第5話 宿屋
冒険者ギルドを出た。
まずは飯。
これはもう決定事項だ。
ただ、飯だけ食える店を探すより先に、今夜寝る場所を決めた方がいい気がする。
宿によっては飯も出るだろう。
「宿屋か」
街道で会った二人から、中央通りに何軒かあると聞いている。
通りを歩きながら、それらしい建物を探す。
飲食店らしき店。
武器屋。
道具屋。
見たことのない物を並べている露店。
気になるものは多い。
でも今は腹が減った。
それに、さすがに疲れた。
魔物と戦って、町まで歩いて、冒険者にもなった。
異世界初日にしては十分働いた気がする。
今日はもう、飯を食って寝たい。
しばらく歩くと、二階建ての建物が見えた。
入口の横には、ベッドと握り拳を描いた看板が下がっている。
鉄拳亭。
「……宿だよな?」
看板にはちゃんとベッドも描いてある。
たぶん大丈夫だろう。
扉を開ける。
中にはいくつかのテーブルが並んでいた。
奥にはカウンター。
肉を焼いた良い匂いがする。
当たりだ。
『いらっしゃい』
カウンターの奥から声がした。
出てきたのは、四十代か五十代くらいの男だった。
綺麗に剃り上げた頭。
太い首に、さらに太い腕。
宿屋の主人というより、歴戦の傭兵と言われた方が納得できる。
愛想がいいという感じでもない。
『泊まりか?』
「ああ。とりあえず三日くらい」
『飯は?』
「あるなら食いたい」
『朝と夜なら出せる』
「じゃあ、それも頼む」
『三泊、朝夕の飯付きで大銅貨二枚と銅貨四枚だ』
「……」
俺は黙って袋を取り出した。
中を見る。
硬貨を見る。
亭主を見る。
『なんだ』
「ちょっと待って」
門で一度教えてもらった。
教えてもらったんだけど。
大銅貨ってどれだ。
銀貨が高い。
それは覚えている。
問題は、その下だ。
似たような色の硬貨が何種類かある。
「……これ?」
一枚出してみる。
亭主が見る。
『足りん』
戻す。
別の硬貨。
「これ?」
『多い』
「じゃあこれ」
『足りん!』
「……」
難しいな、この世界の金。
亭主が怪訝そうな顔で俺を見る。
『お前、金の使い方知らねえのか?』
「ちょっと事情があって」
『どんな事情だ』
「生まれて間もないんで……」
『……』
「……」
『もういい。袋ごとよこせ』
「取らない?」
『取らねえよ!!』
思ったより強めに返された。
「……じゃあ、頼む」
一応、警戒しながら袋を渡す。
亭主は中を確認すると、硬貨を何枚かカウンターへ並べた。
『これが小銅貨』
一番小さい硬貨。
『これが銅貨。小銅貨十枚で銅貨一枚』
次。
『大銅貨。銅貨十枚』
そして銀色の硬貨を指す。
『銀貨。大銅貨十枚』
「なるほど」
十進法。
助かる。
全部バラバラだったら覚えるのを諦めていたかもしれない。
『その上が大銀貨。その上が金貨だ』
「金貨もあるのか」
『お前の袋には入ってねえけどな』
残念。
いや、持っていても使い道が分からないか。
亭主が大銅貨二枚と銅貨四枚を取る。
『三泊、朝夕の飯込みでこれだ』
「なるほど」
『ついでに覚えとけ。この辺じゃ、飯付きの宿なら一泊で銅貨八枚前後が普通だ』
「八枚」
『宿によって多少変わるがな。大銅貨一枚出して釣りが来りゃ、大体そんなもんだ』
「なるほど。次からは一人で払えそうだ」
『最初からそうしてくれ』
「善処する」
『そこは約束しろ』
ごもっとも。
金を払い、三日分の部屋を取った。
『飯はすぐ出せるぞ』
「頼む!」
もう限界だ。
適当なテーブルに座る。
少しして、亭主が皿を持ってきた。
焼いた肉。
野菜。
パン。
スープ。
豪華ではない。
でも。
「うまそう」
肉を一口食う。
「……うまい!」
何の肉かは分からない。
でも、ものすごくうまい。
香ばしく焼かれた肉を噛むたびに、肉汁が口の中に広がる。
パンをスープにつけて食べる。
これもうまい。
肉を食う。
またパン。
気づけば、ほとんど喋らずに食べていた。
『よっぽど腹減ってたんだな』
いつの間にか、亭主が近くに立っていた。
「昨日から何も食ってない」
正確には、この世界に来てから。
『そりゃ減るわ』
亭主は空いている椅子を引いた。
客もまだ少ない。
暇なのかもしれない。
亭主の目が俺の首元に向いた。
さっきもらった冒険者登録証。
『冒険者か』
「今日から」
『新人か』
「さっき登録した」
『その割には剣持ってんだな』
「最初から持ってた」
神様にもらった。
もちろん、そこまでは言わない。
『名前は?』
「ガッシュ」
言ってから少しだけ変な感じがした。
まだ自分でも慣れていない。
『俺はバルドだ。この宿の主人』
バルド。
覚えやすい。
「よろしく、バルド」
『ああ』
バルドは俺の荷物を見る。
『荷物、それだけか?』
「ああ、これで全部」
『旅してきた割には少ねえな』
来た。
「まあ……ちょっと事情があって」
『また事情か』
「色々あるんだよ」
『お前の場合、ありすぎだろ』
否定はできない。
『どこから来た?』
さて。
どうする。
出身地不明。
荷物なし。
金の使い方も知らない。
