一話 線を持つ者達
この国では、人は生まれて七日目に、額へ線を引かれる。
引くのは『線師』と呼ばれる者たちだ。特別な墨と筆で、赤ん坊の額に身分を刻んでいく。
王族は、何も引かれず、上級貴族は一本。下級貴族は二本。平民は三本。そして、家を持たない者たちは四本。
洗っても、削っても、消えない。死ぬまで、一生。
だから額を見れば、その人間がどの身分で生まれ、どこまで行けるのかが、一目で分かる。
俺の額には、三本の線がある。
そして、線の数はもう一つのことを決める。
魔術だ。
魔術を使えるのは、二本線、一本線、そして線を持たない者だけ。三本線と四本線の人間には、生まれつき魔術の才がない。理由は誰も知らない。ただ、そういうものだと、この国の誰もが信じている。
つまり、俺の額にある三本の線は、魔術を一生使えないという印でもある。
そして昨日、弟の額にも同じ三本が引かれた。
☆
俺の家、クレイス家に生まれたばかりの弟は、真っ赤な顔で泣いていた。
その額を、線師の筆が三度すべる。黒い線が三本、小さな額に並んだ。
「……よし、三本。元気な子だ」
線師はそう言って筆を置いた。
弟の名はアッシュと名付けられた。
線師は赤子の顔をじっと見て、名を告げる。それがこの国の習わしだ。
「なあエルド、お前の弟めっちゃ泣くな! 将来うるさいぞ絶対!」
「バルト、声がでかい」
「お前が小さいんだよ!」
隣で笑う悪友バルト。バルト・ラッセルの額にも、俺と同じ三本の線がある。
「……なあ、バルト」
「ん?」
「俺は上に行く」
「上って、どこまでだよ」
「……まだ、そこまでは決まってねえよ」
バルトは一瞬きょとんとして、それからにやりと笑った。
「いいじゃん。俺も行く。お前一人じゃ心配だしな!」
☆
——七年後
アッシュは母さんに似て物覚えがよく、もう家の手伝いをしている。
そんな中、俺とバルトはいま剣の稽古をしていた。
街外れの、崩れかけた石橋の下。ここが俺たちの稽古場。
「――遅い」
カンッ! という乾いた音とともに、木剣が弾き飛ばされ、手首がじーんと痺れる。
「今のは踏み込みが半歩浅い。それじゃ間合いに入れても、自分の剣が届かねえ。どんな攻撃も間に合わねえと意味がねえぞ」
目の前の老人は、木剣を肩に担いだまま息ひとつ乱していない。ぼさぼさの白髪に、継ぎ接ぎだらけの布切れを身にまとい、額には、黒々とした四本の線。
家を持たない者、つまり捨て子の印だ。四本線に剣を教わっていると知られれば、白い目で見られる。だから、人目のない橋の下なのだ。
彼の名はオズ。苗字はない。
誰もが目を逸らすこの老人が、この街一番の剣の使い手だと知っているのは、たぶん俺たち二人だけだ。
ちょうど三年前、俺とバルトが森を探検していたとき、素振りをしているオズを見つけた。
その空気を切る音が、俺たちを惹きつけた。
四本線だということすら忘れ、俺はただ、その剣に見入っていた。
それから俺とバルトは稽古をつけてほしいと頼んだ。もちろん断られたが、何度も何度も頭を下げて頼みにいった結果、こうしていま稽古をつけてもらっている。
「ぐあああ! もう無理! 腕が上がんねえ!」
隣でバルトが、地面に大の字になって叫んでいた。
「バルト、まだ十本目だぞ」
「お前が体力化け物なんだよ! 何本目でも同じ顔しやがって!」
「バルトが弱いだけだ」
「ひっでぇ!!」
オズが鼻で笑う。
「バカ坊主は体力をつけろ。そしてエルド」
老人の目が、まっすぐ俺を射抜いた。
「お前は、型が綺麗すぎる」
「……綺麗すぎる?」
「俺の教えた型に、別のもんが混じってる。誰にも教わってねえ動きがな」
オズはそこで喋るのをやめ、俺の額を一瞬だけ見た。
そしてすぐに視線を逸らして、木剣を構え直す。
「……まあいい。もう一本だ」
混じっているもの。そんなものに覚えはなかった。
稽古を終えて、バルトと別れたのは夕暮れの頃だった。
空はもうオレンジ色に染まりかけている。
「ただいま」
「あら、おかえりなさいエルド。またそんなに服よごして! また今日もお稽古?」
「そうだよ」
「いい加減その先生を紹介しなさいよ。いつもエルドがお世話になってるお礼の一つもできないじゃない!」
台所から母さんが顔を出す。だが、いつも真っ先に駆け寄ってくる足音がない。
「母さん、アッシュは?」
「それがね、お昼過ぎに買い物を頼んだのだけど、まだ帰ってこなくて」
母さんは窓の外を見て、エプロンの端をぎゅっと握りしめた。
「いつもなら、とっくに戻る時間なのに……」
「ちょっと俺、見てくる」
言い終わる前に、俺は玄関を飛び出していた。
胸がざわついた。
急いで家を出たため着替えておらず、腰には稽古で使った木剣がそのままに、服は砂埃で汚れている。
夕暮れの市場通りは、帰りを急ぐ人で溢れていた。八百屋、パン屋、肉屋。アッシュがいつも寄る店を順に覗いていくが、アッシュの背中はどこにもない。
嫌な予感が、胸の奥でじわじわと膨らんでいく。
そのとき、広場のほうからざわめきが聞こえた。
人だかりができている。誰もが遠巻きに、何かを見ていた。
「かわいそうに……」
「貴族様にぶつかったらしいぞ」
「もう終わりだな……あの子」
人の隙間から漏れた声に、足が止まる。
まさか!
人垣をかき分けて、前に出た。
そこにいたのは、地面に額を擦り付け、土下座している、小さな小さな背中だった。
服は破れ、膝と肘は擦りむいて血が滲んでいる。頬は赤く腫れ、抱えていた買い物袋は破れて、リンゴが地面に散らばっていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
震える声。聞き慣れたこの声。
目の前に立っていたのは、白いジュストコールで、赤い髪の青年だった。額に、線が一本……上級貴族か! 服の裾には、林檎の果汁が染みている。後ろには、剣を提げた従者が二人。
「顔を上げろ」
青年が冷たく言った。
「その程度の謝罪で済むとでも思うか? 貴様にこの服の価値が分かるか。平民風情が」
アッシュが、ゆっくりと顔を上げる。
泣き腫らした目。額には、三本の線。
頭の中が、真っ白になった。
「――アッシュ!」
気づいたときには、俺は人だかりを飛び出して、弟の元へと駆け寄っていた。




