第二十四話 剣に残された記憶
握り直した短剣の柄には、まだ細かな砂がついていた。
掌に食い込むざらつきと、頬を撫でる熱い風。そのどちらも確かに感じているのに、凌華の胸には、今いる場所とは違うどこかで味わったような痛みが残っていた。
血に濡れた手が見えた。
剣を抱き締めていたような気がした。
けれど、誰の手だったのか、誰を呼ぼうとしていたのかは分からない。思い出そうとすると、形になる前に煙の向こうへ消えてしまう。
「凌華。歩けますか」
すぐ傍から声をかけられ、凌華は顔を上げた。
陸議の手が、まだ彼女の腕を支えている。こちらを見る眼差しは落ち着いていたが、身体は敵に向けられたままで、剣先も下がってはいなかった。
今は立ち止まっている場合ではない。
凌華は足の裏で地面を確かめ、短く頷いた。
「……うん。もう大丈夫」
そう答えても、陸議の手はすぐには離れなかった。彼は凌華が自分の足で立てていることを確かめてから、敵との間へ半歩進み出た。
その肩越しに、黒い鞘が見えた。
敵将は炎を背に立ち、こちらの動きを窺っている。手にした鞘の表面を赤い光が滑るたび、凌華の背中にある長剣が、普段より重く感じられた。
「ようやく分かったか。その剣が何であるか」
凌華が答えるより先に、陸議が口を開いた。
「その鞘は、どこで手に入れたものです」
「お前が知る必要はない。曹操様が以前からお持ちになっていたものだ」
「それだけで、こちらの剣の鞘だと?」
敵将の口元に薄い笑みが浮かんだ。
彼がわずかに手首を返すと、鞘の口に近い金具が火明かりを受けた。そこに刻まれた文字を、凌華は目を凝らして追った。
伯符。
読み取れた瞬間、喉が強張った。
『……間違いねえ』
声は、凌華の耳にだけ届いた。
彼女は背中へ手を伸ばしかけ、短剣を握っていることを思い出して止めた。
「孫策……」
『今はそいつを見てる場合じゃねえ。話なら後でいくらでもしてやる。まず、ここを出ろ』
いつもの軽さを抑えた声に、凌華は唇を引き結んだ。
知りたいことは幾つもあった。どうして曹操が持っているのか。なぜ、その鞘を見た途端にあんなものが見えたのか。
けれど、それを確かめるために、隣にいる人を危険に晒していいはずがなかった。
「剣の声ですか」
陸議が、敵から視線を外さずに尋ねた。
「うん。今は逃げろって」
「では、その忠告に従いましょう」
陸議が兵へ合図を送った。
後方の兵が退路を確かめ、前に残る者たちが盾を構える。その動きに気づいた敵将が、低く命じた。
「逃がすな」
兵が踏み込んできたのと、陸議が凌華を背後へ下がらせたのは、ほとんど同時だった。
刃がぶつかり、鋭い音が耳元を裂いた。
凌華は息を呑みながらも、横から回り込もうとした兵へ身体を向けた。振り下ろされた刃を短剣で受け流し、踏み込んだ相手の腕をもう片方の短剣で牽制する。
怖さが消えたわけではない。
それでも、足は動いた。陸議や呂蒙に繰り返し直された姿勢が、考えるより先に身体を支えてくれた。
「下がって!」
凌華の声に、傍の兵が身を引いた。
その隙間へ陸議の剣が走り、敵を押し返す。彼は凌華の位置を確かめると、今度こそ彼女と並んで後退を始めた。
「礼を言えばいいのか、叱ればいいのか迷いますね」
「……両方、後にして」
「承知しました。忘れませんので」
こんなときまで律儀に答える声に、凌華はほんの少しだけ呼吸を取り戻した。
しかし、背後から新たな足音が響いた瞬間、再び肩が強張る。
「こっちだ!」
聞き慣れた声が、煙を突き破った。
呂蒙だった。
彼は数人の兵を率いて駆けつけると、追いすがる敵の前へ出た。大きく振るわれた武器に敵兵が怯み、その間に味方の隊列が立て直されていく。
