ルシアンの魔法?
ランプリング侯爵家が後ろ盾となって婚約解消を推し進めているのは、たしかにルシアンのおかげだった。
だけど、それはルシアンに唆されたわけではなく、私とクレイグの関係に問題があったからで……。
それをクレイグに伝えなければ、ルシアンを逆恨みしてしまうかもしれない。
「ルシアン様は婚約解消の後押しをしてくれただけなんです! そもそもの原因は私たちの関係がこんなにも歪だからで……」
「歪……だと? 俺たちのどこが歪なんだ?」
「じゃあ、逆にお聞きしますけど……私を否定して理想を押し付け、少しでも気に入らなければ怒鳴りつける。これのどこが健全なんですか? 普通はお互いを尊重するものでしょう? だから、もう無理です。無理なんです。私はあなたの理想の婚約者にはなれない!」
結局、私は全てをぶち撒けてしまった。
すると、クレイグの顔から表情が抜け落ちる。
「リザは俺の婚約者だと……あの時、言ってくれたじゃないか」
クレイグの身体がぐらりと傾き、私に向かって手が伸びてくる。
そして、強く両肩を掴まれた。
「リザは俺を愛しているんだろ? だから俺が何を言っても応えてくれた! 愛情を示してくれていた! それを歪だなんて……そんなはずがない!」
クレイグの主張が何一つ理解できず、私は呆然と目の前の彼の顔を見つめる。
「きっと何か誤解があったんだ……。だって、俺たちは愛し合っているのに!」
その瞬間、ぞわりと肌が粟立つと、私は反射的に彼の身体を押しのけた。
クレイグの考えていることがわからない。
これまで、何年も同じ時間を婚約者として共有してきたはずなのに、彼と私の見えている景色があまりに違い過ぎて、本能的な恐怖を覚える。
そんな私の行動が気に食わなかったのか、舌打ちをしたクレイグがもう一度私に手を伸ばす。
その時だった。
「リザちゃんから離れろ!」
聞き慣れた声が響き、クレイグの動きが止まった。
駆け寄ってきた声の主に腕を引っ張られ、私はクレイグから無理やり引き離される。
そして、バランスを崩してよろめく私の視界に、輝く銀髪が広がった。
「ルシアン……!」
憎々しげに彼の名前を呼ぶクレイグ。
地面に尻餅をついた私は、信じられない思いで目の前のルシアンを見上げる。
そんな私を背に庇うようにして、ルシアンはクレイグと対峙した。
「リザちゃん、大丈夫?」
振り向くルシアン。
しかし、私は驚きのあまり声が出ず、地面に座り込んだままコクコクと頷くことしかできない。
そこへクレイグの怒声が響いた。
「お前こそ、俺の婚約者から離れろ!」
だが、ルシアンは怯むことなく言葉を返す。
「婚約者? 元婚約者になるんだろ?」
「それはお前の仕業だろうが!!」
「ルシアン様は関係な……」
しかし、否定の声を上げようとした私を、ルシアンが片手で制する。
そして、後ろへ下がるよう手で合図を送ってきた。
私はルシアンの指示に従い、座ったまま少しずつ二人から距離を取る。
その間もルシアンとクレイグの言葉の応酬は続いていた。
「人の婚約者に手を出そうとするなんて、ふざけるな!」
「ふざけてるのはお前だよ。手を出されてキレるなら、どうしてリザちゃんのことを大切にしなかった?」
「大切にしていたに決まっているだろ!」
「怒鳴りつけて自分の思い通りにすることのどこが大切にしているんだよ」
「うるさい! お前に何がわかるっていうんだ!!」
吠えると同時にクレイグはルシアンに飛び掛かり、胸倉を掴んで素早く足払いをかけた。
バランスを崩したルシアンはそのまま地面に背中を打ち付ける。
「ぐっ!」
痛みに顔を歪ませるルシアン。
そして、間髪入れずに倒れたルシアンの上にクレイグが馬乗りとなる。
身長はルシアンのほうがわずかに高いものの、騎士科のクレイグとは体格差も戦闘経験値の差も明らかだった。
