第2話 この世界の人間
細い道を歩き始めて、どれくらい経っただろう。
太陽の位置を見る限り、まだ昼を過ぎたくらいだと思う。
たぶん。
「時計くらい持たせてくれてもよかったんじゃないか……」
当然、スマホもない。
時間も分からない。
地図もない。
方角すら分からない。
頼れるものといえば、細い道が一本あるだけ。
「東へ行けって言われてもなあ」
せめて東がどっちなのか教えてほしかった。
太陽が昇る方向が東、沈む方向が西。
それくらいは知っている。
ただ、今の太陽だけ見て正確な方角を判断できるほど、俺は野生児じゃない。
まずは人を探す。
東へ向かうのはそれからだ。
しばらく歩いていると、道の先に何かが見えた。
「ん?」
動いている。
人だ。
それも一人じゃない。
荷台を引く馬らしき動物と、その横を歩く二人の男。
「おお……!」
思わず声が出た。
この世界に来てから初めて見る人間だ。
神様から人間がいるとは聞いていたけど、実際に見ると安心感がすごい。
向こうも俺に気づいたらしい。
二人のうち一人が、こちらを見た。
そして――。
腰の剣に手をかけた。
「……え?」
もう一人も止まる。
明らかに警戒されている。
なんでだ。
俺、そんなに怪しいか?
……怪しいな。
こんな何もないところを、一人で剣持って歩いてる。
「待ってくれ! 怪しい者じゃない!」
言ってから気づいた。
怪しい奴がよく言う台詞だ。
『そこで止まれ!』
男が叫んだ。
俺は素直に足を止める。
年齢は四十くらいだろうか。
日に焼けた顔。
革製らしき防具を身につけ、腰には剣。
もう一人は少し若い。
こちらは槍を持っている。
『どこから来た?』
「どこから……」
困った。
異世界から来ました。
なんて言えるわけがない。
「向こうの草原から」
『草原?』
男の眉が寄る。
『一人でか?』
「ああ」
『馬車もなし?』
「ない」
『仲間は?』
「いない」
質問に答えるたび、二人の顔が険しくなっていく。
まずい。
何か間違えたらしい。
『……よく生きてたな』
若い方が呟いた。
「そんな危ないのか?」
今度は二人とも黙った。
『お前、本当に何も知らないのか?』
「その……ちょっと事情があってな」
嘘ではない。
かなり特殊な事情だけど。
年上の男が俺をしばらく見つめる。
やがて、腰の剣から手を離した。
『まあいい。盗賊って感じでもなさそうだ』
助かった。
「それで……近くに町とかないか?」
『……は?』
男が怪訝な顔をする。
『町?』
「ああ。できれば今日中に着けるところがいいんだけど」
二人が顔を見合わせた。
『お前、この道をどこだと思って歩いてたんだ?』
「……さあ?」
『さあってお前……』
年上の男が呆れたように息を吐く。
『この道は西の町へ続く街道だぞ』
どうやら、知らない方がおかしいらしい。
そりゃそうか。
道があるということは、どこかとどこかを繋いでいる。
そこを何も知らずに歩いている奴がいたら、俺だって怪しいと思う。
『本当に何があったんだ、お前』
「まあ……色々あって」
これ以上は誤魔化すしかない。
男はまだ納得していない顔だったが、それ以上は聞いてこなかった。
『俺たちも町へ戻るところだ。ここからなら半日もかからん』
「助かった」
ようやくまともな寝床にありつけそうだ。
「よかったら一緒に行っていいか?」
男は少し考えてから頷いた。
『構わん。ただし、変な真似はするなよ』
「しないしない」
こうして俺は、二人と一緒に町へ向かうことになった。
話を聞くと、二人は近くの村から荷物を運んでいるらしい。
荷台には野菜や穀物の入った袋が積まれていた。
俺が最初に見た馬らしき動物も、よく見れば馬そのものだった。
異世界だからって、何もかも違うわけではないらしい。
「そういや、さっき危ないって言ってたけど」
俺は歩きながら尋ねた。
「この辺、野犬でも多いのか?」
