古い水盤の奥底に埋もれていた話 1
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雨はまだ降りつづいています。
王都から私が、故郷から家族が、領地から婚約者が、それぞれに出発し、昨日この宿で落ち合う予定だったのですが、間に合ったのは私だけのようです。
しかたありません。地元の人でさえ何年ぶりだろうと嘆く大雨です。
王都方面には頑丈な岩の橋がかかっていますが、それ以外は心許ない木の橋しかありません。
国王陛下はこういった地方の不便さを整えようと心を砕いておられますが、さしたる資源もない小さな王国のこと、なかなか思うにまかせないのが悲しいところです。
宿の人も、常連の人も、肩をすくめてのんびりとやむのを待っています。
ぶらぶらと散歩……なんてとてもできそうにない、体に刺さりそうな大粒の雨ですから、宿にいるしかできません。
暇を持て余していたら、「もし使えるのでしたら」と旅籠のご主人が小さな水盤を貸してくれました。
水盤を使うのは初めてです。人が使っているのを見たことはありますが。
下っ端女官風情の自由になるお金で買うには高価な贅沢品ですし、ゆっくりと使う時間もありませんしね。
なんとかかんとか動かして、いろいろ覗いてみたけれど、おもしろいですね。いろんな国の、いろんな種族の、いろんな生活を垣間見れて、なんだか得をした気分です。
いろいろ興味深く読んでいるうちに、私も思い出話を書いてみたくなりました。
ちょっと長くなりそうですが、水盤に書き込むのはこれで最初で最後になりますので勘弁してください。
まず、我が王国の行事について話しておかなくてはなりません。
女の子には、「舞の選び」という行事がございます。
数年に一度、十二歳から十九歳の女の子を集めて舞を披露し、選ばれた娘は王宮づとめが許されます。
例え女官でも王族、貴族の方々の目に留まれば、玉の輿も夢ではありません。
平民の女の子にとって、唯一ともいえる出世の機会です。
男の子は「剣の試し」……要するに剣の試合ですね。
剣の試合ならば誰が強いか一目瞭然ですが。
なんで舞なんだろう、と思っていましたあの頃は。舞で何がわかるんだ、と。
舞そのものは、この国の娘ならば誰でも踊れます。
春の訪れを促す祭りも、秋の実りを寿ぐ祭りも、全て乙女の舞から始まりますので。
きちんと歩けるくらいの歳になると、女の子は行事の前には神殿に集められ、お稽古をします。ですから振り付けは自然と身につきます。
けれども、ある程度以上の暮らしをしている娘は、必ずと言っていいほど舞の教師についていますので、そうした娘たちと、そうでない貧しい娘たちの舞は、同じように手足を動かしてはいても、何かが違うのでした。
何が違うんだろう。どう違うんだろう。
稽古の折にはいつも、前列にいるそうした娘たちの舞を、後列の隅っこから、まばたきさえ惜しむように観察しておりました。
子守りの合間に、家事の合間に、つねに見覚えた振りを繰り返していました。さすがに赤ん坊が背中にいるときは回る動きは控えましたが。
きこりの娘の分際で、奇跡を起こせるつもりなのかと陰口を叩かれているのは知っていましたが、かまいませんでした。
舞が好きだったのではありません。「舞の選び」に私は選ばれたかった。
なんでかというと、私の家はたいそう貧しかったのです。
以前はそうではありませんでした。そうでもなかったというべきでしょうか。
私の父は腕っこきの木こりだったのですが、大きな怪我をしたのです。
しばらくは歩くこともできなかった。
なまじ、それまでは稼いでいたため、若い割には子供が多かった。私とすぐ下の弟、歩き始めた双子の妹、生まれたばかりの末の妹。
親族も何かと助けてくれはしましたが、誰もが似たり寄ったりの暮らしぶりです。
母は身二つになるとすぐに働きにいかなくてはならず、子守りは六歳の私に託されました。
父がなんとか杖をついて動けるようになると、木材会社の支配人が助手として雇ってくれました。木を倒したりはできなくなっても、父には良い木材を見抜く目がありましたので。
けれどもそれまでに溜まった治療費などの借金がありましたので、暮らしはそう簡単に楽になりませんでした。
母は働き続け、私は近隣の家で子守り働きをするようになりました。
ささやかな稼ぎでしたが、それでも父の薬をたやさないためには、弟妹に惨めな思いをさせないためには、必要でした。
そんな毎日の中で、私は考えたのです。
私は多分一生、床を磨くか、赤ん坊を背負うか、どちらかをして暮らしていくのでしょう。
