番外編 人狼ゲーム初戦
始まりは、凌華のほんの軽い一言だった。
本当に、それだけだった。
後になって思えば、あのとき黙っていればよかったのだ。
少なくとも――人の言葉の裏を読み、相手の意図を探り、ときには虚実を織り交ぜながら国の行く末を決めているような人々に、あの遊びを教えるべきではなかった。
「何か、みんなでできる遊びないかな」
その日、凌華は広間の隅で頬杖をついていた。
珍しく顔ぶれが揃っている。
孫策。
周瑜。
呂蒙。
陸議。
孫尚香。
そして使者として訪れていた諸葛亮。
先ほどまで真面目な話をしていたはずなのだが、それも一段落し、酒と茶が運ばれてからは空気も随分と緩んでいた。
孫策が杯を置く。
「遊び?」
「うん。せっかくこんなに人いるし」
「また、凌華の知っている妙な遊びですか?」
陸議が言った。
「妙って何」
「先日の、木板を叩くものなど」
「あれ楽しかったでしょ?」
「あなたは、でしょう」
「陸議さん負けたもんね」
「…………」
陸議が黙った。
凌華は勝ち誇った。
あの遊びに関してだけは、珍しく陸議より明確に上だったのだ。
盤上遊戯では何度やっても勝てない。
剣だってまだまだ。
けれど現代の遊びなら話は別である。
未来人として、一日の長というものがある。
たぶん。
「また何かあるのか?」
孫策が食いついた。
凌華は考える。
人数は七人。
道具はほとんどない。
全員でできる。
そして――。
「あ」
一つ思いついた。
「人狼ゲーム」
全員がこちらを見た。
「じんろう?」
孫尚香が首を傾げる。
「それは何なの?」
「簡単だよ」
凌華は嬉々として説明を始めた。
このとき。
周瑜と諸葛亮が揃ってこちらへ顔を向けたことに、もっと危機感を持つべきだった。
*
「つまり」
説明を聞き終えた周瑜が確認する。
「この中に、人に化けた狼がいると仮定する」
「そう」
「狼が誰なのかを、会話だけで探す」
「そうそう」
「狼となった者は、自分が狼であることを隠しながら、他の者へ疑いを向ける」
「そう!」
凌華は嬉しくなった。
理解が早い。
さすが周瑜。
その向かいで諸葛亮が羽扇をゆっくり動かしている。
「そして狼ではない者も、自らが狼ではないことを証明する必要がある、と」
「うん」
「虚言は?」
「あり」
羽扇が止まった。
「何を言っても?」
「基本的には」
諸葛亮が微笑んだ。
その瞬間。
なぜだか凌華の背中を嫌なものが走った。
隣では陸議が考え込んでいる。
「役職というものもあるのですか?」
「あるよ。占い師とか」
「他者の正体を一人だけ確認できる?」
「そう」
「その結果について虚偽を述べても?」
「……いいけど」
「なるほど」
陸議まで何か考え始めた。
「待って」
凌華はようやく気づいた。
「みんな、初めてだからね?」
孫策が笑う。
「だから何だよ」
「遊びだからね?」
「分かってる」
周瑜が静かに杯を置いた。
「もちろん」
諸葛亮も微笑む。
「承知しております」
絶対分かってない。
いや。
分かりすぎている。
『お前』
腰元の長剣から声がした。
『相手、間違えたんじゃねえか?』
凌華は小声で返した。
「……私も今そう思ってる」
「凌華?」
孫尚香がこちらを見る。
「何でもない」
*
役職は簡単にした。
人狼二人。
占い師一人。
残りは村人。
凌華が用意した木札を一枚ずつ引く。
自分の札を見る。
――村人。
「…………」
まあいい。
初心者ばかりだ。
むしろ普通の村人の方がやりやすい。
凌華は木札を伏せた。
全員が確認を終える。
「じゃあ始めるよ」
最初の夜が終わったということにして、議論開始。
凌華は少しワクワクしていた。
経験者は自分だけ。
ルールも立ち回りも知っている。
ここは多少、先輩らしいところを――。
「では」
周瑜が口を開いた。
「まず、凌華」
「え?」
「なぜ先ほどから陸議を見ているのです?」
「…………はい?」
開始。
十秒。
凌華の予定が崩れた。
「見てないけど」
「三度見ました」
「数えてたの!?」
「ええ」
周瑜が平然としている。
陸議がこちらを見る。
「私が怪しいと思ったのですか?」
「いや……なんとなく」
「なんとなく?」
「だって陸議さん、こういうの絶対強そうだし」
「それは役職とは関係ないでしょう」
「そうだけど!」
