古い水盤の奥底に埋もれていた話5
合否の知らせは、その回ごとに違います。なんでかは知らないけど。
仰々しく花を捧げられたり、その場で名を読み上げられたり、通知が宿に届いたり。
最終はどうなのかというと、王宮の人が宿まで来るらしいです。「王宮で働きませんか」という申し出を携えて。
というわけで、誰が最終の試しに残り、めでたく王族直属の側近になれたのかどうかは、本人とその周囲の他は知りえないはず。建前は。
だけど実際には、結果は風より早く街を駆け巡るのでした。
ほぼ想像の通りでした。
素朴嬢は王陛下に、初々嬢は王妃殿下に、凛々嬢は王姉殿下に。
その他の、あの舞台に立っていたお嬢さんたちも、王族直属は逃したものの、上級女官として選ばれたとか、貴族にみそめられたとか、華やかな噂が駆け巡るのでした。
なのに。
Aのもとには、なにひとつ、どこからも、まったく申し出がなかったのでした。
そりゃ例外はあります。
それは「断った」場合です。
たとえば優美嬢。
国でいちばん大きな舞踏団の秘蔵っ子なのだそうです。
街の噂では、誰もが「彼女は初めから王宮勤めなどする気はなかったんだろう」と言っていました。
ではなぜ試しに参加したのかというと、宣伝というか、観客に顔をうりたかったのだろうと。
確かにあの踊りを見れば、劇場まで足を運びたくなるというものです。
あと、艶麗嬢も。
かの大帝国の皇太子が国に連れ帰るらしいです。初めからそれ狙いだったのだろうと。
皇帝が世に聞く我が国の「舞の試し」を一度見てみたいと言っているという噂を耳にし、では目に止まってみせようと、そういうことだったらしいです。
艶麗嬢は、花柳界で有名な歌姫と、外国のさる大物王族の落とし胤なのだそうです。
もちろん皇后になれるはずもなく、寵姫という立場になるらしいのですが。そうであっても大したものです。
ずっと後になって、ご友人たちに「惜しくはないのか」と軽口を叩かれていた場面に居合わせたことがあります。
殿下は、「あの人が泳ぐには、うちの王宮は狭すぎるよ」とさらりと返しておいででした。
でもそれって、例外。大物のお話です。
最終の試しにまで残った者ならば、王宮勤めが叶わなくとも、「うちの店に」「うちの嫁に」という申し出が殺到するはずでした。本来ならば。でも、それすらない。
いやまあ、納得っちゃあ納得ですけどね。あの様子を見ていた私たちにとっては。
「まあ、ねえ。最終の試しのあの様子を見てたら躊躇するわよねえ」
Aからは、厄介ごとの匂いがぷんぷんする。嫁にするにしろ、奉公人にするにしろ、こいつは人の言うことは聞かないし、空気は読めないし、面倒くさいことこの上ない娘だと、なんとなく察せられますから。
いくらおすまししていても、見る人が見れば、息を吸うように意地悪をする筋金入りの根性悪だとも分かるでしょう。
Aは王宮に何度も問い合わせをし、本当だということがわかると、癇癪を起こして私たちに当たりはじめました。
そんなこと言ったって私たちのせいじゃない。
私たちは、釈然としないながらも宥めたり慰めたりしました。
そうしないとうるさいから。それから、あの舞台の上の場違い感とそれに気づいてない本人を哀れに思ったから。
もしかしたら、これが女官長の思惑だったのでしょうか。
本来ここまでに落とされているべき子が、間違って残されてしまったために、とんでもない場違いな姿を晒すことになってしまった。
こういう形で恥をかかせることが、女官長の復讐だったのでしょうか。
いったいどういう人なのだろう、女官長とは。
遠くからでも良いから、姿を見てみたいと思いました。王都にいるうちに、ぜひ一度。
そして願いは意外な形で叶えられることとなりました。
王族に仕えるような上級女官ではなく、中級、下級の女官の口ならば、途中で落ちた者にも機会があります。
なんと、私のもとに、王宮からの使者がやってきたのです。
持参したのは、なんと、女官長だったのでした。
てっきりAに会いにきたのだと思いましたが、Aの不在を告げても関心なさげに頷くだけでした。
