五話 オズの教育
翌朝、俺とバルトは、五組の教室の前に立っていた。
最下位の組だと聞いていたが、扉の向こうは、思っていたよりずっと立派だった。並んだ机は磨かれ、椅子には柔らかいクッションまでついている。
「最下位でこれかよ! すげえな!」
バルトの言葉にクラスが殺気立った。
「バルト、静かにしろ」
担任は、眼鏡をかけた長髪の若い男性だった。名前をロウ・ウィルソン。
この学園に三本線は、俺たちしかいない。教師も、厨房の料理人も、掃除の人さえ二本線だ。
「今日から編入する二人だ。自己紹介を」
三十人ほどの視線が、一斉に俺たちへ向かう。ざわりと空気が揺れた。
「エルド・クレイス。平民だ。魔術は使えない。よろしく」
「バルト・ラッセル! 同じく平民だ! 剣なら任せろ!」
ぱち、ぱち、と誰かが拍手をした。
「よろしくね! 私、ミナ・ルーヴェル!」
教室の中ほどで、栗色の髪の少女が、身を乗り出して手を叩いている。額には二本の線。
「よろしくお願いします、エルド君、バルト君、この組で学級委員長をしています、ノエル・ハーネスです」
教室の端に、もう一人だけ、黙って本を開いている少女がいた。細い肩に、長い黒髪。額に二本の線。周りの騒ぎにも顔を上げず、じっと文字を追っている。
その他の生徒は露骨だった。
「平民かよ」
「最下位の組に、さらに下が来たってわけだ」
窓際の男子たちが、ひそひそと笑う。鋭い、嫌な目だった。
「席は、あそこと、あそこだ」
ロウ先生が指した空席に、俺たちは腰を下ろした。
☆
午前は座学、午後は実技。魔術の授業の前に、ロウ先生が俺たちを呼び止めた。
「君たち二人は、魔術の授業には出なくていい。きつい言い方をするが、使えない者に教えられることは、ないからな」
「出ます。魔術が、どういうものか知りたいんです」
隣で、バルトも頷く。
「俺も! 敵のことは知っとかねえとな!」
「はあ……では好きにしなさい」
魔術の授業は、日当たりのいい実習室で行われた。
生徒たちは、それぞれ掌を上に向けている。ロウ先生が、教壇から静かに言った。
「今日の課題は、掌に光を灯すことだ。魔力を体の中心から腕へ流し、掌に集める。集中を切らすな」
最初に成功したのは、栗色の髪の少女、ミナだった。
「できたー!」
掌の上で、豆粒ほどの光がふわりと灯る。小さいけれど、澄んだ暖色の光だった。
「……ほんとに、光ってる」
思わず、声が漏れた。
「エルド、見ろよ。何もないところから光が出てんぞ」
横の男子の掌には、もっと大きな光が灯っていた。ほかの生徒も、大小はあれ、次々と光を灯していく。
最下位の五組でも、俺たちにはできないことを、当たり前のようにやってのけている。
朝、本を読んでいた少女は実習室の端っこで静かに掌を開いていた。彼女の光は、小さいのに、ほかの誰よりも揺れていなかった。
「あ、待て、エルド」
バルトが、小声で言った。
「光を出す直前、みんな目を閉じてるぞ。んで、息を吐いてる」
「よく見てるな」
「へへ、観察役だからな」
言われて気づく。確かに、全員に同じ間があった。目を閉じ、息を吐き、それから光る。ほんの数秒。あの間が、魔術の隙なのだろう。
「じゃあ、俺たちもやってみるか」
「はあ!? 何言ってんだエルド! 無理に決まってんだろ!」
「物は試しだ」
俺は掌を上に向けて、目を閉じた。息を吐き、体の中心に意識を向ける。魔力を、流す。
――何も、ない。
どれだけ意識しても、体の中には、何の流れも感じられなかった。掌は、ただの掌のまま。
「ふんぬぬぬぬぬ……!」
隣で、バルトが顔を真っ赤にして力んでいる。
「バルト、力むものじゃない」
「だって出ねえんだもん! うおおおおお!」
当然、何も出ない。バルトは、ぷはっと息を吐いて、自分の掌を見つめた。
「……マジでできねえんだな、俺ら」
「ぷっははははは!」
突然、笑い声がおきる。
「貴様ら平民にできるわけないだろ!」
青髪の男が席から立ち、指を差して俺たちを嘲笑う。
「分かってても、実際にやられるとくるもんがあるな」
珍しく、バルトの声が小さかった。
「でもさ」
バルトが、拳を握りなおす。
「見えたじゃん。魔術の間。あれが分かっただけでも、収穫だ」
「ああ」
悔しさは、腹の底に沈めておく。今は、見る。全部、目に焼きつけるんだ。
「おい! 平民が僕を無視するな!」
☆
昼の食堂で、俺は言葉を失った。
湯気の立つスープ。分厚い肉。焼きたてのパン。口に入れた瞬間、バルトが叫んだ。
「うっっっま! なんだこれ! パンが柔らけえ!」
「バルト、声が」