諸葛亮が微笑みながら羽扇を揺らす。
「ですが興味深いですね」
「何が?」
「凌華殿は、この遊びを最もよく知っている」
「うん」
「にもかかわらず、根拠ではなく印象で陸議殿を警戒した」
「…………」
「経験者であれば、もう少し別の判断をするのでは?」
凌華は固まった。
「ちょっと待って」
呂蒙が腕を組む。
「確かにな」
「呂蒙さん!?」
「いや、俺もよく分かってねえけど」
「じゃあ乗らないで!」
孫策が楽しそうに笑っている。
「凌華、怪しいな」
「どこが!?」
「焦ってる」
「みんなが私を疑うからでしょ!」
「そうやって声を大きくするのも怪しいぞ」
「孫策まで!」
開始から一刻も経っていない。
それどころか、まともな議論すら始まっていない。
なのに。
なぜか凌華が疑われている。
「待って。整理しよう」
凌華は両手を上げた。
「まず占い師いる?」
沈黙。
少しして。
陸議が手を上げた。
「私です」
凌華は目を見開いた。
「陸議さん?」
「はい」
「誰見た?」
「凌華です」
「私!?」
「村人でした」
「ほら!!」
凌華は勢いよく立ち上がった。
「私、村人!」
ところが。
誰も安心した顔をしない。
「……何?」
孫尚香が首を傾げた。
「陸議が本物の占い師だという証拠は?」
凌華は止まった。
「…………ない」
「では、陸議と凌華が狼同士という可能性もあるのではないかしら?」
「尚香まで何言い出すの!?」
「ルール上は可能よね?」
「可能だけど!」
そこへ。
「では」
諸葛亮が静かに手を上げた。
「私も占い師です」
凌華の動きが止まった。
「…………は?」
全員の視線が諸葛亮へ向く。
羽扇の向こうで、穏やかに微笑んでいる。
「昨夜、周瑜殿を確認しました」
周瑜の眉がわずかに動いた。
「結果は?」
「狼ではありません」
広間が静かになった。
凌華は陸議を見る。
陸議は諸葛亮を見る。
周瑜は二人を交互に見ている。
「ちょっと待って」
凌華は頭を抱えた。
「占い師二人出てきた」
孫策が楽しそうに身を乗り出した。
「どっちかが嘘ついてるってことだな?」
「そう」
「面白くなってきたな」
「私はもう面白くない」
*
議論が進むにつれ。
凌華は悟った。
――これは駄目だ。
完全に相手を間違えた。
周瑜は発言の細かな矛盾を拾う。
陸議は誰が誰を疑ったかを最初から全部覚えている。
諸葛亮はほとんど喋らないくせに、たまに一言挟むだけで議論の向きを変える。
孫尚香は直感が妙に鋭い。
呂蒙は分からないなりに人の表情をよく見ている。
そして孫策は。
「俺、公謹が怪しいと思う」
突然言った。
周瑜が見る。
「理由は?」
「何となく」
凌華が机を叩いた。
「私がそれ言ったときめちゃくちゃ責められたんだけど!?」
「俺はいいんだよ」
「なんで!?」
「勘がいいから」
「ずるい!!」
しかも。
その一言で空気が変わった。
周瑜がわずかに笑う。
「伯符」
「何だ?」
「私が狼なら、あなたはどうします?」
「吊るす」
「即答ですか」
「当然だろ」
「では私も、あなたが狼なら遠慮なく」
「上等だ」
凌華は二人を見る。
「なんで楽しそうなの……」
『お前が始めたんだろ』
「こんなことになると思わなかったの!」
*
やがて最初の投票。
凌華は最後まで主張した。
「私は村人だから!」
孫策。
「凌華」
周瑜。
「凌華ですね」
呂蒙。
「……凌華かな」
孫尚香。
「凌華」
諸葛亮。
「凌華殿で」
凌華の顔が引きつる。
最後。
陸議。
凌華は縋るように見る。
「陸議さん」
「…………」
「私、村人って言ったよね?」
「ええ」
「占ったんだよね?」
「はい」
「じゃあ――」
「孫策殿」
凌華は固まった。
「…………え?」
陸議は孫策を指名した。
「私は孫策殿へ」
凌華の目が潤みそうになる。
「陸議さん……!」
「私の占いでは、あなたは村人ですから」
「ありがとう!」
『お前、遊びで命救われたみたいな顔すんな』
「うるさい!」
しかし。
結果。
凌華、圧倒的多数。
「…………」
追放決定。
木札を表へ返す。
そこには。
――村人。
沈黙。
凌華はゆっくり全員を見回した。
「だから言ったじゃん!!」
孫策が爆笑した。
「本当に村人だった!」
「笑うな!」
呂蒙も肩を震わせている。
「悪い……でも、お前……」
