愛していません
「クレイグ様……」
「ビークロフト侯爵令嬢から話は聞いた。ようやく目を覚ましてくれたんだな」
そう言って、クレイグは満足そうに微笑む。
一体エメラインにどんな話を吹き込まれたのか……。
おそらく、エメラインにもクレイグにも都合のいいデタラメな内容なのだろう。
その時、背後から手が伸び、私の肩を掴んだ。
「リザちゃん! 大丈夫!?」
途端に上機嫌だったクレイグの顔色が変わる。
「ルシアン!? どうしてお前がここにいるんだ!?」
「それはこっちのセリフ。何しに来たの?」
しかし、意外にもクレイグは激昂することなく、勝ち誇ったような表情を浮かべる。
「俺はビークロフト侯爵令嬢に呼ばれてきたんだ。リザと再婚約をするためにな!」
「再婚約……?」
「まあ、お前にはもう関係のない話だ。さっさと帰ってくれ。俺はリザと大切な話がある」
その言葉を聞いたルシアンが不安げに私を見つめる。
面倒なことになったと内心で溜息を吐きながらも、さすがにもう終わりにしようと私は腹を括った。
「そうですね。私もクレイグ様にお話したいことがあります」
「リザちゃん……!」
「私は大丈夫です。ルシアン様は部屋の中でエメラ……待機をお願いします」
そう。部屋の中にはエメラインと闇魔法の香水にパニーニの魔法など、クレイグに見られては困るものが盛りだくさんなのだ。
私の言葉の意図を察したらしいルシアンがこくりと頷いてくれたので、私だけが部屋を出てクレイグとの話し合いに挑むことになった。
「ビークロフト侯爵令嬢はどこにいるんだ?」
クレイグを案内するように廊下を歩き、階段の手前で足を止めた私は、振り返りクレイグと向き合う。
「残念ながらここにはいらっしゃいません。クレイグ様は彼女からどのような話を?」
「どうって……リザは俺との婚約解消を後悔しているとビークロフト侯爵令嬢に相談していたんだろう? それで彼女が俺たちの仲を取り持ってくれると……」
やはり、予想通りの酷い内容だった。
「大変言いづらいのですが……クレイグ様は彼女に騙されて、ここへ呼び出されたのです」
「俺を騙す……? どうしてそんなことをする必要があるんだ?」
「私がクレイグ様との婚約を解消すると、エメライン様にとって都合が悪いからです。だから、私たちを再婚約させようとした」
「じゃあ、リザは……」
「私はエメライン様に相談なんてしていませんし、この場所にも無理やり連れて来られたんです」
クレイグは琥珀色の目を見開き、呆然とする。
「ですので、再婚約の話はなかったことにしてください」
「ま、待ってくれ! ちょうどいい機会じゃないか?」
「は?」
「どうせルシアンに何か吹き込まれたんだろう? リザだってあいつに騙されているんだ。俺たちの関係は歪なものじゃない。俺はちゃんとリザを愛してる! わかってくれ!」
「…………」
これまで、私はクレイグに嫌われていると思っていた。
だから、クレイグの意思を尊重している振りをして、婚約解消を推し進めてきたのだ。
もちろん、家格の差や賠償問題なども絡み、私から婚約解消を言い出せないという理由もあったが……。
どちらにしても『クレイグのために』婚約を解消するのだと彼に伝え続けてきた。
(それじゃあ納得してくれないはずだよね)
だって、彼は私との婚約継続を望んでいるのだから。
きっと、クレイグは私との婚約がうまくいっていると信じて疑っていなかった。
私も、自分の不満を彼に伝えようとしなかった。
もうクレイグとの婚約は解消されている。
私が本当の気持ちを伝えても、アビントン男爵家に迷惑をかけることはないだろう。
「ごめんなさい。私はクレイグ様を愛していません」
「何を……」
「私があなたの言いなりになっていたのは、あなたがサーヴィス伯爵令息だからです。我が家から持ち掛けた縁談を私から解消して家に迷惑をかけたくなかった。あなたを愛していたからじゃありません」
今度こそ、はっきりと決別を突きつける。
「やっぱりルシアンが……」
「ルシアン様は関係ありません。これはあなたに対する私の気持ちです」
「そんなはず……リザは騙されているんだ! ルシアンに!」
しかし、クレイグは私の言葉を認めようとせず、ルシアンに騙されていると主張する。
「だが、もうルシアンの言いなりになる必要はない。あいつは侯爵令息ではなくなったからな」
「え?」
「当主の署名が書かれたルシアンの除籍届が提出されたんだ」
「あ……」
以前、ルシアンが父親から署名入りの除籍届を渡されたと言って、制服の胸ポケットに入れた実物を見せてくれたことを思い出す。
(そんな……。あの除籍届が提出された? どうして……?)
しかし、ルシアンからはそのような話は聞いていない。
「学園からも退学が通告されるだろう。いや、もうすでに通告されているんじゃないか?」
そう言ってニヤニヤと笑うクレイグ。
そこに違和感を覚える。
たしかに、今日の放課後にルシアンは学園長から呼び出され、教師二人に学園長室まで連行されていた。
しかし、ルシアンは呼び出される理由に心当たりがないと言っていたのだ。
それに……。
「どうしてクレイグ様がそのことを知っているのです?」
「……噂だよ。あいつが勘当されるなんてことは誰でも知っている話だ」
「いえ、私が聞きたいのは、どうして除籍届の存在を知っているのかということです」
たしかに、ルシアンがランプリング侯爵家から勘当される話は有名だが、それは学園を卒業してからのこと。
このような中途半端な時期に、当主の署名が入った除籍届が存在すること事態がイレギュラーだ。
「そんなことどうだっていいだろう! あいつは平民になったんだ! もう、リザの側にはいられない」
クレイグは私の質問に答えない。
それが答えなのだろう。
どのようにしてルシアンの持つ除籍届を手に入れたのかはわからないが、提出をしたのがクレイグであると私は確信を持つ。
「ついに貴族籍すら失ったルシアンは『顔だけ令息』ですらないんだ! あんな男と一緒にいても未来はない。わかるだろ?」
「わかりませんね」
私はクレイグのことを愛していない。
だけど、婚約をしていた数年間は、なんとかいい関係を築けたら……と、そう思うくらいの情はあった。
だけど今は、自分のために平気で他人を陥れるクレイグを軽蔑する。
「あなたにとってのルシアン様は『顔だけ』なのかもしれません。でも、私の知ってるルシアン様は、自分が悪いと解ったらちゃんと謝ることができて、傷ついても相手を責めずに笑って、私のために危険な場所にも飛び込んで助けにきてくれる……そんな格好いい人なんです! 私にとってのルシアン様は顔だけなんかじゃない! 侮蔑しないで!!」
そう叫んだ瞬間、私の左頬に鋭い衝撃が走り、乾いた音が響いた。