「呂蒙さん!」
「迎えに来る手間をかけさせるな。船の方まで敵の動きが変わったのが見えたぞ」
「申し訳ありません。合図は届きましたか」
「ああ。だから来た。話は戻ってからだ」
呂蒙の視線が凌華の顔を捉え、次いで、その両手にある短剣へ落ちた。
「走れるな」
「うん」
「なら行け!」
凌華は頷き、陸議とともに退いた。
そのとき、川から吹きつけた風が、火の粉を大量に運んできた。
燃えながら流れてくる船が、岸近くの船へぶつかっている。積まれていた物資に火が移り、乾いた音を立てて炎が広がった。倉の屋根に落ちた火の粉が、煙の中で幾つも赤く瞬いていた。
最初に見た、敵が焚いていた誘いの火とは違う。
今はもう、火そのものが人の思惑を離れて動いていた。
凌華は振り返った。
黒い鞘を持つ敵将が、煙の向こうへ退いていくのが見えた。
あれを逃したら。
思った途端、足が鈍った。
「凌華」
陸議の声が、すぐ傍で響いた。
彼は彼女の視線を追い、それから静かに首を振った。
「物を取り戻す機会は、後にもあります。ですが、ここで失った命は戻りません」
凌華は奥歯を噛み締めた。
知りたい。取り戻したい。
けれど、今そのために誰かを戻らせれば、何を失うか分からなかった。
『行け、凌華』
背中からも、同じ答えが届いた。
凌華は黒い鞘から目を離した。
「……うん」
今度は振り返らず、船へ向かって走った。
*
岸を離れても、熱はしばらく頬に残っていた。
櫂が水を掻く音に、遠くの怒号が重なる。赤く染まった川面には燃え残った木片が浮かび、波に揺られながら船の脇を流れていった。
凌華は船底へ腰を下ろした。
膝から力が抜けて、立っていることができなかった。短剣を収めようとする指がうまく動かず、何度か持ち直していると、陸議が彼女の前に膝をついた。
「手を見せてください」
「怪我はしてないと思う」
「確かめます」
差し出した手を取られ、初めて自分の指が震えていることに気づいた。
陸議は掌の擦り傷と、握る力が残っていることを確かめた。深い傷がないと分かると、短剣を収めるのを手伝い、彼女の手を静かに離した。
「しばらく、そのままでいてください」
凌華は頷き、川へ目を向けた。
炎に照らされた船の上を、人影が走っている。
ここからでは敵か味方かも分からない。水へ飛び込む影が見えるたび、凌華は息を止めて、その人がもう一度浮かんでくるのを探してしまった。
赤壁。
知っていた名前が、目の前ではこんなにも熱く、騒がしく、人の声に満ちていた。
「まだ追えるぞ」
船首に立つ呂蒙が、敵船の動きを見ながら言った。
陸議は川下へ視線を走らせた。
「こちらには戻すべき負傷者がいます。煙で味方の位置も見えません。まず本隊へ報告を」
「……分かっている」
呂蒙は短く息を吐き、兵へ帰還を命じた。
その背を見てから、凌華は長剣へそっと手を添えた。
何か言おうとしても、言葉がまとまらなかった。
『今は休んでろ』
孫策は、それだけ言った。
凌華は返事の代わりに、柄へ触れた指に少しだけ力を込めた。
*
陣へ戻った頃には、空の端がかすかに白み始めていた。
それでも陣中に夜明けの静けさはない。報告を携えた兵が行き交い、負傷者を運ぶ声があちこちで上がっていた。
船から降りた凌華が地面を踏んだ途端、前方から大股で近づいてくる人影があった。
「凌華!」
顔を上げる間もなく、両肩を掴まれた。
「怪我は。斬られたのか。何でそんな顔してる」
「孫策、ちょっと……」
「どこだ。痛むなら言え」
「肩。今、肩が痛い」
孫策が手元を見る。
その横から、孫権が呆れを滲ませた声を出した。
