四話 学園生活のはじまり
馬車に乗り、まる二日間かけて俺たちは学園まで到着した。
「ひぇ〜、やっとついたー」
バルトが腰をバキバキ言わせ、背伸びをしながらそうこぼす。
門番は俺たちの額の線を見て露骨に眉をひそめたが、何も言わずに門を開け、たった一言、「ついてこい」と言い放った。
門をくぐった瞬間、思わず足が止まる。
目の前に広がっていたのは、本の挿絵でしか見たことのない世界だった。
敷地の中央には、石造りの大きな噴水。空へ伸びる水の柱が、陽の光を受けてきらきらと砕けている。その周りを色とりどりの花が咲く庭園が囲み、刈り揃えられた芝生の上を、制服姿の生徒たちがゆったりと歩いていた。
「……すげえ」
バルトが、口をぽかんと開けたまま呟く。
「エルド、見ろよ。水が勝手に上に飛んでる」
俺たちの街の水は、井戸から桶で汲むものだ。噴水なんて、本の中の飾りだと思っていた。
校舎に入ると、さらに言葉を失った。
高い天井には細工ガラスが幾つも吊るされ、その中で光の玉がふわふわと浮かんでいる。蝋燭ではない。魔術の灯だ。磨き上げられた床には俺たちの顔が映り込み、色ガラスの窓が、淡い模様を廊下に映し出していた。
「見ろ、図書館だ! あの扉の向こう、本が天井まで並んでる!」
「バルト、声がでかい」
「だって、すげえだろ!」
俺も、正直そう思っていた。
廊下の窓の向こうには、広大な訓練場が見える。均された土の地面、壁一面に木剣を並べた棚。奥には、的の並んだ射場。別の一角では、生徒たちが光の矢を放つ練習をしていた。
俺たちの稽古場は、崩れかけた石橋の下だ。比べるのも、失礼なほどだった。
とはいっても、あそこは俺たちにとって思い出の場所だし、劣っているとは微塵も思わない。
「……これが、貴族の当たり前か」
思わず、そう呟いていた。
感心と、もう一つ、胸の内で小さく燃えるものがある。これだけのものを、生まれた身分ひとつで、当然のように享受している者がいる。
すると、すれ違う生徒たちの視線が、鋭く突き刺さった。
「おい、あれ平民だぞ」
「なんで学園に……」
「平民は出ていけ!」
その声は隠す気すらなかった。学期はもう二か月も前から始まっている。途中から入る俺たちは、それだけで浮いていた。
ましてや三本線の平民。
「……エルド、俺、腹痛くなってきた」
「頑張れ」
「お前は平気そうな顔しやがって!」
「顔に出さないだけだ」
突然、門番が止まった。
「ここだ、学長が待っている。失礼のないよう」
案内されたのは、重い扉の向こうの広い部屋だった。
入るとそこには、長机の奥に学長。学長の右手側の席に三人の男女が座っている。その全員の額に、線が一本。上級貴族だ。
「やっと来たか。入りなさい」
学長は、あの日と同じ穏やかな声で言った。帽子は脱いでいるが、長い白髪の前髪が額を覆っていて、線は見えない。
「学長、本気ですか」
最初に口を開いたのは、痩せた中年の男だった。
「三本線の平民を学園に入れるなど、前例がない」
「何事にも初めてはあるものです」
「軽く言われる。学園の名に傷がつくのですよ」
痩せた男が、嘲るように笑った。
「学長殿は、ずいぶん慈善家でいらっしゃる。魔術も使えぬ者に、何を学ぶことがありましょう。危険ではございませんこと?」
扇子で口元を隠した婦人が、ため息混じりにそう言った。
「貴族の子女と同じ空気を吸わせるなど……何か問題を起こしたら、誰が責任を取るのです」
俺は拳を握った。隣で、バルトが小さく「くっそ」と呟く。
言い返したい。でも、ここで口を開けば、全部が終わる。
