第3話 身分証がない
町の門へ近づくにつれて、人の数が増えていった。
荷車を引く商人。
大きな荷物を背負った旅人。
剣や槍を持った連中もいる。
門の前には短い列ができていた。
「結構ちゃんとしてるんだな」
『何がだ?』
一緒に来た男に聞かれた。
「いや、なんでもない」
石造りの壁に、頑丈そうな門。
その両脇には槍を持った兵士。
異世界の町というから、もっと簡単に出入りできるものを想像していた。
列は少しずつ進んでいく。
前にいた商人らしき男が、門番に何かを見せた。
小さな板のようなものだった。
確認した門番が頷き、商人を通す。
次の旅人も同じ。
「……ん?」
嫌な予感がする。
そして俺たちの番になった。
荷物を運んでいた二人は、それぞれ何かを取り出した。
さっき見たものと同じだ。
門番が確認する。
『よし、通っていいぞ』
二人が進む。
俺もその後について行こうとした。
『待て』
ですよね。
門番に止められた。
『身分証は?』
「……」
身分証。
やっぱりか。
「ない」
『ない?』
門番の目が細くなる。
後ろを歩いていた二人も振り返った。
『お前、身分証も持ってないのか?』
「……持ってないな」
『町の場所も知らない。魔物も知らない。そのうえ身分証もないのかよ』
若い方が呆れた顔をする。
俺だって好きでこうなってるわけじゃない。
神様。
こういうのこそ最低限に含めてくれよ。
『どこから来た?』
門番に聞かれる。
またそれか。
「ちょっと遠くから」
『どこだ』
「……かなり遠く」
『だから、どこだ』
誤魔化せてない。
困った。
存在しない村の名前でも適当に言うか?
いや、下手に嘘をついて確認されたら余計に怪しい。
一緒に来た年上の男が頭を掻いた。
『こいつ、街道の外を一人で歩いてたんだ。俺たちも途中で拾った』
『知り合いじゃないのか?』
『今日会ったばかりだ』
援護なのか、それ。
余計怪しくなってないか。
門番は俺を上から下まで眺めた。
腰の剣。
小さな荷物。
そして、また顔。
『町の場所も知らないっていうのは?』
「それなんだけど……」
ここまで来たら、下手に誤魔化し続ける方が怪しい。
少し考えてから口を開いた。
「正直な話、あまり記憶がないんだ」
『記憶?』
「ああ。気がついたら草原にいて、ホーンウルフに襲われた」
二人の男が顔を見合わせる。
「返り討ちにしたのは覚えてる。でも、それより前のことがどうにも曖昧でな」
もちろん、本当は理由を知っている。
死んで。
神様に会って。
別の世界へ送られた。
そんなことを正直に話すわけにもいかない。
『自分の名前は?』
「それは覚えてる」
『出身は?』
「分からない」
門番が眉を寄せた。
『身分証を持っていたかどうかも?』
「分からない」
『なるほどな……』
完全に信じた様子ではない。
当然だ。
自分で言っていても怪しい。
だが、少なくとも今までの俺の言動には説明がつく。
町を知らない。
魔物を知らない。
金の価値も分からない。
全部、記憶が曖昧だから。
『まあ、いい。身分証がないなら確認させてもらう』
門番が詰所へ声をかける。
別の兵士が、小さな箱を持ってきた。
箱の上には、透明な石のようなものが埋め込まれている。
『手を乗せろ』
「これ何?」
『犯罪歴を確認する魔道具だ』
出た。
魔道具。
いきなり異世界感が増した。
「これで分かるのか?」
『少なくとも、罪を犯して手配されてる人間なら反応する』
なるほど。
どういう仕組みかは全く分からない。
魔法ならそういうものなのかもしれない。
言われた通り、石の上に手を乗せる。
一瞬。
石が淡く光った。
「……」
門番がそれを確認する。
『問題なし』
よかった。
この世界に来てまだ一日も経ってないんだから、これで犯罪者扱いされたらさすがに困る。
『この町に来た目的は?』
「とりあえず飯と寝る場所を探しに」
『とりあえず?』
「あと、この辺のことを何も知らないから情報収集」
門番が俺を見る。
さっきよりは多少、警戒が薄れた気がする。
記憶がない人間としてなら、一応筋は通っているらしい。
『身分証がない者は、そのまま町には入れん』
「やっぱり?」
『ただし、仮滞在証を発行できる』
「仮滞在証?」
門番が小さな木札を取り出した。
『身元を確認できない旅人用だ。今の確認結果とお前の特徴を記録しておく。町の中ではこれを持ち歩け』
木札には数字らしきものが刻まれている。
どうやらこれで管理するらしい。
なるほど。
完全に入れないわけではないらしい。
「これ、無料だったりする?」
『するわけないだろ。入町税がかかる』
来た。
一番困るやつだ。
金ならある。
神様にもらった。
問題は――。
「……いくら?」
門番が金額を答えた。
俺は袋の中から硬貨を取り出す。
数枚。
色も大きさも違う。
「……」
どれだ?
