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白土海岸へ釣りに行きます。

 中学に上がり、行動範囲が広がった割に金が無かった僕は、真実に金の亡者だった。母から充分な小遣いは望めなかった。苦心した挙げ句の僕は、出かけた先で日銭を稼ぐのが習慣付いていた。自動販売機の釣り銭を漁るのである。自販機というのは意外に取り忘れが多いもので、釣り銭が出てくる口に手を突っ込むだけで、頻繁に収穫があった。たまには百円玉にありつくこともあった。これはみみっちい猫ババなのだと思いもしたが、しかし金は必要だった。あらゆる場所の自販機を探るうち僕は、特に海水浴場の自販機には取り忘れが多いという事実に気がついた。なぜ取り忘れるのかは未だにわからない。当時僕は、海で興奮した人たちが、はしゃぐあまりつい忘れるのだろうと漠然たる分析をしていた。

 その中でも特に白土海岸は、実入りのすこぶる良い、それこそ穴場のようなところだった。砂浜のすぐ入り口の自販機には、ほとんど確実に釣り銭が忘れられていた。一度など、実に八百円以上残っていたこともある。それで終わりではない。海までの砂浜には、見慣れない草がいくらもへばり着いていて、目を皿のようにして見れば、一体誰が落とすのか、その中に大抵、一円玉や十円玉が点々と隠れているのだった。

 僕が村山の誘いに乗ったのは、つまりそういう肚があったからだ。

 渓流釣りと違って、海までの道はごく平坦である。自転車に乗って行く途中、村山は変にニヤついていた。海風が強くなる辺りまで来て、いよいよ怪しむ僕に、村山は金を貸してくれと言い出した。五十円でいい、貸してくれんかねえ、お願い、赤虫がどうしても要るんよ、そう言って村山は僕を拝んだ。さてはこいつ、金のために僕を誘ったなと気づいた。忌々しいと思った。しかし僕の頭には、真っ白い砂浜で、次々に銭を発見する自分が思い浮かんだ。今日も収穫はあるのだと算用した僕は、気前よく貸してやると返事した。村山は大げさに喜んで見せて、村山らしからぬ機敏さで自転車を操り、小さな路地に入ると、一軒の小屋の前で急に停止した。 あまりに寂れていたので一見それと判らなかったが、そこはどうも釣具屋らしかった。村山は、ちょっと行ってくるよと先輩風を吹かして、引き戸の向こうへ入っていった。待つまでもなく、ほんの一、二分で村山は出てきた。何やら金魚すくいの透明な袋みたいなのを摘まんでいる。見ると、水の中に気色の悪い真っ赤なボウフラのようなものが無数に蠢いている。風呂のタイルの隙間にいる蛭にも似ている。僕は、二度と見せないでくれと吐き捨てて、先に自転車に跨った。

 確かこの日は、先に堤防の方へ行ったのだと思う。砂浜より随分右の方へ逸れて、村山は僕を波止の黒岩の上へ導いた。ここから釣るのだと言って、岩の縁に立って釣り糸を垂れた。海は黒々として、底が知れない。海独特の、不吉な臭気も漂っていた。横に二メートルもないような足場の左右、どちらにずれても海へ落ちそうな気がする。僕は思わずふらついて、身を固くすくませ、縁へは近づくまいと決めた。やはり海は恐ろしかった。そのまましばらく堪えたが、やはりまるで釣れない。村山はただ糸を巻いては首を傾げ、不気味な赤いボウフラを針に刺してはまた投げ込む。どうも釣っている村山の方でも、さして面白がっているようには見えなかった。むしろ焦っているようでさえあった。村山は、絶対に釣れる、面白いほど釣れると言って、勉強に忙しい僕を無理に連れてきた。それも本当は金を出させるためで、そういう下心があったのにまるで釣れない。僕の方を見れば不機嫌を隠しもしない。村山のような小心者には、周章狼狽して不思議の無い状況らしかった。一方の僕は恐るべき深海から一刻も早く遠ざかりたかった。こんな身動き取れない場所で緊張しているうちに、先に誰かが金を取ったらどうしようかと思った。僕は本来の目的である小銭探しに行きたい衝動に駆られていたのだった。それを村山のようないい加減なペテン師に阻害されて、僕は苛立っていた。僕があまり文句を言ったので、村山はこの日も坊主のまま、あっけなく切り上げてしまった。

