第4話 黒い茨の夜
襲撃者たちが次に選んだのは、王国の建国記念日だった。
聖堂の一件からは、ひと月が過ぎていた。
城には各地の領主とその供らが集まり、夜には大広間で祝宴が開かれる。人が増えれば、紛れ込む隙も増える。
カイルは客人と使用人の身元を洗い直し、食料庫から排水路まで隈なく調べさせた。その結果、黒い茨に繋がる者を三人捕え、予定されていた余興を二つ取りやめ、城内の警備を通常の三倍に増やした。
「窓を閉めたのはなぜです?」
祝宴へ向かう支度をしながら、リゼットが尋ねた。
扉と窓の警戒をやめないまま、カイルは答える。
「向かいの塔から狙撃される可能性があります」
「この部屋は四階ですよ」
「矢には関係ありません」
「暖炉を消したのは?」
「煙道から毒を入れられる恐れが」
「花瓶の花までなくなりました」
「鉢の土には術式を隠せます」
リゼットは小さなため息を吐いた。
「では、今夜のわたくしに許されているものは?」
「私です」
即答すると、髪を結っていた侍女の手が止まった。
鏡の中で、リゼットが目を丸くしている。
カイルは自分の言葉を振り返った。あまり正確ではなかったかもしれない。
「私が、すべて確認します」
「……ええ。そういう意味ですね」
なぜかリゼットは少し残念そうだった。
彼女が身につけているものは、靴から耳飾りまで確認した。祝いのために新調された淡い青のドレスには、銀糸で小花が刺繍されている。いつにも増して似合っていると思ったが、口には出さなかった。
「お似合いですよ」
代わりに侍女が言った。
リゼットは鏡から目を上げ、カイルを振り返った。
「そう思いますか?」
「動きにくさはありませんか?」
侍女が深いため息を吐く。
カイルはリゼットの足元に屈んだ。
「裾が長過ぎます。階段では必ず手すり側に。踵も普段より――」
「カイル」
「はい」
「似合いますか」
逃げ道を塞がれた。
「……よく、お似合いです」
「よかった」
リゼットは微笑んだ。
不意に、このまま連れ出してしまえればと思った。毒も刃も呪いもない、何者もその身を脅かさない場所へ連れて行くことができれば。
当然そんなことはせず、カイルはリゼットの手を取った。
自分は彼女の騎士だ。今夜も、自分が守ればいい。
祝宴が始まって一時間。異変はなかった。
二時間。客人たちは酔い始めていたが、不審な動きはない。
三時間目の針が回った時、大広間の全ての燭台が一斉に消えた。
闇が落ちる。
悲鳴より先に、カイルは素早くリゼットの腕を引いた。柱を背にして、自分の身体で覆い隠す。
「近衛、灯りを!」
命じた直後、正面の闇で空気が鳴った。
剣を抜き、飛んで来たものを弾く。床に針が落ちるような音がした。
次いで、方々から硝子の割れる音がした。甘く焦げた匂いが広がる。
「息を止めてください」
カイルは外套を外し、リゼットの鼻と口とを覆った。
ようやく、非常用の魔石灯に赤い光がともる。
その明かりのもとで、客人たちが倒れていた。胸は上下している。煙を吸って意識を失っただけらしい。だが混乱の中で、給仕の服を着た者たちが次々に剣を抜いていた。
薄闇の中でカイルは確かに見た。黒い茨の印をつけた剣だった。
「殿下を東塔へ!」
カイルの声に、ラウルたちが集まった。
王太子が近衛を率いて王と王妃を別の出口へと導く。正規の衛兵が逆賊を食い止めている間に、カイルはリゼットを抱えるようにして大広間を出た。
廊下にも煙は流れ込んでいた。
「東塔への階段は封鎖されています!」
先行した騎士がそう叫び戻ってくる。
「では西へ回る」
「西棟では火の手が上がっています」
「地下通路は」
「内側から門が落とされました」
カイルは奥歯を噛み締めた。城の構造と警備を知る者が、敵にいる。
「ならば、北の鐘塔を抜け、古い武器庫へ。あそこから外壁沿いに廚へ出られる」
「ですが、殿下は」
「歩けます」
リゼットが外套を下ろして言った。顔色は悪いが、目の光ははっきりしている。
「わたくしに構わず、急ぎましょう」
六人の近衛でリゼットを囲み、北へと向かう。
角を曲がるたびに敵と出くわした。
カイルは先頭で剣を振るった。一人目の手首を斬り、二人目の突きを身を捻って躱す。その勢いのまま足を払い、床へ倒れた男の剣を蹴り飛ばした。
背後で刃が鳴る。
振り返ると、リゼットへ伸びた槍をラウルが受け止めていた。カイルは槍の柄を断ち、敵の肩へ刃を突き刺す。
「先へ!」
剣を交える音。怒号。靴が床を蹴る音。
走るたび、リゼットの長い裾が揺れた。息は上がっている。いつもならば、とっくに休ませている距離だ。
それでも彼女は遅れずについてきた。
鐘塔へ続く回廊の手前で、前方の壁が爆ぜた。
ばらばらと石片が降り注ぐ。
カイルはリゼットを庇って床へと伏せた。背中に熱い痛みが走る。起き上がると、回廊は半ば崩れ、舞い上がった埃の向こうに十を超える敵がいた。
その中央に、黒い外套の男が立っている。
片方の頬が、焼け爛れたように引き攣れていた。忘れもしない。十二年前の事件で、呪術師の傍らにいた男だ。幼いカイルの剣から逃げた、ただ一人の術者。
「ようやく会えましたな、眠りの姫」
男が笑う。
リゼットの肩が微かに震えた。
カイルは彼女を背後へ隠した。
「オルバン」
名を呼ぶと、男は楽しげに目を細めた。
「覚えていたか。小さな従騎士」
「二度は逃さない」
「今度こそ、姫君をいただく」
オルバンが杖を床へ打ちつけた。
石床を黒い線が走る。細い線は枝分かれし、壁を這って、天井へと広がった。まるで姫が読み聞かせた物語のように。城が、黒い茨で覆われたかのようだった。
リゼットが短く息を呑む。
「殿下」
「大丈夫です」
そう答えながら、彼女は胸元を押さえていた。
カイルは即座に理解した。オルバンの術が、身体に残る呪いに影響しているのだ。
カイルの脳裏に、十二年前の光景がよみがえった。
石床に横たわる、小さな身体。青ざめた頬。閉じた瞳。
血に濡れた自分の手。
二度と、繰り返しはしない。
「ラウル、殿下を連れて戻れ。東階段が塞がっていても、王太子殿下の隊と合流しろ」
「お前は」
「こいつを止める」
「一人でか」
「経路を確保してから後を追う」
ラウルが何か言いかけるより前に、敵が押し寄せた。
カイルは踏み込んだ。
一太刀目で先頭の剣を弾き、二太刀目で空いた脇を薙ぐ。背後から迫る槍を身を沈めて避け、柄を掴んで敵ごと引き倒した。
「行け!」
近衛たちがリゼットを囲み、来た道を戻って行く。
鎧の合間で彼女だけが、何度も振り返っていた。
一瞬だけ、目が合う。
声は届かなかった。
だが、その唇が「カイル」と動いたのが見えた。
カイルは剣を避けながら、口角を上げてみせる。せめて心配させまいと思った。
その直後、脇腹に熱さを感じた。
「ぐっ……」
だが浅い。まだ動ける。
カイルは敵を斬り伏せ、黒い茨の中心に立つオルバンへ向かった。
剣戟と怒号が、崩れかけた回廊に反響していた。




