代償
「遅れてすまない」
息を荒げるヘレナはズレた色付き眼鏡の位置を直しつつ部屋の中を見渡し、私と目が合った瞬間に安堵の表情を浮かべる。
「リザは無事だったようだな」
「ヘレナ先生も来てくださったのですか!?」
「ああ。ルシアンと一緒にリザの乗る馬車を追跡していたんだ」
そして、エメラインの隙を付くためにルシアンが単身でこの部屋に乗り込み、ヘレナは外で待機していたのだという。
エメラインの纏う『香り』が闇魔法に関連しているのではないかと気付いてからの一週間。
私たちはなんとか証拠を掴もうと動いていた。
その一つが囮作戦である。
ちなみに囮になっていたのは私ではなくルシアン。
私がこの一週間学園を休んでいたのは、クレイグとの婚約解消の成立を待っていたのもあるが、囮になっているルシアンを守るための魔法を開発することが一番の理由だった。
まあ、狙われたのはルシアンではなく私で、危険な場所へ彼を飛び込ませることになってしまったのだが……。
そして、エメラインの動向に目を光らせていたヘレナが裏門から馬車に乗せられる私を発見し、慌てて追いかけてきたのだという。
「状況は?」
続くヘレナの問いかけに、ルシアンのおかげで闇魔法から解放されたこと。エメラインが発狂し香水瓶を投げつけ、それをパニーニの魔法で防いだのだと簡単に説明をする。
「それでビークロフト侯爵令嬢はあんな状態なのか……」
ヘレナの視線の先には、髪を振り乱し、床に座り込んだままぶつぶつと何事かを呟き続けるエメラインの姿があった。
「エメライン様はどうしてしまったんでしょうか?」
香水瓶を投げつける直前のエメラインの様子はあまりにも異常で、ルシアンに否定されたからという理由だけでは説明がつかないように感じた。
「おそらく闇魔法を使い続けたせいで精神に影響が出ているんだろうな」
ヘレナはちらりとルシアンへ視線を向ける。
「闇魔法が禁術扱いされているのは、他者を支配できる魔法そのものよりも、代償として術者自身が精神にダメージを受けるという理由が大きい」
「え……?」
以前、闇魔法使いが生まれるのは限られた血統の中だけだとヘレナが言っていた。
他者を操ることができる闇魔法。
使いようによっては国すらも揺るがす危険なもの。
実際に我が国の第二王子が操られてしまっている。
誰かが……それこそ国家が闇魔法使いたちを囲っていてもおかしくはない。
そうならなかったのは、闇魔法を使用し続けることで術者の精神は蝕まれ、やがて壊れてしまうからだった。
しかも、対象者を操り続ける限り、継続して魔法を使い続けなければならない……。
他者の精神に干渉する代わりに、自身の精神も食い潰される諸刃の剣のような魔法なのだ。
闇魔法使いの血統が途絶えてしまったのも、その辺りが原因らしい。
「あの、それって僕も……?」
「闇魔法を使い続けるといずれビークロフト侯爵令嬢のようになるだろうな」
恐る恐る問いかけるルシアンに、あっさりと答えるヘレナ。
ルシアンの顔が青ざめ、うるうると涙目になっていく。
「エメライン様はそのことを知らなかったのでしょうか?」
「ビークロフト侯爵令嬢が香水の製作者であれば当然知っていただろうが……。さすがに彼女がこんな代物を作れたとは思わない」
「…………」
つまり、エメラインは闇魔法のリスクを全く知らずに香水を使い続けていたことになる。
ヘレナは再びエメラインを見つめ、口を開いた。
「リザ。ビークロフト侯爵令嬢に保温継続魔法をかけることはできるか?」
「できなくはないですが……」
風の魔力によって創り出された半透明の膜は空気も通さない。
そのため、エメラインの呼吸が心配で長時間は難しいと説明をする。
「範囲を広くして空気を確保するのはどうだ?」
「なるほど! それなら可能ですね」
中身が零れた香水瓶と同じように、エメラインをパニーニの魔法で覆ってしまえば、彼女の纏う香水の香りに影響を受けることはなくなる。
さっそく私は床に座り込むエメラインへ向けて風の魔力を放つ。
そして、彼女を中心に広範囲に膜を張った。
「あとは魔術師団の連中に任せることにしよう。すでに連絡は入れてある」
それからは、ヘレナがレストランのスタッフに事情を説明するために部屋の外へ出る。
私とルシアンはパニーニの魔法の保持とエメラインの見張りとして部屋に残った。
(精神を蝕む……)
実際に目の当たりにした今、それは闇魔法に操られた時とは違った恐怖を覚える。
「あの、ルシアン様?」
「ん?」
「闇魔法はもう使わないでください」
私の言葉の意図を正確に汲み取ったらしいルシアンは、穏やかな笑みを見せた。
「大丈夫。もう使わないよ」
「絶対にですよ?」
「うん。別に闇魔法なんて使わなくても、お願いごとを聞いてもらう方法なんていくらでもあるからさ」
「…………」
いい笑顔で言い切るルシアン。
たしかに説得力があり過ぎる美貌である。
その時、部屋の扉がノックされた。
魔術師団員が到着したのだろうかと、私は返事をして扉を少しだけ開ける。
「リザ……!」
そこには、熱の籠もった眼差しを私に向けるクレイグの姿があった。
『これであなたの婚約も元通りよ』
『もうすぐサーヴィス伯爵令息様がここへ来てくださるわ』
この時になってようやく頭の中に響くエメラインの言葉の数々を私は思い出すのだった。