受付では、東から来たんじゃないかと言われた。
だったら。
「……たぶん東の方?」
『なんで疑問形なんだ?』
「記憶が曖昧なんだよ」
『……お前、本当に色々大丈夫か?』
「たぶん」
『その「たぶん」が一番信用できねえ』
ひどい。
でも反論できない。
バルドはしばらく俺を見る。
『まあ、記憶が曖昧なら仕方ねえが……東か』
その言い方が妙に引っかかった。
「東って、そんなに酷いのか?」
『昔からじゃねえ』
バルドは首を振った。
『俺がガキの頃は、今よりずっと東まで人が住んでた』
「どれくらい?」
『ここから何日も行った先まで街道が続いてた。商人も普通に行き来してたし、向こうから来る客も多かった』
バルドがカウンターへ目を向ける。
『親父がこの宿をやってた頃は、東から来た商人で部屋が埋まることもあったらしい』
「今は?」
『減った』
短い答えだった。
『町が一つ消えりゃ、その先から来る奴も減る。村が潰れりゃ、そこを通る商人もいなくなる』
「魔物に?」
『ああ』
バルドは頷いた。
『最近は特にな』
最近。
街道で会った二人も言っていた。
魔物が強くなっている。
数も増えている。
「東から逃げてくる人もいるって聞いた」
『ああ。ここにも泊まるぞ』
「この宿に?」
『珍しくもない』
バルドはそう言った。
『家族で来る奴もいる。荷物を抱えてる奴もいれば、本当に着の身着のままの奴もいる』
俺は自分の荷物を見る。
受付の女性が勘違いした理由が、少し分かった気がした。
「それで西へ?」
『大抵はな。この町で仕事を探す奴もいるし、もっと西へ行く奴もいる』
「じゃあ、人が住める場所が少しずつ西に下がってる?」
バルドは少し考えてから頷いた。
『そういうことになるな』
それは、思っていたより深刻な話だった。
東に危険な場所がある。
その程度に考えていた。
でも違う。
危険な場所が、少しずつ広がっている。
人間の住む場所が押されている。
「原因は?」
『魔物以外にないだろ』
「なんで増えてる?」
『俺が知るか』
即答だった。
『分かってたら、とっくに誰かがどうにかしてる』
「それもそうか」
『冒険者や兵士が討伐してるが、全部殺せるわけでもねえ。東へ行くほど強い奴も増える』
神様の言葉を思い出す。
――もしよければ、東へ向かってほしい。
やっぱり何かある。
偶然で済ませるには、東という言葉を聞きすぎている。
『お前』
バルドが言った。
『東へ行くつもりか?』
「え?」
『さっきから妙に気にしてるだろ』
「……そのうちな」
『やめとけやめとけ』
即答だった。
『冒険者になったばかりなんだろ』
「ああ」
『なら、まずこの辺で仕事覚えろ。東なんざ逃げねえよ』
逃げないどころか、こっちに近づいてきてる気もするけど。
それは言わなかった。
「明日、初めて依頼を受けてみようと思ってる」
『そうしろ』
「ホーンウルフなら一匹倒したけど」
バルドが止まった。
『……いつ?』
「今日。町に来る途中」
『一人で?』
またそれ聞かれた。
「一人」
バルドが俺の剣を見る。
『新人じゃねえのか?』
「冒険者としては新人」
『そういう意味じゃねえ』
「倒せたのは、まあ……まぐれみたいなもんだよ。もちろん素材は全部置いてきた」
『……なんで「もちろん」なんだよ』
「ギルドで金になるって聞いた」
『置いてきたなら、ならねえだろ』
「それは後で知った」
『……』
バルドが大きく息を吐いた。
『お前、本当に大丈夫か?』
「たぶん」
『やっぱりその「たぶん」が信用できねえ』
ひどい。
でも反論できない。
食事を終える頃には、外も暗くなり始めていた。
『ほら、部屋案内するぞ』
バルドがカウンターから鍵を取る。
「場所だけ教えてくれれば分かるぞ」
『お前の「分かる」は信用ならねえ』
「ひどくない?」
『いいから来い』
バルドに連れられて二階へ上がる。
廊下の奥から二番目。
バルドが扉の前で止まった。
『ここだ』
鍵を渡される。
「ありがとう」
『なくすなよ』
「さすがに鍵くらいはなくさない」
『……』
「なんだよ」
『いや。頼むぞ』
「信用なさすぎだろ」
バルドはそのまま階段を下りていった。
部屋に入る。
小さな部屋だった。
ベッド。
机。
椅子。
それだけ。
十分だ。
剣をベッドの横へ置く。
そのまま倒れ込んだ。
「……疲れた」
天井を見る。
死んだ。
神様に会った。
異世界へ来た。
魔物に襲われた。
レベルが上がった。
町へ来た。
冒険者になった。
名前も決めた。
そして。
東。
人が住める場所が、少しずつ西へ押されている。
神様は俺に東へ向かってほしいと言った。
何か関係がある。
たぶん。
でも、今考えても分からない。
「明日だな」
まずは依頼。
この世界で生きていくなら、知らないことが多すぎる。
一つずつ覚えていけばいい。
目を閉じる。
「……長い一日だったな」
本当に。
そのまま意識が落ちた。
――そして。
次に目を開けた時には、禿げた厳ついおっさんの顔が目の前にあった。




