十二話 ジェスター
窓から飛び出した瞬間、体が宙に浮いた。
「しっかり掴まっててね!」
気づけば、俺は、道化の肩の上にいた。いわゆる、肩車だ。
「待て。なんで、肩車なんだ?」
「一番安定するのさ! それに、両手が自由になるでしょ?」
「他にもあるだろう」
「ないない! さあ、行くよ!」
道化が、地を蹴った。
しゃらん、と鈴が鳴る。寮の屋根から、校舎の屋根へ。壁を蹴り、夜空を跳ぶ。
眼下で、学園の灯りが、みるみる小さくなっていく。
学園は退学、目標にしていた模擬戦も、結局やらず終い。ミナもセラもノエルもゲイルだって、いい仲間ができた。
だがこれでいい、俺がやることにみんなを巻き込んではいけない。
今は恐怖よりも、妙な高揚感がある。
街を越え、森を越え、山を越える。どれだけ飛んだのか、分からない。やがて、切り立った岩壁の前で、道化がぴたりと降り立った。
「そういえば、なんでお前は俺たちが断線流を使えることをしってたんだ?」
「僕の使い魔だよ。あらゆる場所でみんなを監視してる! だから君たちを見つけられた!」
「それも、魔術か?」
「そうだよ! さ、そろそろ到着だよ」
目の前には、ただの岩肌しかない。
道化が、岩の継ぎ目を、いくつか規則的に叩いた。ごごご、と音を立てて、岩壁がゆっくりと割れる。
「ここから先は、迷子にならないでね。入り組んでるから」
その言葉は、誇張ではなかった。
洞窟、廃坑、地下水路。右へ、左へ、上へ、下へ。行き止まりに見える壁が、何度も動く。同じ場所を何度もぐるぐると回らされたかと思えば、突然、新しい通路が現れる。道化は、途中で三度、合言葉を口にした。
これは、一人では、絶対に出られない。
頭の中で道順を覚えようとして、すぐに諦めた。
どれだけ歩いたか。やがて、巨大な扉が、目の前に現れた。
扉の向こうは、円形の大広間だった。
岩を削り出した高い天井。壁に並ぶ、無数の松明。そして、広間に集う、大勢の人々。
全員が、額を、布や仮面で隠している。
無数の視線が、剥き出しの俺の額に、突き刺さる。
「あれが、道化の連れてきた新入りか」
広間の奥には石の階段があり、その上に、分厚い黒い幕が下りていた。幕の向こうは、暗闇だった。
「ようこそ、エルド・クレイス。君をジェスターへ歓迎しよう」
幕の奥から、声が響いた。
野太い、男の声だった。年齢は分からない。姿も、影すら見えない。それなのに、広間全体が、その声に静まり返っている。
「君の剣を待っていた」
「あんたが、ここのリーダーか?」
幕の向こうで、かすかに笑う気配がした。
「リーダーではあるが、強くはない。私は筆を作るだけだ。まずは紹介しよう。我々の優秀な幹部たちだ」
その声とともに、広間の脇に、光が灯り、九人の人影が、現れた。
そこにスキップしながらさきほどのピエロも加わり、合計十人となった。
っ!