 砂浜へ向かって自転車を押すうち、僕は朗らかになった。ついに例の自動販売機までやってきて、今度は僕が権勢をふるって、ほらこの自販機だ、必ず金がある、そう言って、釣銭口に手を突っ込んだ。本来透明なはずの釣銭口の蓋は日光に曝されて劣化し、くすんでしまって中が見えない。僕のような子どもにとって、見えないのがまた、余計に博打心を刺激したのだ。ところが指は空を掻いた。十円硬貨の一枚も残っていなかった。慌てて砂浜の方に駆け出して見回しても、やはり何も落ちていない。めくら滅法駆け回って、草の葉裏まで覗き込んでも、やはり一円の収穫もなかった。うろたえる僕に、村山は最初、おずおずと慰めの言葉をかけた。次いで、まあそんなこともあるよと調子づいた。大口たたいた割りにあてが外れたのが自分だけでなくなった村山は、最後には急激に元気づいて、今日はお互い残念だったね、砂浜の方にも生き物がいるから行ってみようじゃないかと、僕を先導した。釣りを辞めさせられた反動からか、むしろ僕より強くなったぐらいの気でいるらしかった。金を借りている立場も素知らぬふりの村山を、僕は忌々しく思った。そして、村山に乗せられて金をむしり取られた挙句、波止場で恐怖の目に遭うばかりだったこの日の無為な遠出を憎んだ。

 村山は砂地をえっちらおっちら進んでいって、その間二度は足を取られて靴下の中まで砂まみれにしたのだが、とにかく波打ち際までたどり着いた。村山は執念深くも一応釣り竿を持っていた。しゃがんでみると、恐ろしく小さな巻き貝が無数の黒い点になって見えた。貝だと言うと、よく見てごらんよ、歩いとるやん、それはヤドカリだよと村山が教えた。僕たちが近づいて、はじめは警戒していたヤドカリたちが、一匹また一匹と手足を外に出して、水中歩行を始めていた。村山は、浅瀬には小魚もいるかもしれないと言う。靴が濡れないように岩場を跳んでいった。弱くない日光に首筋を射されながら、僕はしばし、照り返す水面を透かして観察した。すると、地味な色の細長い魚が、右から左へすっと抜けた。目が慣れると、何匹もいる。村山は一瞬思案顔をして、無謀にも釣り竿に手をかけたが、さすがに分別をつけてやめたらしかった。僕も村山も、網があったらよかったと口々に無念がった。

 ついに現れた魚影に気勢を上げた僕たちは、砂浜を走って行って、もっと海の深いところまで覗けるような、背の高い岩場を目指した。水面から突き上げた黒岩を足場に伝っていくのだが、光の反射のために水中がよく見えない。すると村山はおもむろに荷物を頭の上へあげて、思い切りよく海に入ってしまった。膝のあたりまで浸かっている。潔癖の僕は、海の塩水のべたつくのを嫌って、最初あとを追わなかった。しかし村山がさも楽しそうに歓声を上げて、来てごらん、色々いるよ、大きな魚もいる、釣れそうだと呼ぶものだから、つい靴も靴下も脱いで、自分も海へ入ってしまった。

 岩場の海水は案外冷たかった。ごつごつしたところを避けて、砂地に足を下ろす。水中の砂は黒く、柔らかく、足を離すごとに巻き上げて、無尽に翻って水を濁した。すーっと楽しい気分になった。ゆっくり村山のところまで寄っていくと、こちらに背を向けた村山は、もう釣り竿を組み立てていた。

 しばらく粘ったが、どうしても釣れない。そのうち夕方になってきて、風が強くなった。吹き付けられた海面を、細かな波が真っすぐに進んでいく。水に浸かった足が指先から冷え始めて、芯から寒くなった。僕はぶるぶる震えて、もう帰ろうと言った。しかし村山は諦めない。もうちょっとだよと生返事して、餌を取り換えている。何度目かに糸を巻いたとき、耐えかねた僕は後ろを振り返って唖然とした。来るとき踏んだ足場が無い。消滅している。この時僕は、満ち潮という現象を初めて体験した。僕が叫び声をあげて、村山もようやく気が付いた。僕には、絶海の孤島に取り残されようとしているように感じたのだが、村山は危機感の無い男だ。ありゃま、とふざけた相槌を打って、のそりのそりと片付け始めた。はらはらするほどの鈍間である。折り畳みの竿の節が途中で引っかかって、なかなか縮まらない。そのうち、近くの大きな岩も沈んだ。その上へ置いた僕の靴が、靴下を中に入れたまま浮かんで、海面を漂い出した。村山はようやく竿を御すと、躊躇なく海へ飛び降り、もう腰まで来ている水をじゃばじゃばかきわけて戻ってきた。と思うとまた引き返して、懐を探っている。袋を取り出し、逆さにして中身を海に振り撒いた。袋から赤いものが落ちた。残った例の赤ボウを、気前よく海に還したのだった。ほうら餌だよと言う村山に、普段の卑しさは無かった。

このあと唐突に訪れたピンチは今も忘れません…。

応援よろしくお願いします。

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