『……野犬?』
若い男が妙な顔をした。
「ああ。さっき狼みたいなのに襲われたんだよ。額に角が生えてたけど」
『それ、野犬じゃねえよ』
「え?」
『魔物だ。ホーンウルフ』
魔物。
神様も言っていた。
向こうの世界には魔物がいる、と。
「……あれが魔物なのか」
『お前、魔物を見るのも初めてなのか?』
しまった。
また変なことを言ったらしい。
「いや、その……ああいうのは初めてで」
苦しい。
我ながら苦しい。
若い男がますます不思議そうな顔をする。
『で、そのホーンウルフは?』
「倒した」
『一人で?』
「ああ」
二人が同時に俺を見る。
まただ。
さっきから何か言うたびに怪しまれている気がする。
「……何?」
『いや』
年上の男が俺の腰の剣を見る。
『その装備でよくやったなと思ってな』
俺も自分の剣を見る。
神様からもらった短い剣。
どうやら大した装備ではないらしい。
「一匹だったからな」
実際、かなりギリギリだった。
二匹いたら危なかったと思う。
『一匹でも十分危険だ。特に最近の奴はな』
「最近の?」
『ああ』
男は少し声を落とした。
『前より強くなってる』
その言葉に、俺は足を止めかけた。
強くなっている。
魔物が。
「原因は?」
『分からん』
男は首を振る。
『冒険者たちも調べてるらしいがな』
冒険者。
いかにも異世界らしい単語が出てきた。
「冒険者って、魔物を倒したりする?」
『他に何するんだよ』
若い男が笑った。
「いや、まあ……そうだよな」
やっぱりいるのか。
冒険者。
ギルドとかもあるんだろうか。
聞きたいことは山ほどある。
けど、一気に質問したらまた怪しまれそうだ。
少しずつ聞こう。
「東の方もこんな感じなのか?」
何気なく尋ねた。
神様に言われたことを思い出しただけだった。
だが。
二人の表情が変わった。
『東?』
「ああ」
『お前、東へ行くつもりなのか?』
「そのうち」
年上の男が露骨に嫌そうな顔をした。
『やめとけ』
即答だった。
「そんなに危ない?」
『ここよりずっとな』
「魔物が多いのか?」
『多いし、強い』
男は前を向いたまま続ける。
『東へ行けば行くほど、人の住める土地は減っていく』
「……」
『昔はもっと向こうにも町や村があったらしいけどな。今じゃ放棄された場所も多い』
初耳だった。
神様。
聞いてないぞ。
できれば東へ向かってほしい。
ずいぶん軽い調子で言ってくれたけど。
「何があるんだ、東に」
『知らん』
男は答えた。
『だから誰も行きたがらない』
なんとも嫌な話だ。
世界を救えとは言われていない。
魔王を倒せとも言われていない。
ただ、生きればいいと言われた。
そのうえで――できれば東へ。
「……絶対なんかあるじゃん」
『何か言ったか?』
「いや、なんでもない」
まあいい。
今すぐ東へ行くわけじゃない。
まず町。
情報。
装備。
それからだ。
死なないことを優先すると決めたばかりなのに、何も知らず危険地帯へ突っ込むほど馬鹿じゃない。
しばらく歩く。
やがて道が少しずつ広くなってきた。
人とも何度かすれ違った。
荷車。
旅人。
剣を持った三人組。
人が増えていく。
そして、小高い丘を越えたところで――。
「おお……」
町が見えた。
石造りの壁。
その向こうに並ぶ建物。
煙突から煙が上がり、人の声が微かに聞こえてくる。
門の前には荷車が並び、武器を持った兵士らしき人間もいる。
ゲームの中で何度も見たような景色。
だけど。
画面じゃない。
風が吹いている。
人が動いている。
煙の匂いがする。
全部、本物だ。
「ようやく着いた……」
まずは飯。
それから寝る場所。
そして、この世界の情報。
東のことも気になる。
魔物が強くなっているという話も。
でも今は――。
腹が減った。
「……異世界でも腹は減るんだな」
当たり前のことを呟きながら、俺は二人と一緒に町の門へ向かった。