……勝てない
ピエロを除いた九人は、各々とてつもないオーラを放っていた。
そして特筆すべきは、筋骨隆々、上裸で仁王立ちしている背の高い男。腰には、一本の斧。
そこに立っているだけだった。それなのに、目が合った瞬間、全身の毛が逆立った。
ほかにも、シルクハットの男、杖をついた老女、双子らしい二人組、腕に無数の刺青を入れた男。十人十色の、強者の気配が並んでいた。
「各幹部には、五人の部下がついているが、ディアーナの部隊が昨日一人欠けた。エルド・クレイス、君にはそこに入ってもらう」
「ええー!? 僕が連れてきたのに!」
道化が、不満げに声を上げる。
「ビンゴ、君は勧誘係だ。部下は、また別の機会に」
「ちぇー」
幹部の列の中から、一人の女が、一歩前へ出た。
「ふうん。あんたが、エルドね」
女は、俺の顎を指先でくいと持ち上げて、値踏みするように眺めた。
「アタシはディアーナ。ジェスターの序列三位。今日から、あんたの上司よ。……ああ、坊やって呼んだら、怒る?」
褐色の肌。艶やかな黒髪。豊満な体つきに、胸元の大きく開いた黒い装束。腕と足首で、金の装飾がきらりと光る。
「好きに呼んでくれ」
「あら、可愛くない。気に入ったわ」
ディアーナは、くすくすと笑った。その後ろに、四人の部下たちが並んでいる。警戒や好奇心の視線。
俺は、背筋を伸ばして、その視線を受け止めた。
「エルド・クレイス」
幕の奥から、再び声がする。
「君が、この国に求めるものは何だ」
「……真実を、暴きたい。そして、誰もが平等に暮らせる世界を作りたい」
「いい答えだ。その想いを、忘れるな」
声は穏やかだった。穏やかなのに、底が見えない。
「歓迎しよう、エルド・クレイス」
その瞬間、広間の全員が、胸に手を当てて、一斉に頭を下げた。
俺は、その中心に立っていた。
脳裏に、一瞬だけ、割れた窓の前で呆然としていた、あいつの顔がよぎる。
……振り返らない。
もう、決めたのだ。
☆
その後案内されたのは、岩壁をくり抜いて作った。小さな部屋だった。
石でできた机と椅子が並び、壁には古い地図。
「ここが、アタシの隊の部屋。今日から、あんたの居場所よ」
ディアーナが、扉を閉める。
「ビンゴ、あんたは帰んなさい」
「ちぇー! それじゃ、僕はこれで! またね、エルド君!
鈴を鳴らしながら、道化――ビンゴが去っていく。
それを見送ってから、部下たちが一斉に、顔の布や仮面を外した。
「……二本線」
全員、二本線だった。
「ガルムだ」
「ユイ」
「ヴィクスっす!」
「よろしく、新入り! バーンだ!」
ガタイがいい男、小柄な女、痩せ型で糸目の男、テンションが高いオレンジ髪の陽気な男が、口々に名乗る。
「みんな、貴族だったんだな」
「いいや、ちがうわ」
「え」
「アタシたち、みんなもとは平民よ。三本線で生まれた、ね」
「……!」
思わず息を飲んだ。
「魔術だって…………使えるわ。ほら」
ディアーナが、人差し指を上に向ける。ぼっ!と紫色の炎が灯った。
詠唱をしていないにもかかわらず、ゲイルの炎より、はるかに大きく、黒い。
「でも、どうやって」
「線は、消せる」
フィオナ先輩の線を増やすことができるんだ、消せても不思議じゃない、か。
「ただし、誰でもってわけじゃない」
ディアーナが、自分の額を、とんと指で叩いた。
「線は、魔力を封じる蓋。でも、素質のある人間は、体が線に抗うの。その証拠が、額が、チリッと熱くなること」
俺は、固まった。
アッシュを助けたとき、セラを助けにいったとき、ゲイルを助けたとき、たしかに、額が燃えるように熱かった。
「一度でも経験があれば、線を消せる素質がある。ここのみんなは、全員、経験してる。……あんたは?」
「ある」
「へえ。何回?」
「三回」
ディアーナの眉が、ぴくりと動いた。部下たちが、ざわつく。
そして、ディアーナは、面白そうに目を細めた。
「それは、期待できそうだわ」
素質の大きさで、消せる本数が決まるのだという。
「ここのみんなは、二本線になるまでが限界だった。素質が、二本線の人間と同じ程度、ってこと。私は一本線が限界だった。ただ、一人、あいつだけは例外」
もしかして。
「オーガ。あの上裸の男よ。あいつも、もとは三本線だった。でも、素質が、ゼロ本線だった」
「ゼロ本線……」
「線なしの、王族と同じ素質。だから、三本全部、消せた。消すには、リーダーが作る専用の筆で、額を撫でる必要がある。ただ、先に言っておくけど、激痛が走るわ」