「何!?」
「狼より怪しかったぞ」
「なんでよ!!」
周瑜まで口元を隠している。
諸葛亮は羽扇の向こうで明らかに笑っていた。
「未来の遊びを教えた本人が、最初に追放されるとは」
凌華の目が細くなる。
「……孔明さん」
「はい?」
「次絶対吊るす」
「それはゲーム外の感情では?」
「うるさい!」
*
凌華が抜けたあともゲームは続いた。
そして。
外から見ていると、もっと恐ろしいことに気づいた。
「……怖」
ぽつりと呟く。
周瑜と諸葛亮の会話。
穏やかだ。
声を荒らげることもない。
けれど互いに一歩も引かない。
「先ほどの発言と少し違いますね」
「そうでしょうか。私には同じことを申し上げたつもりですが」
「言葉は同じでも、意味が違う」
「それは周瑜殿の解釈では?」
笑顔。
笑顔。
なのに怖い。
その横で陸議は黙って二人を観察している。
『戦より怖ぇな』
「……分かる」
『お前、よくこんな遊び思いついたな』
「私が考えたんじゃないよ」
『未来って暇なんだな』
「否定できない」
*
そして最終局面。
残ったのは。
周瑜。
陸議。
諸葛亮。
孫策。
四人。
凌華は外から見守っていた。
もう誰が狼なのか、自分でも分からない。
「……陸議さん怪しくない?」
『お前、最初からずっとそれ言ってるぞ』
「だって静かすぎる」
『普段からだろ』
「孔明さんも怪しい」
『全員怪しく見えてんじゃねえか』
「周瑜さんも怪しい」
『もう黙ってろ』
議論が終わる。
投票。
孫策は周瑜。
周瑜は諸葛亮。
諸葛亮は陸議。
そして陸議は――。
諸葛亮。
決まった。
諸葛亮が追放される。
ゆっくりと木札を返した。
――人狼。
「うわ!!」
凌華が思わず立ち上がった。
「本当に狼だった!」
諸葛亮は楽しそうに笑った。
「あと少しでしたが」
「怖っ!」
「褒め言葉として受け取っておきましょう」
しかし。
ゲームは終わらない。
「……え?」
凌華が固まる。
狼は二人。
つまり。
もう一人いる。
周瑜。
陸議。
孫策。
三人。
凌華は息を呑んだ。
『誰だと思う?』
「…………周瑜さん」
『理由は?』
「なんとなく」
『お前何も成長してねえな』
*
最後の議論は短かった。
周瑜が孫策を見る。
「伯符」
「何だ?」
「あなたですね」
「俺?」
「ええ」
孫策が笑う。
「根拠は?」
「あなたは先ほどから、誰が狼かより、この状況そのものを楽しんでいる」
「いつもだろ」
「それもそうですね」
「納得するんだ!?」
凌華が思わず突っ込む。
陸議が静かに言った。
「私は周瑜殿だと思います」
空気が変わった。
「理由を聞いても?」
「諸葛亮殿が追放される直前まで、あなたは彼を強く疑っていました」
「ええ」
「ですが、最後の投票直前だけ孫策殿へ質問を増やした」
周瑜が黙る。
「諸葛亮殿が追放された後を考えていたのでは?」
沈黙。
凌華の背筋がぞくっとした。
周瑜が笑う。
「なるほど」
孫策が二人を見る。
「じゃあ決まりだな」
投票。
周瑜。
木札が返される。
――人狼。
凌華は口を開けた。
「……陸議さん、当てた」
「ええ」
「すご」
「ですが」
陸議は少し笑った。
「最初に凌華殿を守れませんでした」
「そこはもっと頑張ってよ!」
「五対一では無理です」
「占い師なのに!」
その瞬間。
諸葛亮が笑った。
凌華が振り返る。
「何?」
「凌華殿」
「はい」
「まだ一つ、確認していないことがあります」
「何を?」
諸葛亮の視線が陸議へ向く。
凌華も見る。
陸議は静かに座っている。
「……え?」
嫌な予感。
「陸議さん」
「はい」
「木札、見せて」
「必要ありません」
「見せて」
「ゲームは終わりました」
「見せて」
「凌華」
「陸議さん」
しばし見つめ合う。
やがて。
陸議が小さく息を吐いた。
木札を返す。
――村人。
「…………」
凌華は瞬きをした。
「占い師じゃないじゃん!!」
広間が爆笑に包まれた。
「陸議さん!!」
「虚偽を述べてもよいと、最初に」
「言ったけど!!」
「あなたが最初に追放されそうでしたので」
「だから占い師って嘘ついたの!?」
「ええ」
「じゃあ私が村人って知ってたわけじゃない!?」
「知りませんでした」
「なんで守ったの!?」
陸議が一瞬だけ黙った。
「……何となくです」
凌華が固まる。
