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村山くんは元気にしているかしら。
宇部の西岐波に、白土海水浴場という砂浜がある。僕の家では皆、白土海岸と呼んでいる。家から車で十分か、十五分か、とにかく一番近いのが白土海岸である。だから海岸とか海とか聞くと、僕は幼少の頃から必ずこの白土海岸を思い浮かべるのだった。
海水浴場と言っても、田舎の、年中出入り自由の気楽なところだ。母に連れられて、僕は何度も行ったことがある。僕は水が苦手な子どもだった。特に海のような大水は恐ろしくてならない。一方の母は泳ぐのが好きで、大学の水泳部では、初心ながら数キロ泳いで海を横断したこともあるらしい。母は僕に海へ入るようしきりに勧めた。僕はいつも頑なに拒んだ。だから母は、海の水を触ってみるほか、綺麗な貝殻を集めるだけで満足せねばならなかった。
浅瀬のウミウシや、盆過ぎて打ち上げられたクラゲや、時たま竜の落し子なんかを見つけたときにだけ、僕は僅かに喜んだものだ。それも、水平線一杯に広がる黒々した大海が見えぬよう、背を向けて、常に気を張りながらではあったのだけれど。
やがて中学校にあがると、僕は友人と自転車を乗り回して、校区の外へ出るようになった。数人いた友人は誰も彼も冴えない連中で、それも僕は多人数だともて余すものだから、遊ぶ相手は決まって一時に一人二人、何の色気もない、極めて地味な交友だった。
村山は、その中でも殊更冴えない男だった。同窓の誰からも手厳しく取り扱われるような、至って意気地の無い、駄目な男だった。僕も村山には自然強気に出ることがあった。しかし僕の母は、稀に遊びにやってくる村山を、彼の眼前でもまた居らぬところでも、しきりに誉めた。それは村山に芸術と文学の秀でた才があるからだと、僕にもわかった。村山はこれまで、図画工作の授業において数々の凝った作品を生み出してきた。作文をしても、言うことに人を唸らせるような深みがあった。方々に展示された村山の作品が、芸術と文学とを愛する僕の母の目に留まらぬはずはなかった。他に、村山が不幸な境遇にある子どもだということも同情を引いたのかもしれない。村山は早くに父親を亡くしていた。村山というのは村山の母親の元の姓である。小学生の時に村山の父親が死ぬまで、村山は別の苗字だった。村山が、ある朝突然教卓の前に立って、今日から自分は村山だと名乗った衝撃は、今も忘れない。
僕とて、芸術の解らぬ子どもではなかった。だから村山を前にして、いくら表面ぞんざいに当たっても、内心では僕よりも才能があるのだと思って降伏していた。皆が村山を軽蔑するのを見て、審美眼の無い愚かな連中だと思って見下げた。実のところ、僕は村山を尊敬しさえした。
僕は表面、優秀な子どもとして通っていた。だから村山の母親の方でも、ああいう息子になってくれと家で僕の名を挙げるらしかった。と言っても村山から聞いた話だ。村山はおべんちゃらを使う男だから、真相は定かでない。ただ、母さんがまた君を褒めてたよなどと聞くたび、村山の家と我が家とで息子を交換すればいいと思ったものだ。
そういう訳だから、村山と僕の関係は案外良好だった。親が互いに誉めるから、自然息子同士も互いに好いた。それに僕にとっては、村山自身に、他の子どもとは違う魅力があった。村山は面白いことをいろいろと知っている男だった。僕の陰湿な心をくすぐるような、狂気的な漫画が描かれた紙切れを持っていたし、見たことのない不思議な動植物についていかにも興味をそそるような説明をしもした。甲虫採りの穴場や餌の知識が豊富なばかりか、卵からの生育についても独自の手法を確立させていた。村山によって教えられた面白いことは他にもたくさんあったが、そのうちの一つが魚釣りだった。
