第3話先手を打つ
イザベラが神殿に来て、三日が経った。
その三日間、クレアはただ観察していた。
イザベラの動きは、記憶の中と寸分違わなかった。朝は誰よりも早く祈りの間に現れ、神官たちに丁寧に挨拶をする。癒しの場では、派手ではないが確実に人目を引く仕草で力を使う。そして夕方には、必ず誰かと二人きりになる時間を作っていた。神官、書記官、下働きの者たち。相手を選ばず、少しずつ、糸をかけていくように。
前の自分は、それを社交性と思っていた。
今のクレアには、それが何に見えるか、分かっていた。
*
四日目の朝、クレアは薬師のもとを訪ねた。
神殿に出入りする薬師は、ロベルトという初老の男だった。無口で実直で、薬の調合に関しては誰よりも腕が確かだった。前の記憶では、この男がイザベラに脅され、病人の症状を偽装する薬を調合させられていた。家族を人質のように取られて、断れなかったと、最後の証言の場で震えながら話していた。
「ロベルト様」
薬師は、調合の手を止めて振り返った。
「聖女様。珍しい。何か、ご用でしょうか」
「少し、お話があります」
クレアは、静かに切り出した。
「最近、新しい方が神殿に来られているのはご存知ですか」
「イザベラ様、でしたか。……ええ、お見かけしました」
「もし、その方から何か頼まれることがあれば、私に教えてください。どんな些細なことでも」
ロベルトは、少し怪訝な顔をした。
「それは……どういった意味で」
「うまく説明できないのですが」
クレアは、正直に言った。嘘をつく必要はなかった。
「私には、少し、気になることがあります。あなたを困らせるようなことが起きる前に、手を打ちたいのです」
ロベルトは、しばらくクレアの顔を見ていた。それから、静かに頷いた。
「……分かりました。何かあれば、必ず」
*
次に、クレアは書記官のもとを訪ねた。奇跡の記録を管理する、神殿で最も地味な仕事をしている男だった。前の記憶では、イザベラの指示で記録を書き換えさせられていた一人だ。
「最近の奇跡の記録を、私にも写しを取らせてもらえますか。定期的に確認したいと思って」
書記官は、驚いた顔をした。これまでクレアがそんなことを求めたことはなかったからだ。
「も、もちろんです。聖女様がご覧になるのは、当然のことですから」
「ありがとう。それから、もし誰かから記録の変更を求められるようなことがあれば、必ず私に先に相談してください。どんな立場の方からであっても」
書記官は、小さく息を呑んだ。その反応が、クレアには十分だった。この男は、既に何かを感じ取っている。あるいは、既にイザベラから何らかの接触を受けているのかもしれない。
「……はい。必ず」
*
廊下に出ると、ちょうど角の向こうからイザベラが歩いてきた。
「あら、クレア様。こんなところで」
笑顔だった。完璧な笑顔だった。
「書記官の方とお話されていたんですか」
「ええ、少し確認したいことがあって」
クレアは、穏やかに答えた。
「イザベラさんも、神殿の記録には目を通しておくといいですよ。癒しの記録は、大切なものですから」
イザベラの笑顔が、ほんの一瞬、固まった。
「……そうですね。ご助言、ありがとうございます」
二人はすれ違った。クレアは振り返らなかった。
*
その夜、自室で羊皮紙を広げ、今日動いたことを書き留めた。ロベルトと書記官への話。イザベラの反応。記録の写しを手元に置き始めたこと。
まだ、証拠はない。
けれど、前の自分と違うのは、今度は先に動いているということだ。イザベラが糸をかける前に、その糸が届く場所に、既に別の手を伸ばしている。
クレアは、羊皮紙を折り畳みながら、静かに思った。
あなたが次に何をするか、私には分かっている。
今度は、一手先にいる。