顔見知りらしく、教師と懐かしく言葉を交わし、私にあたたかい視線を向けてくださいました。
「故郷からの合格者が出たのは久しぶりです。嬉しいことです」
というので、手ずから持参してくださったようです。
Aの縁者ということで、私はこの人に、半ば怪物のような先入観を抱いていたのですが。
顔立ちが、もしかしたら似ているかもしれない。Aや、Aの母親に。
だけど受ける印象が全く違いました。
貧乏人の娘は、自分の上にいる人間の性質を素早く見てとるものです。
長いこと子守としてあちこちのお家を渡り歩いた経験からくる勘でいうなら、こういう奥様が采配を握っている家には安心して勤められます。取るに足らない小娘にも理不尽なことはしないだろうと思わせる何かがあります。それがなんなのかは、うまく説明できないのですが。
「お励みなさい。誠意を込めてお仕えするものには報いがあるところですよ、私たちの王宮は」
と言ってくださいました。
それと自覚のある礼儀も何も知らない山出し田舎娘は、どのように返事をしたら良いかもわからず、ただ頷いていました。
ただ、「私も下級女官から始めたのですよ」とおっしゃった時には、思わず「あれっ。最終に残ったって聞いた」と口走ってしまいました。
女官長は「まあ、そういう話になっているのですか」とコロコロ笑っていた。
「話が大きくなっているようですね。はじめは庭の掃除ばかりしていましたよ」
最終に残るのは、やはり洗練された都会育ちというか、王都に近いところに住むお嬢さんたちになってしまう。私たちのような田舎出身の者には難しいのだそうです。
んじゃ、Aは?
問いは、かろうじて、口の中に留めておくことができました。
しばらくの談笑ののちに女官長がその場を辞し、館の前に待たせていた馬車に乗り込みました。
私や、教師も見送りのために表に出ていました。
馬車が動き出しました。
そのときです。まずいことにAが帰ってきました。
王宮の紋章入りの馬車を見て、その中にいるのが女官長と知ると、「おばさま!」と駆け寄ろうとしました。
轢かれる気か! 私は急いで抱きついて留めました。
走り出す馬車の中で、女官長はいま初めて気づいたかのようにゆっくりとAに眼差しを向けました。
そして、Aを見て……にっこりと笑ったのでした。
忘れられない笑顔になりました。
なぜなら、私はそのあと、何度も思い出しては考え込むことになったからです。
女官長はいったいなぜ、どんなつもりで、と。
ざまあみろといった顔をしていたなら、わかります。
けれども、なんの後ろめたさもなく、親しげですらある笑顔で。
……でも、それでいて、馬車を降りて慰めるとか、力及ばなかったことを謝るとか、そういうこともしなかった。
馬車は速度をゆるめることはなくそのまま行ってしまいました。
そういえば、私たちが王都についてから、Aは何度も王宮に手紙を出したのに、向こうからはなんの反応もなかったのでした。
暴れるAを抑えながら、角を曲がっていく王宮の馬車をぽかんと眺めておりました。
その夜、私のところに王宮からの申し出があったと知り、Cは飛び上がらんばかりに喜びました。知る人の少ない王都に嫁ぐのは、やはり心細かったのでしょう。
数日後、私たちは帰途につきました。
行きと違って帰りは稽古の必要もなく、のんびりとした旅で、少しくらいなら有名な景色を眺めに行くことも許されました。
Aは終始不機嫌顔でむっつりと黙り込むか、布団をかぶって不貞腐れているかでしたが、知ったこっちゃない。
ようやく故郷に到着すると、振り向きもせず迎えの馬車に乗り込んで行ってしまいました。
やれやれと顔を見合わせながら、戸惑う使用人に、Aの荷物を渡してあげました。
思えば、Aの姿を見たのはその後ろ姿が最後になりました。
私が故郷に帰ると、それはもう、村をあげての大騒ぎでした。
こんな結果は誰も予想していなかったのです。
家族と別れを惜しみつつも、次の月にCとその家族が王都に上がるのにご一緒させてもらって故郷を後にしました。
それから帰っていません。