君も一度釣りに行かないかい、などと、子どもらしからぬ気取った言い回しで村山が誘ったのは、僕たちがまだ小学生のうちだった。聞いてみると、村山は普段から近所の川で釣るのだと言う。僕は水も嫌いなら、新しいことに挑戦するのも嫌いだったから、他の友人に誘われたのなら断ったかもしれない。だが村山の誘いには、不思議といつも気楽さがあった。行ってもいいという気に自然となった。約束した川へ駆けていくと、もう村山は釣糸を垂れていた。しばらく見学したが、一向に釣れない。ぼやく村山の握っている竿を見ると、その辺で拾ったらしい折れた物干しだった。それに凧糸を結わえて、針は安全ピンを曲げて代用し、その先に麩を刺している。村山手製の釣り竿であった。僕は釣りのことを何も知らなかったが、果たしてこれで釣れるのかと疑った。しかし村山が釣れると言うからには釣れるのだろうと思った。
途中で偶然同級のボンボンが通りがかって、村山の竿を見るや鼻で笑い、こき下ろした。ボンボンはちゃんと本式の釣竿を買ってもらって、これからもっと上流に釣りに行くところらしい。僕は村山を励まし、今に釣れると言ったように思う。僕たちは益々執念を燃やして、流れる水を一心に見つめだした。
一時間もして、結局一匹も釣れなかった。僕はさすがに飽きがきて、そんな竿じゃあ釣れないじゃないかと村山を斬って捨てた。
その日坊主の目に遭わされて以来、虫捕りや野球ばかりだった村山だが、中学に上がってまた僕を釣りに誘った。今度は本当に釣竿を手に入れたと自慢げだった。釣り場も近くの川じゃない、もっと大きな獲物が潜んでいる、とっておきの穴場だと言った。冒険心を掻き立てられた僕は、週末を楽しみに待った。まだ蚊の出ない、春の初めのことだった。
釣りの日になるまで、秘密の穴場とはどこなのか、村山は決して口を割らなかった。ついにその日が来て自転車で落ち合ったが、それでも村山はただついてきてくれと言うばかりだった。道のりは案外険しかった。まだ乗り慣れない大きな自転車で、山を二つ越えた。村山は僕よりよほど体力が無いのか、上り坂で息を切らした。ちょっと漕いだかと思うと、待ってくれと情けなく懇願して、すぐ自転車を降りた。往路だけで異様に時間を食った。
ついにたどり着いたそこは、十二歳の僕の目には、確かに穴場だと映った。川の支流を遡り、草を掻き分けると、渓流が急に現れた。絶え間なく鳥がさえずり、空気はひやりと湿度を湛えて、非常に気分のよいところだった。雨が去ったあとで、気圧高く、体調もよかった。そこで果たして釣れたのだったか、僕は覚えていない。村山が竿を占有してなかなか僕に寄越さなかったから、自分で釣った記憶はない。村山は一匹くらい釣ったかもしれない。やっぱり途中でもて余した僕を放っておいて、村山は勝手に何時間も釣糸を垂らしては巻き、していた。後で知ったが、そこは穴場でも秘境でもなくて、この辺りではよく知られた釣り場の一つらしい。しかも近くにもっとよく釣れるところがあるそうだ。知ったふりをしていまいち知らないのが村山という男だった。ともかく、その日も釣りの釣りたる面白さを僕が知ることはなかった。
それから一年以上経って、秋口だったかもしれない。村山は三度、僕を釣りに誘った。その頃僕は試験でいい成績を取ることに熱中していて、思えば人生で最も前向きな心もちで努力をした時期であった。一方の村山はいい加減勉強もせず、ますます怠惰で嘘臭い様相を呈していた。だから村山は、その頃の僕にとってさほど関わりたい相手ではなかった。近づけば、負の世界へ引きずられそうな気配があった。しかし今度はついに海で釣ると言う。餌も専用の活き餌を買って行こうよと言う。仕方なく、僕は承諾した。この時ばかりは、村山の口車が巧妙だったのではなかった。行き先の方に魅力があった。その行き先というのは、例の白土海岸だった。
今度こそ釣れるでしょうか。