門番を見る。
硬貨を見る。
もう一度、門番を見る。
『どうした』
「いや」
分からん。
金の価値が。
神様。
本当に最低限しか用意してないな。
「これで足りる?」
適当に一枚差し出した。
門番が硬貨を見る。
そして俺を見る。
『それ、銀貨だぞ』
「銀貨」
『入町税に銀貨を出す奴があるか』
知らんがな。
俺の世界なら銀貨なんて使ったことない。
「じゃあ、どれ?」
『俺に聞くな』
もっともだ。
後ろから笑い声がした。
振り返ると、若い男が肩を震わせている。
「笑うなよ」
『いや、お前……本当に何も知らねえんだな』
「だから言っただろ。記憶が曖昧なんだよ」
『名前は覚えてるのに金は忘れたのか?』
「俺が聞きたい」
若い男がとうとう声を出して笑った。
さっきまで怪しまれていたことを考えれば、笑われるくらいの方がマシか。
結局、年上の男に教えてもらいながら硬貨を選び、入町税を払った。
門番は俺の外見や装備を紙に書き留めると、木札を渡してきた。
『なくすなよ。出る時にも必要だ』
「これが身分証になる?」
『この町の中だけだ』
やっぱり仮は仮らしい。
「じゃあ、ちゃんとした身分証が欲しい場合は?」
『住民登録するなら役所。商売をするなら商業ギルド。あとは――』
門番が俺の腰の剣を見る。
『冒険者になるなら、冒険者ギルドだな』
出た。
冒険者ギルド。
やっぱりあるらしい。
「冒険者ギルドで登録すれば、身分証がもらえる?」
『登録証が身分証代わりになる。大抵の町なら通用する』
それは便利だ。
今後、東へ向かうなら町を移動することになる。
そのたびにこんなやり取りをするのは面倒だ。
「冒険者になる条件は?」
『それはギルドで聞け』
そりゃそうか。
門番から木札を受け取り、ようやく門を通る。
先で待っていた二人と合流した。
『冒険者になるのか?』
年上の男が聞いてきた。
「まだ分からない」
そう答えてから少し考える。
魔物を倒せば、俺は強くなれる。
これから東へ向かうなら、戦う機会も増えるだろう。
冒険者なら魔物の情報も集まりそうだ。
それに――。
腰の木札を見る。
「身分証は欲しい」
若い男が吹き出した。
『冒険者になる理由がそれかよ』
「重要だろ、身分証」
少なくとも今の俺には重要だ。
町の中へ入る。
最初に感じたのは、人の多さだった。
通りの両側に建物が並び、店先から声が飛び交っている。
焼いた肉の匂い。
パンらしきものの匂い。
金属を叩く音。
馬車の車輪が石畳を転がっていく。
さっきまで草原を一人で歩いていたのが嘘みたいだ。
「おお……」
思わず立ち止まる。
本当に異世界なんだな。
今さらながら、そんな実感が湧いてきた。
『俺たちは荷物を届けに行く』
年上の男が言った。
「ああ。助かったよ」
この二人に会わなかったら、町に着くまでにもっと苦労していたと思う。
『宿なら中央通りに何軒かある。飯も食える』
「冒険者ギルドは?」
『この道をまっすぐ行けば分かる。剣を持った奴が出入りしてるからな』
分かりやすい。
「ありがとう」
二人と別れる。
さて。
宿。
飯。
冒険者ギルド。
やることは色々ある。
腹の具合を考えれば飯が最優先だけど――。
俺は手にした仮滞在証を見る。
「先に身分証だな」
異世界に来て、最初に欲しくなったものは、伝説の剣でも魔法でもなかった。
身分証だった。