そのとき、学長がふっと笑った。
「では、問おう。あなた方の言う『力』とは、何かね?……先日、私は街で、魔術の使えない青年が、真剣を持った貴族の従者を木剣で倒すところを見た。しかも相手は、不意打ちでかかってきた……さて、その青年に、力はないのかな」
婦人の眉が、ぴくりと動く。
「エルド君」
学長が、俺を見た。
「なぜ、この学園に来た?」
喉がひどく渇いていた。それでも、俺はまっすぐ答えた。
「家族を守るためです。三本線だからと言う理由で、諦めなくないです」
「バルト君は?」
「え、俺!? えっと……強くなりたいから、です。あと、こいつ一人だと心配なんで!」
婦人が、ぷっと吹き出した。学長が「静粛に」と咳払いをする。
長机の端で、口元を隠している男が一人、黙って俺を見ていた。他の二人と違って、軽蔑している感じはしない。ただ興味深そうに、じっとこちらを観察している。
「動機は、浅い」
痩せた男が、吐き捨てるように言った。
「浅くて結構。人は、浅い理由でも走り出せる」
学長は、静かに続ける。
「では、こうしよう。二人は仮入学とし、半年で成績を見る。実力が及ばなければ、退学とする。責任は、私が負う」
「……本当に、学長殿がお取りになるのだな」
「無論だ」
長い沈黙のあと、学長がこちらを向いて、微笑んだ。
「ようこそ、王立リネア学園へ。エルド君、バルト君、君たちの入学を心より歓迎する」
☆
学長と理事たちとの面談のあと、俺とバルトは学長室に呼ばれた。
窓の外に、噴水のある庭が見える。学長は机上で書類に何かを書き込んでいた。
「二人とも座りなさい。今後の話をしよう」
俺たちが腰を下ろすと、学長は羽根ペンを置いた。
「まず、この学園のことだ。君たちには一年生として入ってもらう。そして、一年生は実力に応じて一組から五組に分かれる。一組が最上位、五組が最下位だ」
「ふむふむ」
バルトが顎に手を当て、軽く頷く。
「君たちは、五組に入ってもらう」
「五組ぃ!? 最下位じゃねえか!」
バルトが椅子から跳ね上がる。
「バルト、落ち着け。……妥当だ」
「お前は達観しすぎだって!」
学長が笑いながら頷いた。
「エルド君の言うとおりだ。この学園の成績は、魔術の実力が土台になる。魔術が使えない君たちは、入り口の時点で最下位になる。それは避けられない」
悔しいが、事実だった。
「ただし、五組を軽く見てはいけない。あそこにいるのは、それぞれ何かしらの劣等感を抱えた生徒たちだ。魔力が少ない者、才能がないと言われた者、家が落ちぶれた者。他の組よりも、君たちの考え方に近い者が多いだろう」
「じゃあ、仲良くなれそうじゃん」
「だといいがね」
学長の声が少し低くなる。
「劣等感を持つ者ほど、自分より下を探したがるものだ。君たちを、格好の的だと思う生徒もいるだろう」
「……いじめ、ですか」
「あるだろう」
あっさりと言われて、言葉に詰まる。
「では、どうすれば」
「二つだけ覚えておきなさい。一つ、貴族に逆らうな。だが、卑屈にもなるな。二つ、実力で示せ」
「実力で?」
「月末には、組内で模擬戦がある。それで良い成績をとれれば、上の組にあがれる。一組まで上がれば、誰も君たちに文句を言えはしまい」
「じゃあ最短で四ヶ月で一組までいけるってことか!」
「最速だとたしか一ヶ月後に一組にあがれるチャンスがあったはずだ」
「……それはどうすればいいんですか?」
「武術大会で優勝すること。つまり、一年生で一位になるということだ。そうなってしまえば一組にあがれる。……だが、学園が作られてから今に至るまで、五組の生徒が一位になったことなんてないがね」
