嘘つき
(何、これ……?)
思考が停止し、私はその場に立ち尽くす。
目の前の現実を受け入れられないまま、ただ抱き合う二人の姿を目に焼き付けてしまった。
すると、ルシアンに抱きしめられたエメラインが顔だけをこちらに向ける。
そして、私の姿を確認すると勝ち誇った笑みを浮かべたのだ。
(ああ……)
ようやく私の脳内が動き始める。
つまり、ルシアンの愛する人がエメライン自身であると彼女は私に伝えたかった。
そういうことなのだろう。
ふと、エメラインとの関係をルシアンへ尋ねた時のことを思い出す。
『喋ったことはあると思うけど……』
『まあ、さすがの僕も王子の婚約者に手を出したりしないよ。侯爵家どころか国からも追い出されちゃう』
しかし、ルシアンの言葉が全て嘘であったことを目の前の光景が証明してしまった。
自分の信じていたものが足元から崩れ去り、うまく呼吸ができない。
(ルシアン様とエメライン様は恋人関係だった……?)
しかも、エメラインは第二王子の婚約者。
二人の関係は絶対にバレてはいけない秘密だったのだろう。
(だったら私は……?)
自分の立場を理解すると同時に私は裏庭から立ち去った。
いや、もうこれ以上愛し合う二人を見ていられなくて逃げ出したのだ。
そのまま研究部室棟へ戻るも、出入り口を通り過ぎて校舎の裏手に回る。
周囲に誰も人がいないことを確かめると、途端に全身から力が抜け、私は校舎の壁を背にずるずると座り込んだ。
心臓がドクドクと音を立て、胸が痛いくらいに苦しい。
やがて鼻の奥がツンと痛み、目頭が熱くなって涙が零れた。
つい先日、ルシアンから好きだと告白されたのに。
彼の過去を聞き、一緒に過ごす未来を考えて欲しいと言われたのに。
(嘘つき……嘘つき嘘つき嘘つき!)
激しく醜い感情が胸の内にどんどん膨らんで、涙が止まらなくなる。
声を漏らさぬようグッと奥歯を噛み締め、荒い呼吸を繰り返す。
どうして、自分一人だけがルシアンに好意を寄せられていると思ってしまったのだろう。
ルシアンは人をその気にさせるのが上手い。
自分だけが特別だと思うな。
エメラインから、そう忠告を受けていたのに……。
いや、ルシアンに陰ながら恋心を抱いている内の一人だと、私がエメラインの立場を勝手に決めつけてしまっていた。
だから、彼女の言葉をまともに取り合わなかったのだ。
そこへ、さっき見たばかりの二人の姿が頭の中にフラッシュバックする。
ルシアンはまるで舞台俳優のような振る舞いで、恋愛小説に書かれているセリフのように甘い言葉をエメラインへ贈っていた。
(知りたくなかったな)
だって、私に対する態度とはまるで違う。
やはり本命の恋人はエメラインで、私は……。
(何だったんだろう)
卒業後の扶養先なのか、エメラインとの仲を隠すためのカムフラージュだったのか……ただ単に適当に口説いてみただけなのかもしれない。
(もう、何でもいいや……)
理由が何だろうと、彼に裏切られたことに変わりはなく、考えたところで虚しくなるだけ……。
きっと、ルシアンに翻弄される私の姿は、エメラインの目にさぞや滑稽に映っただろう。
再びドロドロとした感情が湧き上がる。
そして、この醜い気持ちの正体が何であるのかを私は知ってしまった。
嫉妬だ。
私は、ルシアンに愛されているエメラインに嫉妬している。
それは私が彼に惹かれている証拠でもあって……。
気づきたくなかった。
こんな思いをするくらいなら、好きになんてなりたくなかった。
だけど、芽生えてしまった感情を簡単に消し去ることはできなくて……ただ胸の痛みにひたすら耐えるしかなかったのだ。
◇
ひとしきり泣いたあと、私はようやく立ち上がる。
いつまでもここで蹲ったままではいられない。
涙の跡がバレないようハンカチで念入りに目元を拭き取り、私はフラフラと研究部室棟の出入り口へ向かう。
ヘレナに一言断りを入れて、今日はもう帰らせてもらおうと思ったからだ。
「あ! リザちゃん!」
すると、満面の笑みを浮かべたルシアンが、手を振りながらこちらへ駆けてくる姿が見えた。
「遅れちゃってごめんね!」
私の前で足を止め、彼は申し訳なさそうな表情で謝罪の言葉を口にする。
それは、いつも通りのルシアンだった。
どうやら彼は、裏庭の逢瀬を私に見られていたことに気がついていないようで……。
「あれ? 目が赤いけど、どうしたの?」
しかし、気遣わしげな彼の言葉に、ようやく落ち着かせたはずの感情がぶり返す。
慌てて口元をぎゅっと引き締め、溢れてしまいそうになる激情を抑えつけた。
(もう、騙されない……!)
そして、必死に平静を装い、何も知らない振りをして彼に問いかける。
「別に何でもありませんよ。それより、どうして遅れたのですか?」
情けないことに、わずかに声が震えてしまう。
ルシアンは不思議そうな表情をしながらも、私の問いに答えるべく口を開いた。
「ああ、それは……」
そこでルシアンの言葉が止まる。
「あれ? 僕、どうしてたんだっけ? 気づいたらこんな時間になっちゃってて……」
そう言いながら眉を下げ、困ったように笑う。
そんな彼の白々しい演技を前に、カッと頭の奥が熱くなった。
「ほんと、嘘ばっかり」
「嘘って……?」
聞き返すルシアンを無視して、私は言葉を続ける。
「私、もう料理を教えることができなくなりました」
「え?」
「ヘレナ先生が魔法開発課への推薦状を用意してくださったので、新たに論文を書かなくちゃならないんです」
「そうなんだ! よかったね!」
我がことのように喜ぶルシアン。
「それじゃあ、論文が完成したら僕と……」
「いえ、もうルシアン様とは会いません」
私はきっぱりと言い切る。
「自立のお手伝いをすると言っておきながら、中途半端になってしまったことは謝ります。でも、これから私は私の未来のために生きていきます。一人で」
「えっ……? 急にどうしたの……?」
「理由は……ルシアン様が一番わかっていると思います」
「理由って? 一体、何のことを言って……?」
困惑に揺れる薄紫の瞳を私はじっと見つめる。
──あなたが本当に愛しているのはエメライン様だから。
その言葉を私はぐっと飲み込んだ。
「ねぇ、リザちゃん」
何も言わない私に焦れたのか、ルシアンがこちらへ手を伸ばす。
その時、ルシアンから甘い香りが漂った。
それは記憶にある香りで……。
(これってエメライン様の……?)
再び脳裏に抱き合う二人の姿が浮かぶ。
その時に香りが移ってしまったのだろう。
気付いてしまったら、もうダメだった。
「さっき、裏庭でルシアン様を見かけました」
「え……?」
そう言葉にするのが精一杯で……。
そのまま伸ばされた手を振り払うと、ルシアンはショックを受けた顔になる。
なぜ、彼がそんな表情になるのかわからない。
だけど、限界だった私はルシアンに背を向けると、彼のもとから走り去った。




