謝罪と撤回
広場から続く大通り沿いには屋台がひしめき合い、生鮮食品や加工食品、衣類や本に雑貨や花など様々な商品が並べられ、多くの人々が行き交う市場は活気に溢れていた。
「あの、そろそろ手を離してもらっても……」
ルシアンに手を引かれたままの私は、彼が足を止めたタイミングで声をかけるも、なぜか余計に指を絡められてしまう。
「まだ繋いでちゃダメ?」
甘えるようなルシアンの仕草と声に再び翻弄されそうになるのを私はグッと堪える。
「それだと買い物ができませんよ」
そして、ピシャリと言い放つと、ルシアンは渋々といった態度でようやく繋いだ手を離してくれた。
ホッと息を吐いたあと、平静を取り戻した私は仕切り直しをするべく本来の目的を口にする。
「それでは、ここで買い物をしましょう。まずは私がお手本を見せますね」
アビントン男爵家に引き取られてからは、街へ買い物に行く時にもメイドの付き添いが必要になった。
ルシアンのような高位貴族ともなると、自身で金銭のやり取りをした経験すらないのかもしれない。
ましてや平民が利用する市場なんて足を踏み入れたこともないだろう。
だから私は幼子に教えるように、値札の確認やお釣りの受け取り方などを一つ一つ丁寧にルシアンに説明しながら買い物をしてみせる。
「じゃあ、今度は僕がやってみるね!」
ルシアンは銅貨を握りしめると、トレーの上にいくつものパンが並べられた屋台へ向かう。
私はそれを後方で見守っていたのだが……。
「あんた、本当にいい男だね! ほら、これも持っていきな!」
「あ、あの、これ、うちの新商品なんです! よかったら食べた感想を聞かせてください!」
「ねぇ、このあと時間あったりするぅ? あたし、あと一時間で休憩なんだけどぉ?」
ルシアンはパンを一つ買い求めただけである。
それなのに、彼の美貌に吸い寄せられるかのように別の屋台からも女性が集まり、ルシアンの腕の中には「おまけ」と称した様々な商品が積み上げられていく。
「市場って親切な人が多いんだね」
「…………」
別に私が教えなくても、案外ルシアンは平民として強かに生きていけそうな気がした。
◇
(疲れた……)
ルシアンに群がる女性たちを振り切り、なんとか市場での買い物を終える。
そして、屋台で買った昼食を食べるつもりが市場周辺のテーブルは満席で、仕方なく十五分程歩き人気のまばらな公園のベンチに辿り着いた。
「僕、飲み物を買ってくるよ」
「え? 一人で大丈夫ですか?」
これは一人で買い物ができるのかという心配よりも、また女性に絡まれるのではないかという意味での「大丈夫ですか?」だ。
「さっき見かけた屋台は店主が男性だったから。リザちゃんは荷物番をお願い」
「わかりました」
ルシアンは公園周辺に並んでいる屋台へ向かい、私は鞄と買い出しの荷物を置くと、ベンチに座ってやっと一息つくことができた。
そして、熱々を食べるつもりで買ったチーズたっぷりのパニーニを紙袋から取り出す。
(あーあ。冷めちゃってる)
パンの間からはみ出た具材と固まったチーズを恨めしい気持ちで見つめる。
すると、ふとした疑問が頭に浮かんだ。
(これ、魔法で温め直せないかな?)
