今婚約するところなんです
「何に?それより貴方、婚約破棄はしていらしたの?」
エルフリーゼはモブ男君の言葉など気に掛けない。
モブ男君がエミーリアに告白する準備が整っているかだけが気になるらしい。
「はい。してきました。貴方はエミーリア様に婚約を申し込むために婚約破棄をして来いって仰ってましたけど、本当は僕、どんなに美しくてもモンスターをワンパンするエミーリア様ではなくて、貴方のような…」
隣のクラスのモブ男君はエミーリアたちと同じ一年生なので、アルバートがモンスターに犯されそうになったあの合同の武術訓練にも居合わせたいたのだろう。
だからモンスターをワンパンしたエミーリアを目の前で見ていたのだ。
口ごもった隣のクラスのモブ男君のことは意に介さず、エルフリーゼは髪をふさッと後ろに払った。
「婚約破棄ができてよかったですわね。これで貴方がエミーリア様を脅してでも婚約して、彼女が婚約者持ちになれば私の旦那様探しがずっと楽になりますわ。あー、よかった…」
「ですから。実は僕、ずっと親身に僕の話を聞いてくれて、親友の為に一生懸命策を練ってくれるエルフリーゼ様、貴方のために婚約破棄をしてきたのです」
「ええ、私の為にエミーリア様と婚約してくれるんでしょう?」
「いいえ、貴方と婚約するために婚約破棄をしてきたんです」
「……わ、わ、私と?な、なにを言ってらっしゃるの?私には既に目星をつけている方々が…」
真剣なまなざしのモブ男君の不穏な発言に、一瞬動きを止めたエルフリーゼが前のめりになって確認する。
なんと、モブ男君はヒロインではなく悪役令嬢に惚れたと宣言した。
ゲームではモブ男君はエミーリアが自分のことを好きだとエルフリーゼに聞かされて、嬉々としてエミーリアに告白してきていたのに。
「貴方は僕に、嬉しそうにたくさんの話をしてくださったではないですか…本当は僕と話したくて、エミーリア様をだしにしたんでしょう?僕のことが好きなのでしょう?」
モブ男君の目が輝き始める。声の抑揚が強くなる。
メンヘラ君は、事実を全部自分なりにひん曲げて解釈するスキルを持っているらしい。これが彼がメンヘラ君たる所以だ。
にじりにじり、とエルフリーゼに近づくモブ男君。
「そんなわけないですわっ…!」
「僕は羅刹の化身のようなエミーリア様より、エルフリーゼ様、可憐な貴方に強く惹かれました。
…僕は貴方と結婚しなければ死んでしまいます」
モブ男君はハッキリと言って、ニタァ、と笑った。それはそれは嬉しそうに笑った。
…痴情のもつれキター!
狂気の沙汰キター!
悪役令嬢エルフリーゼが見込んで仕込んだだけあって、この隣のクラスのメンヘラモブ男君、メンヘラ度がパねぇ!
ってか聞き捨てならないんだけど、誰が羅刹の化身だって?
エルフリーゼがメンヘラモブ男君のその狂気を感じ取ったのか、身を翻して慌てて逃げようとする。
隣のクラスのメンヘラモブ男君がばっと腰の横にあるポケットに手を突っ込みながら、逃げるエルフリーゼに追いつく。
そしてあっという間にエルフリーゼを後ろ手に固定して、ポケットから出した折り畳み式のナイフをエルフリーゼの首筋に当てていた。
「叫んでも誰も来ませんよ。貴方はここで僕の求婚にはいと答えるか、それともいいえと答えて僕と一緒に死ぬかです」
静かな声だが、興奮したメンヘラモブ男君の荒い息遣いが聞こえる。
首元の光るナイフに、後ろから締め上げられて身動きが取れないエルフリーゼが涙目で震えている。
彼女は息が上手くできないようで、喉に何かが詰まっているような音がする。
「…い…いや…私は…旦那様候補は…もう決めて…ヒッ。た、たすけ…!」
エルフリーゼは、必死の抵抗も虚しく更にぎゅっと締め付けられた。
一方のエミーリアは、倉庫の影であれ?と首を傾げていた。
…待て待て待て待て。何これおかしい。
ゲームではこうやってメンヘラモブ男君に捕らえられていたのはヒロインの私だったじゃん。
これ私にやってくれないと、私がレンフェーンに助けてもらえないじゃん。
「ねぇ、モブ男君!なんでそれ私にやってくれないの?!」
倉庫の影から叫びながらイノシシの如く転がり出て来たエミーリアに、エルフリーゼとモブ男君は目を見開いて驚愕の表情だ。
シュタッと態勢を整え、2人の前にスッと経つエミーリア。
「それ私にやってくれないとレンフェーンとのイチャイチャイベントが発生しないじゃん!」
エミーリアはキッとモブ男君を睨むと、囚われて恐れおののいていたエルフリーゼをいとも簡単に突き飛ばし、空になったモブ男君の腕の中にグワァァァと入ろうとする。
「いいから後ろから拘束して、頸筋にナイフ当ててよ!」
「な、何を言っているんですか?!」
モブ男君は青い顔でエミーリアの侵入を必死に拒否し、転げながらもエミーリアから逃げて、エルフリーゼを逃がすまいと彼女の制服の端を掴んで引き寄せていた。
「エ、エミーリア様、貴方のお気持ちは良く分かりましたけど、僕には心に決めた人が…!」
しりもちをついていたエルフリーゼを抱えるようにして拘束しているモブ男君が、下からキッとエミーリアに強い視線を送る。モブ男君の額には汗がにじんでいる。
モブ男君は座り込みながらナイフをエルフリーゼの首筋に当てなおした。
…何これ虐め?