孫策が吹き出す。
周瑜が顔を背ける。
諸葛亮は羽扇で口元を隠した。
凌華の顔が熱くなった。
「何それ!」
「あなたも最初に仰っていたでしょう。何となく、と」
「それとこれとは違う!」
『お前らもう人狼関係ねえだろ』
剣の孫策の声だけが、妙に冷静だった。
*
「……待って」
一通りの役職が明かされ、ようやく自分がどれだけ綺麗に踊らされていたのかを理解しかけたところで、凌華はふと眉を寄せた。
何かがおかしい。
人狼は周瑜と孔明。
陸議は村人だったのに、占い師を名乗った。
では――。
「本物の占い師、誰?」
その一言で、場が妙に静かになった。
凌華は一人ずつ顔を見る。
孫策。
呂蒙。
尚香。
誰も何も言わない。
「……いたよね?」
最初に役職を決めたのは自分だ。
人狼が二人。
占い師が一人。
残りが村人。
間違いなく、一人いる。
「ねえ。誰?」
すると。
尚香が、すっと片手を上げた。
「私よ」
「…………」
凌華は固まった。
数秒。
「尚香!?」
「何かしら」
「何かしらじゃないよ! 本物の占い師だったの!?」
「そうよ」
あまりにも平然と返され、凌華は頭を抱えた。
「出てよ!!」
「出ようとは思ったわ」
「じゃあ出てよ!」
「陸議が出た」
「偽物だけどね!?」
「そのあと孔明殿も出た」
「そっちも偽物!!」
尚香は少しだけ首を傾げた。
「だから、どちらが嘘をついているのか見ていたの」
「両方だよ!!」
『ははははは!』
腰の長剣から盛大な笑い声が響き、凌華はぐっと唇を噛んだ。
『本物だけ黙ってて、偽物が二人も占い師やってたのかよ』
「言わないで。今それに気づいて頭痛くなってるから」
「凌華?」
孫策が怪訝そうにこちらを見る。
「何でもない!」
反射的に返してから、凌華はもう一度尚香へ向き直った。
「ちなみに……誰を占ったの?」
「兄上よ」
今度は孫策が目を丸くした。
「俺?」
「ああ。村人だった」
「なんで俺を占った?」
「一番、人狼だったら面倒だもの」
「お前、兄を何だと思ってるんだ」
「兄上」
「答えになってねえぞ」
呂蒙がとうとう吹き出し、周瑜も口元を押さえる。
凌華だけが納得できない顔で、その場にいる全員を見回した。
人狼二人は堂々と嘘をつき。
村人の陸議まで占い師を騙り。
本物の占い師である尚香だけが最後まで黙っていた。
そして自分は、その全部を見抜けないまま最初に追放された。
「……もう一回」
凌華が低く呟く。
陸議がわずかに眉を上げた。
「まだなさるのですか?」
凌華は勢いよく顔を上げた。
「やる!」
今度こそ。
絶対に。
この人たちに負けない。
*
「もう一回!」
結局。
最初にそう言ったのは凌華だった。
孫策が笑う。
「お前、あれだけボロ負けしたのに?」
「次は分かったから!」
「何が?」
「この人たち相手に普通にやっちゃ駄目だってこと!」
周瑜が眉を上げる。
「では、どうするのです?」
凌華は全員を見回した。
「私も嘘つく」
諸葛亮が微笑む。
「それは楽しみですね」
「今度こそ孔明さんを最初に吊るす」
「私怨ではありませんか?」
「戦略です」
「先ほどまで根拠なく人を疑っていた方とは思えませんね」
「うるさい!」
孫策が新しい木札を混ぜる。
呂蒙も戻ってきた。
孫尚香はすでにやる気満々である。
陸議が凌華の隣へ座った。
「凌華」
「何?」
「一つだけ助言を」
「うん」
「あなたは嘘をつくと、少しだけ右上を見る癖があります」
「…………」
凌華の顔から表情が消えた。
「今それ言う?」
「今後の参考に」
「陸議さん」
「はい」
「次、人狼だったら最初に噛む」
「それは困りましたね」
全く困っていない顔で陸議が笑う。
その向こうでは、周瑜と諸葛亮がすでに次のゲームについて何か話している。
凌華はその様子を見て、今さらながら思った。
――やっぱり。
この遊び。
この人たちに教えちゃ駄目だったかもしれない。
『気づくの遅ぇよ』
「……うん」
二回戦の木札が配られる。
凌華はそっと自分の札を覗いた。
そこに書かれていた役職を見た瞬間。
顔を上げる。
陸議と目が合った。
「…………」
「…………」
凌華は無言で右上を見た。
陸議が笑った。
「凌華」
「まだ何も言ってない!!」
二回戦は――開始前から、すでに凌華が不利だった。




