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第9話 東の森

『魔物だ』


血まみれの冒険者が言った。


『あんなの……聞いてねえぞ』


ギルドの中がざわつく。


床には、さっき運び込まれた男が横たわっている。


動かない。


『落ち着け。何があった』


職員の一人が声をかける。


冒険者は何度か息を整えた。


それでも、呼吸は荒い。


『東の森だ』


東。


俺が今日、ホーンウルフを狩っていた草原よりも先。


町へ来た時に通った道も、東から続いていた。


『依頼は?』


『ボアの討伐だ。俺たちは三人で森に入った』


『三人?』


職員が床に横たわる男を見る。


それから、もう一度冒険者を見る。


『もう一人はどうした』


『…………』


冒険者が俯いた。


答えは、それだけで分かった。


ギルドが静かになる。


『……死んだ』


小さな声だった。


『森に置いてきた』


誰も何も言わない。


冒険者が拳を握る。


『どうしようもなかったんだ。あいつがやられて、こいつも……』


床に横たわる仲間を見る。


『俺一人じゃ、二人とも連れて帰れなかった』


声が震えている。


『分かってる』


職員が言った。


『責めてるわけじゃない。何が出た』


『……フォレストベア、だと思う』


『思う?』


職員が眉をひそめる。


『見た目はそうだった。俺だって何度も見たことがある。けど……』


冒険者が言葉を詰まらせる。


『あんなにでかくない。あんなに速くない。それに――』


男が床に横たわる仲間を見る。


『あんなに強くない』


周囲の冒険者たちがざわつく。


『変異種か?』


誰かが呟いた。


『知らねえよ! 俺たちはボアを狩りに行っただけだ!』


男の声が荒くなる。


『あいつを見つけた時だって、三人なら何とかなると思った!』


誰も口を挟まない。


『最初の一撃で吹っ飛ばされた。盾ごとだぞ……』


男が自分の腕を見る。


血がついている。


でも、見たところ大きな傷はない。


ほとんどが仲間の血なのかもしれない。


『俺たちの攻撃も全然効かなかった。剣を入れても浅い。なのに向こうは――』


言葉が止まる。


床に横たわる男を見る。


その先は聞かなくても分かった。


俺もそっちを見る。


少し前まで、俺はステータスの振り方を考えていた。


ATKを上げるか。


AGIを上げるか。


VITを上げるか。


たったそれだけのことで悩んでいた。


でも。


この人にも、ステータスはあったんだろうか。


レベルも。


装備も。


仲間も。


それでも死んだ。


《VIT:17》


さっき振った数字を思い出す。


これで絶対に死なないわけじゃない。


当たり前だ。


『場所はどこだ』


職員の声で意識を戻す。


『東の森の……奥だ。街道から北に入ったところだ』


『依頼の指定区域より奥か?』


『いや、ぎりぎり範囲内だ。あんな奴がいるなんて聞いてなかった』


職員の表情が険しくなる。


近くにいた別の職員へ声をかけた。


『東の森の依頼を確認してくれ』


『はい』


職員が奥へ走っていく。


『他に異常は?』


『異常?』


『その魔物以外だ。数が多かったとか、普段見ない魔物がいたとか』


『……分からねえ』


冒険者が首を振る。


『逃げるので必死だった』


『そうか』


『ただ……』


『なんだ』


男が少し考える。


『静かだった』


『静か?』


『ああ』


男が東の方角を見るように、ギルドの壁へ視線を向けた。


『森なのに、妙に静かだった。鳥も……他の魔物も、ほとんど見なかった』


また、ギルドがざわついた。


それがどういう意味なのか、俺には分からない。


でも周りの反応を見る限り、普通ではないらしい。


奥へ行っていた職員が戻ってきた。


何枚かの紙を持っている。


『現在、東の森を対象にした依頼が六件あります』


『全部止めろ』


『はい』


即答だった。


『すでに向かっている冒険者は?』


『確認します』


『戻り次第、東の森への立ち入りを一時禁止する。門にも連絡を』


ギルドの中が一気に慌ただしくなる。


掲示板へ向かう職員。


奥へ走る職員。


冒険者たちも、それぞれ話し始める。


『変異種じゃねえのか?』


『だったら討伐隊が出るだろ』


『一体だけならな』


『他にもいるってのか?』


『知らねえよ』


俺は椅子に座ったまま、その会話を聞いていた。


東の森。


強い魔物。


死人が二人。


行かない方がいい。


それだけは分かる。


そもそも俺は、今日ようやく初めての依頼を達成したばかりだ。


ホーンウルフ2体でも苦戦した。


そんな俺が行ってどうにかなる話じゃない。


声をかけられて顔を上げる。


さっきの受付の男性だった。


『今日はもう宿へ戻った方がいいですよ』


「そうする」


素直に立ち上がる。


今日はもう十分だ。


依頼も終わった。


レベルも上がった。


金も入った。


それなのに、さっきまであった達成感はほとんど消えていた。


出口へ向かう。


途中で、床に横たわる男が目に入る。


布が掛けられていた。


見ないようにして、ギルドを出た。


外はまだ明るい。


町の中を人が行き交っている。


店から声が聞こえる。


子供が走っている。


いつも通りだ。


少なくとも、ここから見る限りは。


東を見る。


建物に遮られて、森なんて見えない。


「……行くのはやめとこう」


誰に言うでもなく呟く。


危ないと分かっている場所へ行く理由はない。


俺は勇者でもない。


世界を救えと言われて転生したわけでもない。


この世界で生きていけ。


神に言われたのは、それだけだ。


なら。


まずは死なないことだ。


鉄拳亭へ向かって歩き出す。

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