二話 学園への切符
俺は、アッシュを庇うように前に立った。
「……もう充分、ですよね…」
貴族の青年が眉をひそめる。額には一本の線。間違いなく貴族の証。
その中でも数少ない上級貴族。
三本線の俺たちにとっては、逆らえばすぐに命が飛ぶ相手。
「誰だ貴様?」
「こいつの兄です。弟が無礼をはたらいてしまったようで、ほんとうに申し訳ありません。この通り許してやってくれませんか」
腹の底が煮えくり返る。それを飲み下して、線の刻まれた額を地面に押しつけた。
「兄、ね。平民風情が、我に指図するのか」
背中で、アッシュがしゃくりあげる。俺は歯を食いしばった。
「服の弁償なら俺が働いて返します。だからこれ以上は」
「弁償? 我はそんなことで腹を立てているのではない。そこのガキに奪われた時間、かかされた恥、それをどう償ってもらおうか、という話をしているのだ」
そいつの視線が、ふと俺の腰で止まった。
稽古帰りのまま差していた、木剣だ。
「……ほう」
にやりと笑う。嫌な笑い方だった。
「その汚い木の棒で貴族の前に立つとはな。いい余興を思いついた。おい」
後ろに控えていた従者が前に出て、腰の剣を抜く。夕日を受けて、刃が赤く光った。真剣だ。
「こいつと決闘しろ。勝てば、今日の無礼は見逃してやる」
その貴族は楽しそうに続ける。
「ただし負ければ……お前も、そのガキも、家族もろとも、わかってるよな?」
人垣がざわりと揺れた。貴族の申し出を断れば、その場で捕まる。受けるしかない。
「……分かりました」
「兄ちゃん!」
「アッシュ、下がってろ。すぐ終わらせる」
弟を人垣のほうへ押しやり、木剣を抜く。
そのとき、視界の端に、継ぎ接ぎだらけの布切れを身に纏った人影が見えた。見間違えるはずがない。オズだ。
オズの手は、すでに剣の柄にかかっていた。
今すぐにその家族を切り伏せる、といった目をしていた。
だめだ。四本線が街にいること自体がまずいのに、上級貴族に楯突けば、ただでは済まない。……間違いなく殺される。
俺は、オズと目を合わせ、小さく首を横に振った。
オズの手が剣から離れていく。
振り返って従者と視線を交わす。
真剣ともなると、剣を正面からうけるわけにもいかない。受け流すしかない。
「おいザベル、わかっているな」
「もちろんでございます、ローゼンクロイツ様」
「貴様、名乗れ」
「……エルド・クレイス」
「我が名はヴィルヘルム・フォン・ローゼンクロイツ。あの名家、ローゼンクロイツ家の長男だ! お前ごときが我と目を合わせられていることすら奇跡と思え! ……では、始めよ!」
従者は合図より先に、もう地面を蹴っていた。
不意打ちかよ!
速い。だが、オズの剣に比べれば!
横へ跳んで、振り下ろされた刃をかわす。地面が真剣を弾くと火花が散った。
……!!
突如顔に、砂がかけられた。なんとも嫌な痛みが眼球を襲う。目が開けられない。
そして、無慈悲にもそこへ風を切る音が迫る。
真剣の鋭い金属音が首筋に迫っているのを肌で感じる。貴族は、命を奪う攻撃を平気でしてくる。それほどまでに平民の命は軽く見られている。治癒の魔術はある。だが平民に使ってくれる貴族はいない。
そういった不平等の中で、俺たち平民はいつも暮らしている。
俺は音だけを頼りに、木剣を振り上げた。
カンッ! というたしかな手応え。刃の腹を斜めに受け流す。目隠しで剣を受ける稽古を、オズに散々やらされていて助かった。
痛い目を我慢し、薄目を開けると、従者の体勢が崩れていた。目が見えないと思って油断したな!
踏み込んだ瞬間、額がちりっと熱くなった。
足が、驚くほど軽い。
考えるより先に、木剣が動いた。手首を打ち、相手の剣を弾き飛ばす。そのまま流れるような一撃で、従者の喉元に剣先を突きつけた。
しばらくの静寂。
それを破ったのは、従者の剣が、遠くの落下した音だった。
「勝った……」
誰かが呟く。
「約束だ。弟にも家族にも、手を出さないでくれ」
振り返ると、ローゼンクロイツの顔から笑みが消えていた。
「平民が……平民ごときが調子に乗るなよ……」
その手が、腰の剣にかかった。
まずい。そう思ったときには、俺はもう背を向けていた。背後で、抜き身の剣が振り上げられる気配。間に合わない!
――ガキンッ!
辺りに金属音が鳴り響いた。
恐る恐る振り返ると、目の前には見慣れた背中があった。
「貴族なら、言ったことは守れよな……!」
バルトだった。半ばまで斬り込まれた木剣で、貴族の剣を必死に受け止めている。
「バルト、なんで」
「お前が血相変えて走ってくのが見えたんだよ!」
「貴族の剣を、ただの平民ごときが! 二人とも、ここで殺す!」
刹那、ローゼンクロイツの左手に光が宿った。
あれは……魔術か!?
「おいバルト! まずいぞ!」
魔術に対処する方法なんて……少なくとも俺たちはそんなもの知らない!
このままだと、確実に、
「そ こ ま で !」
重い声が、広場に響いた。
人垣が割れ、一人の老人が歩いてくる。地味な茶色のコートに、深く被った帽子。額は影に隠れて見えない。
「街中で剣を抜くとは、感心しないな」
「誰だ貴様! 邪魔を――」
老人はコートの内から、金の紋章を取り出した。ローゼンクロイツの顔から、血の気が引く。
「が、学長……?」
「決闘は最初から見せてもらったよ。合図より先に斬りかかり、目に砂を撒く。それが貴族の作法かね」
「そ、それは……」
「勝ったのはこの少年だ。君は約束を守るべきだと思うがね」
唇を噛み、剣を収めた。
「チッ、いくぞお前ら」
従者を連れて、去っていく。
そして老人が、俺とバルトを順に見た。
「木剣で真剣に勝ち、友を庇って貴族の剣を受ける。度胸も腕も申し分ない」
そして穏やかに微笑んだ。
「……君たち二人を、我が学園に招待しよう」
学園って、あの、貴族の……!?
どよめきが広がる。三本線が、貴族の学園に。
言葉を失っていると、人だかりの向こうで、継ぎ接ぎの布を被った人影が背を向けて消えていくのが見えた。
老人が、俺の顔を見て、ほんの一瞬だけ目を細める。
初対面のはずなのに、ずっと前から知っていたような目だった。