「だってお前、これ、街のパンの何十倍もうまいぞ!?」
俺も、無言で三口食べたところで、手が止まった。
「……これは反則だろ」
「だろだろ!」
バルトが、自慢気にそう語った。
アッシュにも食べさせてやりたいな。
「ねえねえ、ここ、座ってもいい?」
顔を上げると、朝の少女が、お盆を持って立っていた。その後ろには、眼鏡をかけた細身の青年もいる。
「あ! 朝の!」
「たしか……ミナさんと、ノエルさん、でしたっけ?」
「覚えていてくれたんだ! 同級生だしタメ口でいいよ! あ、それと、あの子!」
ミナが、食堂の隅を指した。そこにはひとりでスープをすくう、黒髪の少女がいた。
「セラ・アルヴィス。うちのクラスの子。いつも一人でご飯を食べてるの。誘っても、来てくれないんだけどね」
たしか今朝、片隅で本を読んでた子か。
セラが、ふとこちらを見た。目が合った瞬間、慌てたように視線を逸らす。
「彼女は引っ込み思案ですからね。ルーヴェルがいくら誘っても一人で食べるんです」
そして、二人は当たり前のように、同じテーブルの席に座った。
「噂は聞いてるよ。街の決闘のこと、もう学園中に広まってるんだから! ねえ、この学園のこと、どのくらい聞いた?」
「そうだな、学長からは、月末の模擬戦で上の組にいけるとだけ」
「えっとね、私から加えて説明すると、」
「じゃあ、僕から補足しますね」
ノエルが、眼鏡をくいっと押し上げて、早口で説明を始める。ミナが私が説明したかったと言わんばかりにほっぺを膨らませて不満を露わにしている。
「月末に模擬戦があるのは確かですが、順位は、模擬戦と座学の総合点で決まります」
「筆記試験もあるのか!?」
バルトが大きな声でそう尋ねた。
無理もない、文字も読めない平民が一から勉強して文字を覚え、そのうえで普通の勉強までしないといけないとなると、だいぶ厳しくなる。
「筆記試験、模擬戦どちらも五十点ずつ。百満点で計算されます。君たちが来る前に一度模擬戦と筆記試験があったのですが、僕は六位でギリギリ昇格できませんでした。ちなみにルーヴェルは十八位でした」
「ノエル! 最後のそれ言う必要あったかな!」
その後、ミナがノエルに文句をつらつらと言っていた。
「それとね、」
すると突然ミナが、声をひそめた。
「五組のあいつには、気をつけて」
「あいつ?」
「今日授業中にあなたたちを指差して笑ったあいつ。名前はゲイル・ブラント。下級貴族の三男で、魔力は五組で一番多いの。でも、性格が最悪でね。先月も、一人、いじめられて退学に追い込まれたの」
「あの人は、自分より下の者を見つけると、嬉しくなるんです。今は、お二人が標的ですね」
ノエルが続けてそう言った。
……俺は、ふと、ずっと引っかかっていたことを口にした。
「なんで、二人は俺たちに、普通に話しかけてくれるんだ?」
「「え?」」
「俺たちは、平民だ。ここの生徒にとっては、関わるだけで恥だろ」
ミナは、一瞬きょとんとして、それから困ったように笑った。
「だって、私も落ちこぼれだもん。魔力が少なくて、家でも肩身が狭くて。『お前は下だ』って言われる気持ち、ちょっと分かるんだ」
「僕の家は、没落しました。今さら、身分を誇る資格もありません」
ノエルが、眼鏡の奥で少し笑った。
「それに、木剣で従者を倒した人に、喧嘩を売る度胸もないですし」
「それが本音だろ!」
バルトがツッコむ。
「半分は」
思わず、笑いが漏れた。
「そうか」
「うん。だから、気にしないで。ご飯は、誰と食べたほうが、おいしいでしょ?」
バルトが、なぜか鼻をすすっていた。
「お前ら、いい奴すぎて泣くわ……」
「まだ、何もしてないですよ」
そのとき、後ろから男の声がした。
「せいぜいつるんでろ、落ちこぼれども」
青い髪……こいつがさっきミナが言っていたゲイルってやつか。
「三本線の分際で、ずいぶんと楽しそうじゃないか」
「ちょっとゲイル、やめてよ!」
「平民と一緒に食うなんて、ミナも物好きだな」
「ご飯くらい、誰と食べてもいいでしょ!」
ミナが言い返すが、ゲイルは取り巻きと笑いながら去っていった。
俺は、黙って、男たちの背中を見ていた。
☆
午後の剣術の授業は、広い訓練場で行われた。
教官は、ガイウスという壮年の男だった。日に焼けた顔に、額の線が二本。腕を組んで、五組の生徒たちを見渡す。
「この学園で教えるのは、オルディス流。王国騎士団にも受け継がれる正統の剣だ。まず基本の型から始める」
教官が木剣を構えた。流れるような美しい動き。剣先に、淡い光がまとわりついている。