なんで私無様にモブに振られたみたいになってるの?
ヒロインがモブに振られる乙ゲーなんて辛すぎるから、R100指定とかにして大賢者しかプレイできないようにしたほうがいいよ?
エミーリアもモブ男君を睨み返し、モブ男君がキュッと小さくなったところで、エミーリアはハッと目を見ひらいた。
神聖なる最推しの気配を感じたのだ。
後ろをばっと振り返る。
長身で細身の体躯がゆらりとこちらに向かってくる。まるで波紋さえも立てず水面を歩いているかのような、静かな足取りである。
そう。その人はレンフェーンだ。
ゲーム内で、隣のクラスのメンヘラモブ男君にナイフを突きつけられたエミーリアを助けたのがレンフェーンだったように、今ここにもレンフェーンが現れていた。
体育館裏の人が来ない場所で本でも読んでいたのだろう。片手に本を抱いている。
…あぁ。私、あの本になりたい。
それであの長い指でページをめくってもらうの。
レンフェーンが寝る前に私を読んでもらうの…エミーリアは目の前の修羅場的な状況を一瞬忘れて、最推しの登場にうっとりしてしまった。よだれが出ている。
「五月蠅い。痴話げんかは他所でやれ」
レンフェーンが歩きながら、三人に氷のように冷たい声をかける。
「…くっ…む、向こうへ行ってください、レンフェーン様。僕たちは今婚約するところなんです。すぐに去りますからご心配なく…」
エルフリーゼを捻り上げている隣のクラスのメンヘラ君は、エルフリーゼごとゆっくりと立ち上がり、レンフェーンに向かって震える声で言う。
「ナイフを突きつけて求婚か?熱心なことだな」
レンフェーンがメンヘラ君を一瞥し、ハッと短く嘲った。
隣のクラスのメンヘラ君は震える声で『合意の上だ』とか『仕方がなかったんだ』とかなんとか呟いて、メンヘラ君の方へ歩みを止めないレンフェーンを攻撃するために魔法の詠唱を始めた。
ゲームの仕様で、モブ男君はレンフェーンが現れたら攻撃するようになっているからなのか、どうなのか分からないが、モブ男君は横に立っているエミーリアの存在を忘れたかのように、攻撃の準備を始める。
しかしまぁ。
エルフリーゼを捻り上げてナイフを突きつけているから魔法以外に攻撃手段がないと言っても、この下衆なメンヘラ君は三年生の学園最強魔術師のことを知らないのだろうか。魔法攻撃でレンフェーンを吹っ飛ばせるわけがない。
このレンフェーンは、前世のエミーリア渾身の貢ぎによりカンストステータスを持っているのだ。
魔法攻撃力と魔法防御は学園ではエミーリアに次いで最強。そして彼は光魔法と闇魔法以外のすべての魔法が使える。
魔法詠唱を始めたメンヘラ君を鼻で笑い、レンフェーンも魔法詠唱を始めた。
レンフェーンの周りで、物凄い勢いで光り輝く魔法陣が組み上がっていく。
相対し合う、レンフェーンとモブ男君の一騎打ちの図が出来上がった。
…何これきゃあぁあああ、レンフェーンめっちゃかっこいい。結婚すりゅ。
魔法発動前の、切れ味抜群の瞳と風になびく髪がスーパーイケメンなんだけど。
ゲームより一兆倍かっこいいんだけど。
あれ?でも私、レンフェーンによだれ出してる場合じゃないよね?
このままだとメンヘラ君はスーパーイケメン・レンフェーンにやっつけられて、エルフリーゼが助け出されちゃうくない?それで二人でイチャイチャする流れじゃない?
やだやだやだ。スーパーやだ。レンフェーンが、私以外を助けるところなんて見たくない。ハイパー見たくない。
エミーリアは、ばっとレンフェーンとメンヘラ君の間に飛び出した。
レンフェーンがメンヘラ君にお灸をすえるために放った火炎魔法の業火と、メンヘラ君渾身の雷魔法の雷鳴の中に飛び込んだ形だ。
だがそんなもの何ともない。
エミーリアは飛び込んだ瞬間、その炎と雷をいとも簡単に無効化する光防御魔法を発動させていた。
激しい音がして、炎は蒸発でもしたようにたくさんの煙となって消える。雷は塵が風に吹かれたかのように音もたてずに消える。それらの魔法は、エミーリアの髪を揺らすことさえ叶わなかった。
エミーリアは光防御魔法をしゅんッと解除した。
そこでようやく、エミーリアの髪の毛の先が少し揺れる。
レンフェーンもエルフリーゼもメンヘラ君も、2つの魔法を一瞬で鎮圧したエミーリアに目を丸くしている。
これで、レンフェーンがエルフリーゼを助け出してしまうという拷問イベントはギリギリ回避できたはずだ。
「…ほ、ほら御覧なさい!エミーリア様は貴方が大好きだから、貴方をレンフェーン様から守ったのですわ!」
レンフェーンというイケメンの登場により気力が回復したエルフリーゼが、メンヘラ君に向かって叫びだす。
メンヘラのモブ一人さえ思うように操れない三流ではあるが、彼女も悪役令嬢のはしくれである。
イケメンを前にしたら元気が出るらしい。