「自慢の顔をボコボコにされたくなかったら、リザから手を引け!」
胸倉を掴んだままクレイグがルシアンを脅す。
すると、ルシアンは笑みを浮かべ……クレイグに向かって思いきり唾を吹きかけた。
「クソ野郎が!!」
激昂したクレイグは馬乗りのままルシアンの首を絞める。
ルシアンはクレイグの両腕を掴みながら必死に足をバタつかせ、馬乗りの体勢から逃れようと身を捩った。
「ルシアン様!」
私は地面から立ち上がり、クレイグを止めようと駆け出す。
ルシアンは苦痛に顔を歪め、身を捩りながら、今度は右手をクレイグの顔面に向かって伸ばして……。
その時、不思議なことが起こった。
突然、ルシアンの右手から黒い靄のようなものが現れ、そのままクレイグの顔面を包み込んだのだ。
すると、クレイグの動きがピタリと止まり、全身から力が抜け落ちたかのようにルシアンの体の上に倒れ込んでしまう。
「ハッ……ゴホッ!」
激しく咳き込むルシアンのもとへ私は駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「ゴホッ……だ、いじょ……ゴホッゴホッ」
ルシアンの首には赤い指の跡が生々しく残り、本気で首を絞めらていたことにゾッとした。
しかし、当のクレイグに視線を向けると、顔面……いや、頭部が黒い靄に覆われたまま、ピクリとも動かない。
理解不能な目の前の状況に固まっていると、ルシアンがクレイグの体を押しのけ、ズルリと這い出てくる。
「はぁ……。リザちゃん。ありがとう」
「いえ、お礼を言うのは私のほうです」
「リザちゃんを助けるつもりが、結局は僕が助けられちゃって……ほんと、情けないな」
「え?」
ルシアンの言葉の意味がわからず戸惑う私。
「私は何もしていませんよ」
「ん? これってリザちゃんの魔法じゃないの?」
そう言って、ルシアンが指差す先には頭部を黒い靄で覆われ、うつ伏せで倒れたままのクレイグ。
ちょっと不気味だ。
「違います! 私じゃありません!」
「だったら、誰が……?」
しかし、周囲を見回すも、他に誰かがいる気配はない。
「あの、私にはルシアン様の右手から黒い靄が放たれたように見えたのですが……」
「ええっ? 僕?」
この黒い靄が魔法によって作られたのだとすると、魔力無しのルシアンが魔法を放つ……というのはおかしな話である。
それでも、見間違えるような距離ではなかった。
その時、クレイグの頭部を覆っていた黒い靄が揺らぎ、やがて離散していく。
露になったクレイグの顔は瞳を閉じており、見た目に目立つ変化はなかったが、やはりピクリとも動かなかった。
(もしかして、死んで……)
私とルシアンは無言で顔を見合わせる。
そして、ルシアンがクレイグに近づき、その顔を覗き込んだ。
「死んで……ないね。気絶? いや、眠ってるみたい」
ルシアンと同じことを考えていた私は、ホッと息を吐き出す。
クレイグが生きていたことに安堵すると、次に気になるのは黒い靄の正体。
「じゃあ、さっきの黒い靄は相手を眠らせる魔法ということになりますね」
しかし、そんな魔法に心当たりはなかった。
(もしかして新しい魔法……? でも、そもそも魔力のないルシアン様が魔法を使えるはずはないし……だったら魔法じゃない全く別の可能性も……)
黒い靄について考え込み、ぶつぶつと呟く私に向かってルシアンが声を掛ける。
「ねぇ、リザちゃん。僕から一つ提案があるんだけど」
「は、はい。何でしょう?」
「とりあえず……クレイグが目覚める前に裏庭から離れない?」
「あ………」
たしかに、クレイグが目覚めてしまえば、またルシアンに危害を加える可能性がある。
こうして、眠ったままのクレイグを放置し、私とルシアンは急いで裏庭から立ち去るのだった。