それ自体は構いません。どうせこの辺りの娘のほとんどはそうやって生きていくのです。
ならば、その磨く床が王宮ならば、この辺りの金持ちの家の床よりはいいお給料がもらえるのではないか。
なんとも即物的で今となれば顔が赤くなりますが。
それが、幼い私が「舞の選び」を志した理由でした。
最終の試しまで勝ち残り、華やかな仕事をして、最後には貴族に嫁いでいく玉の輿美女枠はどうでも良くって。
最終までは残れなくとも、態度の良い丈夫そうな子ならば、表には出ない汚れ仕事や根気仕事をする下級女官として採用されることもある聞きましたので。
断然そちらを目指しました。
とはいえ、簡単なことではありませんでした。
あれは毎年行われるわけではありませんので、じりじりしながら十四まで待つことになりました。
ようやく開催のおふれが故郷の小さな村にもやってきた時には、ホッとしたものです。
全ての少女を王都に集められるはずもなく、地方でまず予選があります。
はじめの「選び」は、それぞれの地方で。いつもの神殿で。
いつもの行事と同じ顔ぶれのうち、幼すぎる者を除いてすべての未婚の娘が集められます。
どの子もそれなりに練習しているはずですが、真剣に望んでいる子と、そうでない子は素人目にもすぐにわかります。審査をしている大人の目にはもっとはっきりわかると思います。
地元の「選び」に残った5名の中に、私がいるのを見て、見物の人たちが目を丸くしていました。
舞を習わせてもらえるようなゆとりのある家ではないことは、みんな知っています。
私の村からはたった一人。後にも先にもたった一人。村の誇りだと、誉められました。
けれど、この先に進めるとは誰も信じていないふうでした。
次は、大きな町にある大きな神殿で試しが行われます。
大きな町は、馬車で半日の所にあります。大きな病気や怪我をしたとか、よほどの祝い事があって何かを新調するとか、とにかく滅多に行くことはないところです。
私は初めてでした。
辻馬車に乗って一人でも行くつもりでしたが、周囲にとんでもないと叱られました。女の子が大きな町まで一人でのこのこ出かけたりしたら攫われる危険があるそうで。なにそれ怖い。田舎娘は何も知りませんでした。
父の兄が、送り迎えを引き受けてくれました。大きな町には父の兄の娘、私の従姉が嫁いでいるので、そこに泊めてもらいました。
服を貸してもらえたので、ほっとしたことを覚えています。舞の行事に着る服は、昔風の袖の広い服なので、舞の行事にしか使えません。白地という決まりがありますが、うちの村のようなゆとりのない暮らしの者が多いところではお下がりが当たり前。いつ誰があつらえたのかもわからぬ服が村中をぐるぐる巡るので、かつての白がだいぶくすんでいます。
継ぎあてがないだけでも嬉しいのに、ちゃんと白とわかる白です。うちにはもう女の子はいないからと、私の背丈にあわせて袖と裾を直してもらえました。服地にゆとりがあると、こんなにも動作が楽なのかと、初めて知りました。
少なくともこの時、私の舞は誰にも期待されていませんでした。一介の村娘に起きた奇跡は、ここで限りだろうと。
けれども私は、その大きな神殿での「ニの試し」にも、残されたのです。
これは本当に、驚いてもいい出来事でした。
同じように選ばれた顔ぶれは、大きな商会の娘や、村長の娘や役人の娘。
つまり、そういう娘ばかりが選ばれるものと誰もが暗黙のうちに考えておりましたので。
いったん村に帰ると、知らせだけはすでに行っていたのでしょう。神殿に村の主だった大人たちが顔を合わせていました。
父も、母もいました。喜ぶというよりは、オロオロしている感じでした。本当に行くのかと。
地方から勝ち残った女の子たちは、王都までの旅を連れ立って行くのだそうです。そのほうが安く上がるし、安全だからです。
それでも結構なかかりがあります。払えるのかを危ぶまれたのです。
家にもお金を入れながら、子守りや畑仕事で貯めたお金を少しずつ貯めていました。その蓄えが一気になくなる額でした。(なので、十九歳までに次の機会があっても、もう行かれません。最初で最後の挑戦でした)
本当は、全部はたいてもまだ足りなかったのですが、村の大人が少しずつ出資してくれました。私が行くことで、この村から王都まで行く娘がいたと記録に残すことができる。もしも王都でいい成績を残せばこれからの娘らの希望になる。一介の村娘にもやればできるんだ、と。
周りの助けを大いに借りて、どうにかこうにか支度を整え、私は再び大きな町へと赴きました。