「剣に魔力を通すのが、オルディス流の基本だ。魔力の少ない者は、まずは型を体に叩き込め」
生徒たちが真似をして、木剣に光を宿し、振る。
「綺麗だな」
ふっと心の声が漏れた。
「でも、なんか窮屈そうじゃね?」
「え?」
「あの光意味あんのか? 魅せることに精一杯で全然使えそうにないぞ」
本当にバルトの無神経さにはいつも驚かされる。
「そこの二人」
すると教官の視線が、突然こちらを向いた。
「お前らが噂の平民か。私は平民だからと差別はしない。すべては剣術で判断する。魔術なしで、どこまでやれるか見てやろう。前に出ろ。エルド・クレイス。打ち込んでこい」
教官は片手で木剣を構えた。余裕だと言わんばかりの構えだ。周りの生徒が、くすくすと笑う。
俺は深く息を吸った。オズの声が、頭の中で響く。
――一拍で詰めろ。
地面を蹴った。教官との距離が、一気に消える。
「――っ!」
教官の目が見開かれた。かろうじて木剣を上げているが、俺の一撃は、もうその内側に入っている。首元で木剣がぴたりと止まった。
「……今の、足運びは」
教官が、掠れた声で言った。さっきまでの余裕が、顔から消えている。
「誰に習った!」
オズの名は出せない。四本線に教わったと知れたら、あの人が危ない。
教官はしばらく黙り込んだ。それから、誰にも聞こえないような声で呟く。
「まさか……この型は……」
周囲が、ざわめき始める。
「なんだ、今の」
「平民が教官に勝ったぞ……」
「まったく見えなかった……」
横目でゲイルが、忌々しそうにこちらを睨んでいるのが見えた。
教官ははっとして咳払いをし、木剣を下ろした。
「今日の授業は、ここまでとする。エルド・クレイス、あとで私の部屋に来い」
立ち去る背中は、威厳を保とうとしながら、どこか動揺していた。
「エルド! あのおっさんお前の剣にびびってたな! やっぱオズさんの教えはすごかったらしいぜ!」
「ああ、そうだな」
☆
放課後、俺とバルトは図書館へ向かった。
天井まで届く書架。梯子。積まれた古い本の匂い。魔術の入門書を借りて、閲覧席でページをめくる。
「字が細けえ! 頭痛くなる!」
俺たちは一文字ずつ読み方を覚えながら、一冊の本を何時間もかけて読んでいった。
「ここ、見ろ」
俺は開いたページを指でなぞる。
そこには魔術の基本原理が記されていた。
「魔術は、四つの段階でできている。集中、流入、形成、放出」
「なんだそれ」
「まず集中。そして、魔力を体の中心から腕に流す。次に、魔力に形を与える。最後に放つ。授業で見た、目を閉じて息を吐く間は、おそらく最初の集中だ」
「あー、あれか!」
「熟練すると、この四つを一瞬で済ませられるらしい。上級者は、ほとんど間を置かないと書いてある」
「ってことは、一組の連中は」
「一拍が、ほとんどないのかもしれない」
バルトが、うへえ、と顔をしかめる。
「じゃあ、詰められねえじゃん」
「でも昔オズが言ってたろ、どんなに優れた魔術師でも、熟練の剣士の踏み込みより先に魔術を放つことはできないって」
「言ってた!」
次のページには、魔力量の話があった。
「魔力の量は、生まれつき決まっている。使えば消耗して、尽きれば動けなくなる。一晩眠れば回復する」
「つまり、魔術を撃たせまくればいいんだな!」
「そう単純ならいいが」
俺は、別のページに目を向けた。
「もう一つ。魔術は、大気と流れでつながっている。流れが乱れれば、術は崩れる、とある」
「流れ? どうやって乱すんだ?」
「分からない」
「エルド、こっちも見ろよ。なんかすげえ古い本」
バルトが棚の隅から引っ張り出したのは、表紙のはげた分厚い本だった。開くと、古い言葉で綴られている。
「……くそ難しくて読めねえ」
「エルド、俺、頭パンクしそう」
俺は、閉じた本の表紙を撫でながら言った。
「整理しよう。一つ、魔術には必ず一拍の間がある。ただし、熟練者ほど短くなる。二つ、魔力には限りがある。三つ、魔術は、流れが乱れると崩壊する」
そのとき、書架の陰で、かさりと音がした。
黒髪の少女が、本を抱えて立っている。目が合った瞬間、慌てて逃げようとして、ふと足を止めた。
彼女は、抱えていた本の一冊を、そっと机の端に置いた。
「……これも、読むといい」
消え入りそうな声だけを残して、その少女は書架の奥へ消えていった。
「いまのはセラか? たぶんいいやつに違いねえな!」
バルトが確信をもってそう告げる。
「だな」
俺はもらった本に目をやった。
「エルド、それなんて言う本だ?」
「ちょっと待てよ、えっと」
表紙には、こう書かれていた。
『魔術基礎論 上巻』




