだけのまやかしだろうけどな。
「詠唱のことだね。あるよ、ちゃんと」
「「あるのかよ!」」
「ふふふ。なによ二人して。魔術の名前を言って、決まった言葉を唱えると、威力がぐんと上がるの。魔術自体も、強くなる。大きな魔術は、詠唱がないと、そもそも使えないものも多いんだって」
「だったら、みんな唱えりゃいいじゃねえか」
「それがね、すっっごく難しいの」
ミナが、指を一本立てた。
「長い言葉を、間違えずに唱えながら、魔力の流れも保ち続けなきゃいけない。どっちかが途切れると、術が消えちゃうの。集中力が、ものすーーごく要るんだよ」
「へえ」
「だから、詠唱ができるのは、限られた人だけ。一組の生徒は、ほぼ全員できるけどね」
「全員!?」
「うん。それで、前衛と後衛で組んで戦うの。詠唱してる間は、仲間が守ってくれるから」
俺は、手を止めた。
詠唱の間は、隙が大きい。それを、仲間が守る。一組の連中は、最初から、そういう戦い方を前提に鍛えているらしい。
「そっかー」
バルトが少し悲しそうに吐き捨てる。
「ミナは、できないのか?」
「えっ、私?」
バルトのその質問にミナは、ぶんぶんと首を振った。
「むり、むり。見ててね」
立ち上がって、手を前に出す。深く息を吸って、目を閉じた。
「灯れ、小さき星。我が手に宿り、闇を払え――」
ふわり、と光が灯る。
「「おお」」
「――《ルミ……》、あっ」
次の瞬間、光は、ぽん、と消えた。
「あーっ、また途切れた! やっぱり、名前まで言うと、集中が切れちゃうんだよね」
「……難しいんだな」
「これが一番簡単な詠唱なんだけどね。だから私は、無詠唱で、小さな光を出すのが精一杯」
ミナは笑っていた。落ちこぼれと呼ばれることに、慣れたような笑い方だった。
「あ、そういえば」
ミナが、ふと思い出したように言った。
「セラ、詠唱ができるって噂があるんだよ」
「セラが?」
「うん。でも、人前じゃ絶対にやらないの。先生に言われても、できないって首を振るだけで」
図書館で見た、黒髪少女の背中が、頭に浮かんだ。
揺れない、小さな光。あの光は、ただ小さいだけじゃなかったのかもしれない。
「エルド君! バルト君!」
その声に、三人そろって顔を上げた。
眼鏡をずらし、肩で息をしながら、ノエルが駆けてくる。いつも冷静な学級委員長が、息も絶え絶えだった。
「ノエル? どうしたの、そんなに慌てて」
「セラさんが……ゲイルと、その取り巻きに、連れていかれました」
空気が、凍った。
「図書館の帰りに、三人が待ち伏せしていて。止めようとしたんですが……」
ノエルが、握りしめていた紙切れを俺に差し出す。
――平民二人だけで、旧訓練棟の地下に来い。
「……図書館で」
バルトが呟いた。
「エルドが本を返してたとこ、見られてたんだ。あいつら、セラと俺らが仲いいと思って」
「俺のせいだ」
「違うよ! 悪いのはゲイルでしょ!」
ミナの声が震えていた。
「バルト行くぞ」
「私も!」
「名指しは俺たち二人だ。ミナとノエルは終わるまで待っててくれ」
俺は木剣を手に取り、走り出した。
☆
旧訓練棟は、校舎の裏手にある、使われなくなった古い建物だった。石段を下りると、地下の広間に、かび臭い空気が満ちている。
ランタンの灯りを頼りに歩みを進めていくと、柱に縛りつけられて、ぐるぐる巻きに縄をかけられているセラがいた。
「セラ!」
その細い肩は、小さく震えていた。
「おっと、そこから先は来るなよ」
柱の陰から、ゲイルが現れた。後ろには、取り巻き二人。
「よく来たな、平民ども。本当に二人だけで来るとは」
「セラを解放しろ。彼女は関係ないだろ」
「関係ない? 図書館で、仲良く本を渡してたじゃないか。お前らの数少ない友達が酷い目にあうぞ?」
ゲイルが、にやりと笑う。
「この前の礼をたっぷりさせてもらおう」
俺はセラを救うべく、一歩、踏み出した。
そのとき、足元の床が、光った。
「――っ!」
床一面に、幾何学の紋様が浮かび上がる。
光の鎖が何本も伸びて、俺とバルトの足首に絡みついた。
「くそっ、動けねえ!」
「ははは! 昨日の夜から、仕込んでおいたんだ。これで、お前らの木剣はもう届かない!」
鎖が、じわじわと締まる。光が強くなるたびに、力が抜けていくようだった。
まずい!