「兄上が掴んでいるからでしょう」
「……おう」
ようやく力が緩んだ。
凌華は目の前の孫策を見上げた。
風に乱れた髪も、こちらを覗き込む顔も、触れている手の温かさも、全部がはっきりしていた。
胸の奥に残っていた得体の知れない悲しみが、その温かさに触れて、急に痛みを増した。
凌華は思わず、孫策の衣を掴んだ。
「……凌華?」
「少しだけ」
何を、と聞かれるのが怖くて、顔を伏せた。
自分でも説明できなかった。ただ今は、その手を離したくなかった。
孫策はしばらく黙っていたが、やがて彼女の頭へ掌を置いた。
「ちゃんといるだろ。お前が助けたんじゃねえか」
「……うん」
髪をくしゃりと撫でられ、凌華は小さく頷いた。
その傍らで、周瑜が陸議へ視線を向けた。
「報告は、手当てを済ませてからでよい。まず兵を休ませろ」
「承知しました」
陸議が一礼した。
凌華は孫策の衣から指を離し、もう一度、その顔を確かめるように見た。
孫策は何も聞かず、軽く彼女の額を指で弾いた。
「お前もだ。無事に戻ったんなら、まず座れ」
*
手当てを終えた後、凌華たちは人払いをした天幕に集まった。
外では相変わらず足音が絶えなかったが、垂れ布を下ろすと、その騒がしさは少し遠くなった。
孫策、周瑜、孫権、呂蒙、陸議。
居並ぶ顔を見渡してから、凌華は膝の上の長剣へ目を落とした。
陸議が敵陣で起きたことを順に報告し、黒い鞘の話へ入ると、周瑜の表情がわずかに変わった。
「曹操が、以前から持っていたと申したのだな」
「はい。ただし、敵の言葉です。実際にいつ、どこで得たものかは分かりません」
「刻まれていた名は」
「伯符、と読めました」
陸議の答えに、孫策が眉を寄せた。
「俺の字が?」
「うん。私も見た」
凌華が頷くと、孫策は腕を組んだ。
「黒い鞘なんざ、幾らでもあるだろうが……そんなものを曹操に渡した覚えはねえぞ」
誰もすぐには口を開かなかった。
凌華は長剣の柄へ指を添えた。
ここまで来て、曖昧なままにはできなかった。自分が誰と話しているのかを隠したままでは、あの場で起きたことも正しく伝わらない。
『話すなら、話していいぞ』
声がした。
凌華は小さく息を吸った。
「この剣の声のこと、ちゃんと話したいの」
陸議が彼女を見た。
他の者たちの視線も集まる中、凌華は膝の上の長剣を見つめたまま、言葉を続けた。
「この剣にいるのは、孫策なの」
孫策が瞬きをした。
「……俺?」
「今ここにいる孫策じゃなくて、前の私を知ってる孫策」
天幕の中が静まり返った。
凌華が以前にもこの時代を生きていたことは、すでに話してある。けれど、それと、目の前にいる人と同じ人物が剣に宿っていることは、すぐに結びつく話ではなかった。
孫権の目が、兄と長剣の間を行き来した。
「つまり、その中にも兄上がいるのか」
「……うん」
「俺が二人か」
孫策は難しい顔で剣を見つめた。
『そっちの俺に、そんな顔で睨むなって言っとけ』
凌華は一瞬迷ってから、言われたとおりに伝えた。
「そんな顔で睨むな、って」
「睨んでねえ。見てるだけだ」
『昔から考え込むと顔が怖えんだよ』
「考え込むと顔が怖いって」
「お前、人のこと言えんのか」
言い返してから、孫策が口を閉じた。
呂蒙が肩を揺らし、孫権は額へ手を当てた。
周瑜だけが表情を崩さず、凌華へ問いかけた。
「声が聞こえるのは、今もお前だけか」
「うん。今、言ったことも、私が伝えないと聞こえない」
「陸議は、どこまで知っていた」
陸議は凌華へ一度目を向けてから答えた。
「剣から声がすることは聞いていました。凌華が孫策様の名を呼ぶこともありましたが、ご本人だと確かめたことはありません」
