愛する人
「ああ、来たか」
古代魔法研究部の部室の扉をノックすると、気怠げな様子のヘレナが顔を出す。
「あの、ルシアン様は……?」
「まだだな」
「そうですか……」
そのままヘレナとともに備品室の中へ入り、なんとなくソワソワした気持ちでキッチンの前に立つ。
すると、ソファにどっかり座ったヘレナから声をかけられた。
「そういえば、婚約解消はどうなった?」
「父からはまだ連絡はありませんが、どうやら話は順調に進んでいるみたいです」
「よかったじゃないか。それで? 次はどうするつもりなんだ?」
「もちろん、王城魔法研究所への就職を希望しています」
「ルシアンはいいのか? あんなに懐かれているのに」
ニヤニヤと笑うヘレナに、私は自身の顔が熱くなるのを自覚する。
ここ最近のルシアンはヘレナの前でもお構いなしに私を口説こうとしていたので、何ら反論することはできなかった。
「まあ、自分で決めたなら構わない」
そう言うと、ヘレナはポケットから一通の封書を取り出し、目の前のテーブルの上に置いた。
私はテーブルに近寄り、その封書を見下ろす。
「これって……?」
「魔法開発課への推薦状だ」
「……っ!」
バっと顔を上げると、色眼鏡のレンズ越しにヘレナと目が合った。
「ただし、一度は断っている手前、できれば前回と同じクオリティの論文も添えて出したい」
そう。私の論文が受賞したことをきっかけに助手はどうかと声をかけられたのに、クレイグとの結婚を理由に断らざるを得なかった。
恥を忍んでもう一度お願いするのだから、新たな論文を用意するのは当たり前のこと。
「わかりました。ヘレナ先生、ありがとうございます!」
「本当は古代魔法研究課に来て欲しいくらいなんだがな」
そう言って、ヘレナは推薦状を再びポケットへ仕舞う。
「それで、研究テーマはどうする?」
「そうですね……」
卒業までに内定を決めるとなると、もうあまり時間は残されていない。
すぐさま私は思考を巡らせる。
(前回の研究テーマとは全く違うものを用意したほうがよさそう)
私が発案した『自動追尾魔法』は実現可能であるとの結論を出したものの、追跡距離や魔法の発動継続時間など改善しなければならない問題も多く、引き続き研究テーマとしても使えるのだが……。
今回は、あくまでも私を売り込むための論文。
そう考えると、全く違った研究テーマのほうが目を引くのではないかと思ったのだ。
「生活に役立つ魔法なんてどうでしょう? 例えば、冷めてしまったパニーニを温め直す魔法とか」
「面白いとは思うが……インパクトが足りないな。それに魔導具で代用ができそうだ」
いつもなら思いついたことを自身の頭の中で広げ、まるで壁打ちのように自問自答しながら思考を纏める。
だが、ヘレナが側にいる時だけは、私は思いつきを全て口に出し、それに彼女が応えることでイメージを膨らませていく方法をとっていた。
「ええっと、それじゃあ……」
パニーニを話題に出したからか、頭に浮かぶのはルシアンと買い出しに出掛けた日の出来事ばかり。
女性に絡まれ、大量のおまけを受け取り、冷たい果実水を飲みながらベンチで会話を……。
(あ……!)
そこでルシアンの過去の話が頭の中で引っ掛かる。
「魔力の有無って、どうやって決まるんでしょう?」
「んん? また前振りもなく話が飛ぶな」
「すみません。ルシアン様のことを思い出してしまって……」
「ああ。魔力無しか」
「はい。遺伝だという説が有力なのはわかっているんですけど、だったらどうしてルシアン様は魔力を持たなかったのか気になってしまって」
私の実母は平民で魔力無しであった。
それなのに私が全属性の魔力持ちなのは、実父から受け継がれた血のおかげだろう。
逆にルシアンは両親も兄二人も、おそらく祖父母も魔力持ち。
それなのに魔力を持たずに生まれた。
「もちろん、イレギュラーだと言われてしまえばそれまでなんですけど……」
「面白そうだが、さすがに壮大過ぎるテーマだな」
「やっぱりそうなりますよね」
暗に時間が足りないとヘレナに指摘される。
「いや、待てよ。たしか魔法開発課に似たような研究をしている奴がいたな……」
「え?」
ヘレナの話によると、その研究者は『魔力の譲渡』に関する研究をしているのだという。
研究内容は言葉のとおり魔力を他者へ受け渡す方法について。
しかし、それは魔力を持つ者同士だけでなく、魔力を持たない者への譲渡も含まれており、魔力の有無そのものについての研究も進めているらしい。
「意外と、このテーマはアリかもしれないぞ」
実際に魔法開発課の研究者が興味を持っている分野ならば、目を留めてくれる可能性が高い。
「よし、話を聞いておいてやる」
「いいんですか!?」
そのまま話がまとまり一段落が着いた頃、ふとヘレナが扉に目をやりながら口を開いた。
「そういえば、アイツ……今日は遅いな」
アイツとはもちろんルシアンのことである。
論文のテーマに夢中になってしまっていたが、いつもならばとっくにルシアンが顔を出している時間で……。
その瞬間、私の思考は現実に引き戻された。
「忘れているんじゃないか?」
「そんなはずは……私、ちょっと外を見てきます!」
そう言って備品室を出た私は、部室の扉から廊下を覗いてみるもルシアンの姿は見当たらない。
これがエメラインの言葉を聞く前だったなら、約束を忘れてしまったのだろうと軽く考え、彼を探しに行こうだなんて思わなかったはず。
だけど、今はルシアンの姿が見えないことがこんなにも不安で……。
そのまま研究部室棟の出入り口に向かうもルシアンの姿はなく、嫌な予感が私の胸の中にじんわりと広がっていく。
『明日の放課後、裏庭に来れば真実がわかるわ』
昨日のエメラインのセリフが蘇り、それを無視することができなくなってしまった私は、焦るような気持ちで裏庭へ走る。
すると、そこには向かい合う男女の姿があった。
(あれって……)
銀髪に薄紫色の瞳を持つ美貌の青年が、淡い水色髪の女性に向けて片手を伸ばし、その頬にそっと触れる。
「エメライン。僕の愛しい人。どうかその美しい瞳に僕だけを映して」
エメラインが恥ずかしそうに顔を上げ、目の前の彼を見つめながら名前を呼ぶ。
「ルシアン様……」
「今だけは僕だけのものになってほしいんだ」
「はい……」
そう言って抱き合う二人の姿は、まるで舞台のワンシーンかのように美しかった。