動けなければ、攻撃を避けられない!
「……せん、せん、りゅう……」
かすかな声がした。
柱の前で、セラが、こちらを見ていた。
「……あの、魔術を消す剣の流派は……断線流、です。……魔術の、つながりを、断つ……」
――断線流
その言葉が、頭の中で弾けた。
「バルト、たぶんだけど、切るのは空間だ」
「え?」
「理屈はわからない、でもそれでいける、はず」
「わかった! 信じるぞ! 壱の太刀からだな!」
鎖に縛られたまま、身をかがめて、木剣を振り抜いた。
どういう理屈で魔術を消せるかなんてわからない。ただ、オズから教わった太刀をいまここで使わなくてはならないことは体で理解した。
十五個ある太刀を、壱から順に試していく。
「ぷっあははははは! なんなんだこいつら! 急にバカみたいに刀振り回して! ついに頭おかしくなったのか?」
ゲイルが満足そうに笑っている。
だが、そんなことは気にしない。
今はただ、教わった太刀を完璧に繰り出す。
「はあ、もういい! 僕の炎に焼かれるがいい!」
ゲイルの右手に炎が灯る。取り巻きたちも、それぞれ光の玉を浮かべた。
「じゃあな、平民」
ゲイルがそう告げると、火の玉が一直線に飛んできた。
くそ!
まだ全部の太刀を試しきれていないのに!
そして、俺もバルトも同時に『捌の太刀』を試し終わった、次の瞬間。
光の鎖が、ぷつりと切れた。
魔法陣の紋様が、端から順に、火が消えるように暗くなっていく。
「な、なんだと!?」
動揺するゲイルを横目に、俺とバルトは横に飛び、寸前のところで炎を回避した。
「うお、あっつ! ちょっと髪の毛焦げたじゃねえか!」
「行くぞ、バルト!」
「おう!」
掛け声と同時にバルトがゲイルに一直線に向かう。
「ふっ、ふざけるなよ!」
「バルト! そっちはまかせるぞ!」
「おう!」
俺は取り巻きの二人をやる――!
俺は、地面を蹴り、二人の間に飛び込んだ。
……っ!