凌華は少しだけ目を伏せた。
気づかれていなかったわけではない。
陸議は、彼女が話すまで待ってくれていたのだ。
「……黙ってて、ごめんなさい」
「今、話してくれましたから」
陸議の返事は穏やかだった。
それに救われる思いで、凌華は長剣へ視線を戻した。
「孫策。どうして、剣の中にいるの?」
問いかけた後、返事を待つ時間が長く感じられた。
やがて、いつもより静かな声が届いた。
『どうしてこうなったのかは、俺にも分からねえ。気づいたら、この剣にいた』
「気づいたら……?」
『ああ。自分で何かした覚えはねえし、どうすりゃこうなるのかも知らねえ』
凌華は一つずつ、皆へ伝えた。
周瑜は途中で口を挟まずに聞き、最後に低く尋ねた。
「以前の凌華は、そのことを知っていたのか」
凌華は剣を見た。
『知らねえ。あいつには、俺の声は聞こえてなかった』
指先が、柄の上で止まった。
「一度も?」
『ああ。一度もだ』
短い返事だった。
凌華はその言葉を胸の中で受け止めてから、ゆっくりと皆へ伝えた。
「前の私は、知らなかったって。声も、聞こえてなかった」
「ならば、今のお前にはなぜ聞こえる」
孫権の問いに、凌華はすぐには答えられなかった。
代わりに、孫策の声が届いた。
『それも分からねえ。こいつが返事をしたときは、俺だって驚いたんだぞ』
そのまま伝えると、生身の孫策が長剣を見下ろした。
「分からねえことだらけじゃねえか」
「……うん」
凌華も頷いた。
理由は何も分からない。
けれど、少なくとも、誰かが全部を知っていて自分だけが取り残されているわけではなかった。
孫策もまた、分からないままここにいる。
凌華は膝の上の剣を、少しだけ抱え直した。
「じゃあ、前の私のことも……見てたの?」
『ああ』
凌華は息を吐いた。
まだ思い出せない自分の人生を、この声は知っている。
その事実は不思議で、少し怖くて、それでも、何も残っていないわけではないのだと思うと、胸の奥に温かいものが広がった。
「前の私も、孫策の娘だったんだよね」
『そうだ』
伝えると、生身の孫策は凌華を見て、どこか納得したように頷いた。
「そこは変わらねえんだな」
凌華は小さく笑った。
周瑜は改めて長剣へ目を向けた。
「分かっていることを確かめる。その剣にいるのは以前の伯符であり、以前の凌華を知っている。ただし、当時の凌華に声は届いていなかった。剣に宿った理由も、今だけ声が届く理由も分からぬ。違いはあるか」
『ねえよ』
「それで合ってるって」
「黒い鞘については、その剣に対応するものだと分かるだけか」
凌華が問いかけると、孫策は答えた。
『あれがこの剣の鞘だってのは分かる。だが、なぜ曹操が持ってるのかまでは知らねえ』
凌華が伝えると、周瑜はしばらく考え込んだ。
「敵の言葉だけで、その来歴まで決めつけることはできぬな」
それから、彼の視線が凌華へ戻った。
「もう一つ。敵陣で動けなくなったと聞いた。何があった」
凌華は掌を見下ろした。
手当てを受けた小さな擦り傷がある。
あのとき見えた血まみれの手とは違う、自分の手だった。
「急に、何かが見えたの。血のついた手とか……剣を抱いてるような感じとか。誰かを呼ぼうとした気がするけど、誰なのかは分からなくて」
「以前の記憶か」
「そうなのかもしれない。でも、分からない」
凌華は曖昧なまま答えた。
自分が以前にも生きていたと知っているからこそ、何でもそこへ結びつけてしまいそうになる。
けれど、見えなかったものまで、見えたことにはしたくなかった。
「孫策には、何か分かる?」