まず、最初に思いついたのは火魔法で熱を加える方法。
そもそも、パンに具材を挟んでから、火の魔石を使ったコンロの上に鉄板を置き、熱を加えてパンの表面を焼くというのがパニーニの調理方法だ。
ちなみに魔石とは、魔法を吸収し蓄えることのできる特殊な鉱石で、魔力を持たなくても魔石を使用することで魔法と同等の効果を得ることができる。
魔石を使用した道具は魔導具と呼ばれ、庶民の生活にも当たり前のように根付いていた。
(同じように火魔法で熱を加えて……。でも、直接火魔法だとパンの表面だけが焦げちゃいそう)
焼きたいのではなく、温め直したいのだ。
疑問の解を求め、芋づる式に次々と思考が引き出されていく。
その時、突然二つのカップが目の前に差し出された。
「リザちゃん。大丈夫?」
「へ……?」
私が考えごとをしている間に、ルシアンは飲み物を買い終えていたようだ。
「真剣な顔で考え込んでるから……何かあった?」
「いえ、違うんです! パニーニが……!」
「パニーニ?」
ひとまず、差し出された果実水の入ったカップをルシアンから受け取り、私はお礼の言葉を述べる。
彼も手にしたカップから果実水を一口飲むと私の隣に座った。
「それでパニーニがどうしたの?」
「パニーニが冷めてしまったので、どうにか魔法で温め直せないかと考えていました」
「ええっと……僕は魔法のことがよくわからないんだけど、火魔法を使って焼けばいいんじゃない?」
「それだとパンの表面が焦げてしまいそうで……このチーズの部分をトロリとさせたいんです」
「んー……それは難しいなぁ。だったら、蓋をするのはどう? ほら、リザちゃんが教えてくれた目玉焼きの作り方みたいに」
「蓋……! なるほど!」
フライパンの上に卵を割り入れ、蓋をして弱火で加熱をする。
それと同じようにすれば、火魔法の熱がパニーニの中心部にも通るはずだ。
「火魔法と同時に風魔法でパニーニを包み込んで熱を逃さないようにすれば……。ああっ! それなら最初から風魔法で包んでおけば冷めなかったのかも!」
「ふふっ。焼き立てまで時間を戻せる魔法があればいいのにね」
「その辺りは古代魔法の領域ですね」
「え? 時間を戻す魔法なんてものがあったの?」
実際に時魔法の存在が認めれたわけではない。
しかし、未来を予知する預言者や他者を支配する闇魔法、長距離を一瞬で移動できる空間魔法など、不可思議な魔法が伝承として残っているのは確かなのだ。
そんな話をペラペラとルシアンに話して聞かせていると、彼が柔らかく目を細める。
「リザちゃんは本当に魔法が好きなんだね」
「あ……すみません! 私ったらまた喋り過ぎてしまって」
「ううん。リザちゃんの好きなものが知れて嬉しいよ」
「…………」
クレイグと二人で出掛けた時、私が別の何かに気を取られていると「俺の前でぼんやりするな!」と叱られ、魔法の話をすると「他の話題にしろ」と冷たくあしらわれた。
きっとルシアンもパニーニを温め直す魔法なんて興味もないだろうに、嫌な顔一つせずに私の話を聞いてくれている。
ただ、それすらも私に好意を持たせるための演技で、全てが偽りなのだと思うと、途端に虚しい気持ちになってしまった。
「あの、私を好きになったフリはもうやめてください」
「え……?」
「そんなことをされても、あなたを養うつもりはありませんから」
思わず口から零れたのはルシアンを拒絶する言葉。
自分から彼の嘘に気がついていると告げ、ルシアンを突き放す。
すると、薄紫の瞳の奥が揺れ、何かに気づいたかのように小さく「あ……」と声を漏らす。そして、ルシアンは俯きながら両手で自身の顔を覆った。
「そっかあ……。そうだよね。そんなふうに思われても仕方がないよね」
蚊の鳴くようなルシアンの声が、顔を覆った彼の指の隙間から零れる。
「僕も、これまで数え切れないくらい好意を寄せられてきて……。僕自身のことをたいして知りもしないくせに、どうして顔だけで簡単に好きになれるんだろうって思ってたんだ」
「…………」
「でも、いざ自分がリザちゃんのことを好きになったら、理屈じゃないっていうか……。もちろん見た目も可愛いと思うし、中身だってカッコよくて……だけどリザちゃんの全部を知っているわけじゃないし……。ああ! 自分で何を言ってるかわかんなくなってきた!」
顔を上げたルシアンはもどかしそうに髪をかき上げ、私の顔を真っ直ぐに見つめる。
「まず、養ってほしいっていう言葉は撤回させてほしい。本当にごめん!」
そう言って、ルシアンが私に向かって頭を下げた。
「頭を上げてください! 私はその場でお断りしましたし!」
「でも……今思うとすごく失礼な発言だった」
「まあ、それは否定しませんけど」
「うん……。あの時は「卒業したら誰かに養ってもらわなきゃ」って……そんなことしか考えてなかったから。今は、その、ただリザちゃんの側にいたいっていうか……」
モジモジしながらちらりと私の表情を伺うルシアン。
「僕たちは出会ったばかりで、きっとお互い知らないことのほうが多い。だから……だからこそ、これからリザちゃんのことをいっぱい知りたいし、僕のことも知って欲しいって思ってるんだ」
そう言って、私を見つめる薄紫の瞳はただただ真っ直ぐで……。
だからこそ私は混乱してしまう。
ルシアンは私を騙すために演じ続けているのだろうか。
それとも……。
(もし、この言葉が全部本物だったら……)
迷いながらも私はルシアンの言葉の続きを待った。