突如、額がチリッと熱くなり体が軽くなる。
一拍で詰めて、一人の手首を打ち、同時に、もう一人の足を払う。
体勢を崩しているその隙に、峰打ちを繰り出し気絶させた。
バルトを一瞥すると、再び魔術を消すことに成功したのか、ゲイルが後退り、驚嘆の表情を浮かべている。
「う、嘘だろ……!」
そして、低く構えたバルトが、鋭い目つきでゲイルの首元に狙いを定めていた。
「おい、ゲイル。二度目だな!」
ビュンッ! と軽快な音をたて、空気を切り裂きながら振られた剣は、ドッと鈍い音をさせ、ゲイルの首元に深く打ち込まれた。
「……ぐうっ……」
そして、ゲイルは、力なく膝をついた。
☆
縄をほどくと、セラは、その場にへたり込んだ。
「大丈夫か」
「……はい。……ごめんなさい。私のせいで……」
「ちがう、俺のせいだ」
階段を駆け下りる足音が、響いた。
「セラ!」
ミナとノエルが、息を切らして飛び込んでくる。そして、床に倒れた三人を見て、二人は目を丸くした。
「もう……終わっちゃってる」
「後の処理は、学級委員長として、僕がします。この三人には、ここで頭を冷やしてもらいましょう」
ノエルは、セラを縛っていた縄で、三人を柱に縛りつけながら、淡々と言った。
「今は、セラさんを休ませるのが先です」
「……あの」
セラが、小さな声で言った。
「……図書館に、使っていない、閲覧室があります。そこなら、静かで……」
☆
閲覧室でセラは、両手でカップを包んでいた。ミナが食堂から持ってきてくれた、温かい紅茶だ。
「……さっきは、ありがとうございました」
「礼を言うのは、こっちだ。セラが助言してくれたから助かった。あのままだと危なかった」
「助言? なにそれ」
ミナとノエルが、そろって首をかしげる。
セラは、少しだけ迷うように指を組んで、それから、小さな声で語り出した。
「……昔、本で、読んだことがあるんです。大昔、魔術師を倒すためだけにつくられた剣、通称、魔術師殺しの剣があった、と」
遠慮がちな声が、話すにつれて、少しずつ滑らかになっていく。
「……まず、前提として、すべての魔術は、大気と繋がってます。もっというと、大気の力を借りて魔術をそこに固定しているんです」
「つまり、魔術は自分だけじゃ使えないっていう認識であってるか?」
「はい。真空中では音が伝わらないのと同じで、どんな人でも周りに大気がなければ魔術を放出することはできません。魔術が発動している最中も、魔術は大気とずっと、微弱に結びついているんです」
「結びついてる……」
「そして、それが断ち斬られると、魔術は保てなくなります」
「じゃあ、その繋がりを断ち斬る流儀が、さっきセラが言っていた断線流?」
「その通りです……。ですが、その繋がりは何本もあり、魔術によって位置もなにもかも違います。なので、それをすべて斬ることはほぼ、不可能……それこそ、あらかじめ何パターンも考えておいて、必要なときに必要な型を寸分狂わず、完璧にだせるようにならない限り」
そのとき、バルトが、はっと顔を上げた。
「あ! 炎とゲイルの手の間に見えた、たくさんの糸みたいなやつ! あれが繋がりだったのかよ!」
「バルト、お前……見えてたのか? 俺全く見えなかったぞ」
「へへ、観察役だからな!」
俺は、自分の掌を見つめていた。
「ていうことは、俺たちが教わった十五個の太刀、それらがすべて断線流の太刀だったのか……?」
「ただ……」
セラが、少しだけ声を落とした。
「この流派は、記録がほとんど残っていません」
「誰かが、消したってことか?」
「……分かりません。でも、そう思います。なので……あまり公にはしないほうがいいと思います」
「わかった。忠告ありがとう」
「では、とりあえず、今日はもう休みましょう」
ノエルが、パンと手を叩いた。眼鏡を押し上げて、咳払いをする。
「そうだな。セラも疲れてるだろうし」
「あ、最後に一つ。話が変わりますが、お話があります。月末の模擬戦の前に、五人一組の団体課題があります。もちろん成績にも関わります」
「五人?」
「そして……ちょうど、ここに、五人いますね」
全員が、顔を見合わせた。
「やる! もちろんやるよ!」
「俺も! みんなでやろうぜ! なあエルド!」
「もちろんだ。俺からもお願いする……セラは」
俺が聞くと、セラは驚いたように目を見開いて、それから、ゆっくりと頷いた。
「……はい。お願い、します」
「やったー!」
ミナがセラに抱きついて、セラが固まる。バルトが笑い、ノエルが眼鏡を直した。
五人。最下位の組の、落ちこぼれと平民の寄せ集め。
それでも、不思議と、負ける気はしなかった。