ディアーナは、さらりと言った。
「安心して、叫んでも、泣いても、誰も笑ったりしない。ここのみんな、そうだったから」
部下たちが、苦笑した。
「ところで、エルド。アタシたちの目的は分かるかい?」
「民に真実を、教えること……?」
「それは、手段。目的は、もっと大きく、難しい」
褐色の指が、机の上を、一定のリズムで叩いている。
「世界中から、線を引く文化を、なくすこと……。はるか昔は、平民のほうが、貴族より魔術に長けていることも、普通にあった。だから貴族は、立つ瀬がなかった」
「……」
「それを嫌った貴族が、考え出したのが、魔術を封印すること。それが、線師の始まり。今は文化として定着して、誰も疑問に思わない。生まれて七日目に線を引くのが、当たり前だと、みなが思ってる」
アッシュの額に引かれた、三本の線が、脳裏に浮かんだ。
俺は拳を、強く握りしめた。
「簡単に言えば、アタシたちの計画はこう。貴族の額に違法線で線を増やして、魔術を使えなくする。そうすることで、人々に疑問を抱かせる。その波を世界に広げる。あとはどうなるかわからないけど、間違いなく王家の力は失墜するだろうね」
「だが、王子の魔術があるだろ」
「そう。その通り、王子の秘技は記憶を消せる。そうなったら、せっかくの疑問も、全部、なかったことにされる」
その記憶を消す秘技とやらを使われたらたしかに意味はない。
だが、王子が学生を大講堂に集めたということは、魔術の及ぶ範囲には限りがある。
「同じタイミングで各地の貴族に線をひけば、秘技も間に合わないんじゃ?」
「いい提案ね。そこで、言わないといけないのが、王族専用の貴族、ノワール家」
「ノワール家?」
「馬鹿みたいに強いのよ。あの家の人間に、うちの部下も、幹部も、やられた。ちょうど五年前」
そういうと、ディアーナは淡々と話し始めた。
この組織、ジェスターができたのは、ちょうど五年前とのことだった。
リーダーが線を増やす筆を完成させて、一人の貴族を捕まえ、実験を開始した。
実験は見事成功し、その貴族は魔術が使えなくなった。そして、その貴族を殺さずに帰した。それが後に命取りとなった。
その数日後、各地に幹部を配置し、同時に違法線を引く計画を立て、本番をむかえた。
だが、どこから情報が漏れたのか、ノワール家の貴族に待ち伏せされた。オーガを除いて幹部は捕まり、酷い拷問をうけ、あじとの場所を吐かされた。
そんなことは知る由もないジェスター本部は、乗り込んできたノワール家の連中に捕まり、ほとんどが惨殺された。
そこで生き残ったのが、ディアーナとオーガとビンゴとリーダーの四人。そこから再建を果たすべく、絶対に見つからないあじとを建て、人数を増やし、やっとここまでたどり着いた。
そして、魔術師殺しの剣を使う平民がいるという情報をビンゴから聞き、俺を勧誘した。
「じゃあ、まずそのノワール家をどうにかしないと」
「そう。そして、残念なお知らせ。違法線をあの女生徒に書いたことで……ノワール家が動き出した……アタシの部下も昨日、ノワール家に捕まった」
「……!」
「安心して、捕まったらすぐに服毒死するようにしているから。あじとがバレる心配はないわ」
服毒死って……。
この人たちは本気なんだ。
いかなる犠牲を払っても、世界を、変えようとしている。
「もう知っていると思うけど、王族は、魔術の制限がかかっていない。とんでもなく強いわ。幹部レベルでも、アタシが相打ちにできるかどうか、ってくらい」
「……」
「ええ。だから、あんたの剣が、必要なの」
俺も、覚悟は決めている。
「……こちらこそ、よろしく頼む」
「歓迎するわ、エルド」
俺たちが握手をした後、四人の部下たちが頷いた。
「明日の朝、リーダーのところへ行くわよ。筆の、準備をしてもらいに」
「それだが、……俺はこのままがいい」
「理由は」
「この三本線は、消したくない。絶対に忘れたくない人たちがいる」
「わかった。気が変わったらいつでも言ってくれ。線を減らすことくらい容易い」
☆
そうして割り当てられた個室は、ほとんど牢屋のような一つの部屋だった。
窓はなく、光は松明のみ、鉄のベッドだけ無造作においてあった。
そっとベットに横たわり、三本の線に触れる。
やはり気のせいではなかった。
この線は、ずっと、抗っていたのだ。