『前の記憶かもしれねえが、俺に同じものが見えたわけじゃねえからな。それだけじゃ、何とも言えねえ』
凌華は頷き、その言葉も伝えた。
陸議が彼女の掌へ一度目を落とした。
「無理に思い出そうとする必要はありません。あのときは煙も熱もありました。疲れたまま答えを出そうとせず、まず休んでください」
「……でも、また戦ってるときに見えたら」
「そのためにも、今起きたことを共有しているのでしょう」
陸議は凌華をまっすぐに見た。
「異変があれば、すぐに言ってください。あなたが一人で対処する必要はありません」
呂蒙も頷いた。
「黙って倒れられる方が困る。分からねえなら、分からねえまま言え」
凌華は皆の顔を見渡した。
説明できなければ話してはいけないと、どこかで思っていた。
けれど、分からないことを分からないまま受け取ってくれる人たちが、ここにはいた。
「……分かった。ちゃんと言う」
周瑜が頷き、話を切り上げた。
「黒い鞘については、今後の敵の動きと併せて調べる。今は休め。報告が必要になれば呼ぶ」
立ち上がろうとした凌華へ、孫策が手を差し出した。
その手を借りると、思っていたよりも足が重かった。
「ほら見ろ。限界じゃねえか」
「立てるよ」
「立てるのと、休まなくていいのは別だ」
呆れた声で言われ、凌華は反論を飲み込んだ。
陸議が垂れ布を持ち上げる。
差し込んだ朝の光に、凌華は目を細めた。
*
外へ出ると、夜の間には見えなかったものが、少しずつ輪郭を取り戻していた。
踏み荒らされた土。桶を抱えて行き交う兵。火のそばで肩を寄せ合い、黙って湯を飲んでいる人たち。
遠くにはまだ煙が上がっていた。
凌華は長剣を抱え、陸議と並んで歩いた。
しばらくして、凌華は隣を見上げた。
「陸議さん」
「はい」
「助けてくれて、ありがとう」
今度は、きちんと顔を見て言った。
陸議も歩調を緩め、凌華へ視線を向けた。
「あなたにも助けられました。ありがとうございます」
「……叱る方は?」
「休んでからにしましょう」
「忘れてくれてもいいんだけど」
「忘れませんと申し上げました」
凌華が小さく肩を落とすと、陸議の口元がわずかに緩んだ。
その表情を見て、凌華も笑った。
そのやり取りができることに、ようやく身体の奥まで安堵が染み込んできた。
ここまで戻ってこられた。
隣にいる人も、自分も。
凌華は腕の中の長剣へ目を落とした。
資料展でこの剣を見たときには、こんなふうに誰かの声がするようになるとは思わなかった。
どうして剣に孫策がいるのか。
どうして今の自分にだけ、その声が届くのか。
答えのない問いは、まだ幾つも残っている。
それでも、以前は届かなかった声が、今は聞こえる。
「……孫策」
『何だ』
すぐに返事があった。
凌華は柄を見つめたまま、小さく首を振った。
「ううん。何でもない」
『用もねえのに呼ぶなよ』
呆れた声が返ってきて、凌華の口元が緩んだ。
陸議が隣から彼女を見た。
「何か言われましたか」
「うん。用もないのに呼ぶなって」
「それは、呼ばれた方も困るでしょうね」
「ちょっと、返事が聞きたかっただけ」
陸議はそれ以上尋ねず、静かに頷いた。
凌華も口を閉じ、彼と並んで歩き続けた。
朝の風が頬に触れる。
腕の中には長剣の重みがあり、隣からは自分に合わせた足音が聞こえていた。
『……そうだ。お前は、ここで生きた』
静かな声に、凌華は腕の中の剣へ目を落とした。その言葉を確かめるように柄へ指を添え、それから顔を上げると、陸議と並んで歩き続けた。
孫策はもう、呼びかけなかった。続く言葉を胸の内に留めたまま、朝の光の中を進む凌華を見守っていた。
『一度、最後までな』
――第二十四話・了