「……なるほど」
「まあまずは退学にならないよう頑張りなさい」
学長は、引き出しから二つの鍵を取り出して、俺たちの前に置いた。
「寮の鍵だ。今日から、そこが君たちの家になる」
鍵を握りしめる。冷たい金属の重みが、手のひらに残った。
半年。それが、俺たちに与えられた時間だ。
「頑張ります」
「うむ。期待しているよ」
部屋を出ようとしたとき、背後から、学長の小さな呟きが聞こえた。
「……本当に、期待しているのだ」
その声は、なぜか、ひどく重く聞こえた。
☆
部屋を出ると、バルトがその場にしゃがみ込んだ。
「うわああ、死ぬかと思った! でも、入れたな!」
「ああ」
俺は、閉じた扉を振り返る。
そういえば、
――あの人の額の線を、まだ一度も見ていない。
☆
案内された寮は、今はもう使われていない、旧寮だった。
学園の端にある、古い石造りの二階建て。壁には蔦が絡まり、階段は踏むたびにぎしぎしと鳴る。割り当てられた二人部屋には、二段ベッド一つと小さな机、窓が一つ。それだけだった。
「うわ、狭っ! でも、俺らの家よりかは綺麗だな!」
「そうだな」
バルトは荷物を放り出して、ベッドに大の字になった。俺は窓辺に立つ。
遠くに、貴族の生徒たちの寮が見えた。白い壁に、いくつもの窓。魔術の灯が温かくともっている。
「なあ、エルド」
「なんだ」
「冷静に考えてさ、俺ら、勝てるのか?」
バルトが天井を見たまま言った。ふざけた調子ではなかった。
「俺たちが使えるのは、剣だけだ。魔術は一生使えねえ。でも、あいつらは魔術も使えて、しかも剣術もやってる。それも、ガキの頃から家庭教師つきで」
「ああ」
「二つ持ってる奴と、一つの俺ら。どう考えても、不利だろ」
「不利ではあるが……無理じゃない」
「お前はほんとそう言うよな! 根拠は?」
俺は窓から離れて、机の椅子に腰を下ろした。
「今日、庭で生徒が魔術の練習をしていた。見たか?」
「光の矢のやつな。かっけえよな」
「あれは、撃つ前に一拍あった」
「一拍?」
言いながら、頭の中で整理していく。
「魔術は遠くから撃てるが、発動までに間がある。その一拍で距離を詰めることができれば、剣の間合いに入れる」
「オズさんが言ってた、あれか」
「『一拍で詰めろ』」
バルトの顔が、ぱっと明るくなった。
「じゃあ、詰めさえすれば勝てるってことか!」
「詰められれば、だ。相手は複数の魔術を使ってくるかもしれない。それに、俺たちは魔術のことを何も知らなさすぎる」
「たしかに」
バルトは体を起こして、腕を組む。
「だったら、まず知らなきゃいけねえな。どんな魔術があって、どのくらいの速さで、どのくらい撃てるのか」
「ああ」
「図書館があったじゃん。あそこ行こうぜ」
「授業のあと行ってみよう」
俺はふと、あの日のことを思い出した。
「バルト」
「ん?」
「決闘のとき、体が異様に軽かった」
「火事場の馬鹿力ってやつだろ」
「……そうかもな」
自分でも、うまく説明できなかった。額が熱くなったことは、なぜか口に出せなかった。
「まあ、あれだ」
バルトが、にかっと笑った。
「エルドが斬り込んで、俺が敵を見る。二人でやりゃあ、なんとかなるだろ」
「お前、見るのは得意だからな」
「褒めてるのか、それ!?」
窓の外で、貴族の寮の灯がまたひとつ、ともった。
月末まで、あと四週間。
「明日の朝から、寮の裏で稽古を続ける」
「げえ、朝もかよ!」
「文句言うな」
「へいへい。……付き合ってやるよ」




