第1話 死んだ。
死んだ。
――らしい。
最後の記憶は、ひどく曖昧だった。
何があったのか。
痛かったのか。
苦しかったのか。
思い出そうとしても、肝心なところだけ霧がかかったようにぼやけている。
ただ一つ、確かなことがある。
俺は死んだ。
そして今――。
「……どこだ、ここ」
真っ白な場所に立っていた。
いや、立っているという表現が正しいのかも怪しい。
床らしいものは見えない。
壁もない。
天井もない。
なのに足元には確かな感触があった。
「死後の世界……?」
『少し違うかな』
突然、声がした。
振り返る。
いつからそこにいたのか、一人の男が立っていた。
白い服。
穏やかな顔。
年齢は分からない。
若くも見えるし、老人にも見える。
何より妙なのは、その存在感だった。
ただそこに立っているだけなのに、なぜか人間ではないと分かる。
威圧感があるわけじゃない。
それでも、目の前にいる存在を見ていると、自然と一つの言葉が浮かんだ。
「……神様?」
『話が早くて助かるよ』
男は笑った。
どうやら当たりらしい。
「じゃあ、やっぱり俺は死んだのか」
『ああ』
あっさり言われた。
もう少しこう、残念だったねとか、そういうものはないのだろうか。
「生き返ったりは?」
『しない』
「即答かよ」
『期待させても仕方ないだろう?』
それもそうか。
不思議と、取り乱すほどの感情は湧いてこなかった。
まだ実感がないだけかもしれない。
元の世界に生き返れるわけでもないらしい。
だったら――。
「それで? 俺はこれから天国とか地獄とかに行くのか?」
『その前に、一つ提案がある』
神様はそう言って、俺を見る。
『別の世界で生きてみないか』
「……別の世界?」
『ああ』
剣と魔法。
魔物。
人間とは違う種族。
俺のいた世界とは、まるで違う世界なのだという。
話だけ聞けば、ゲームか何かの設定そのものだった。
「そこで何をすればいい?」
『生きればいい』
「……それだけ?」
『それだけだよ』
てっきり魔王を倒せとか、世界を救えとか言われると思っていた。
拍子抜けする。
『ただ、君が生きていくための力はいくつか与える』
「力?」
『向こうの世界には魔物がいる。倒せば経験を積み、今より強くなれるようにしておこう』
ますますゲームっぽい。
「レベルアップするってことか?」
『君の知識で言うなら、それが一番近いかな』
なるほど。
死んだと思ったら、神様に会って異世界転生。
ずいぶんベタな展開だ。
けど――悪くない。
元の世界に生き返れるわけでもないらしい。
だったら、もう一度生きてみるのも悪くない。
「分かった。行くよ」
『決断が早いね』
「他に行くところもないんだろ?」
神様が少し笑った。
『その通りだ』
そこで、何か思い出したように続けた。
『それと、これは命令ではないんだけどね』
「ん?」
『できれば東へ向かってほしい』
「東?」
『ああ。理由は――』
神様が一瞬、言葉を止めた。
『いずれ分かると思う』
「一番気になる言い方するなよ」
『全部知ってから旅をするより、その方が面白いだろう?』
「こっちは観光に行くわけじゃないんだけど」
神様は楽しそうに笑っている。
本当に大丈夫なのか、この神。
『そうだ。実はね、君以外にも、もう一人頼もうと思っていた人がいたんだ』
「俺以外にも?」
『話を最後まで聞かずに行ってしまってね』
「……大丈夫なのか、そいつ」
『まあ、時折様子は見ておこうと思うよ』
ものすごく不安になる話だった。
『それじゃあ、そろそろ送るよ』
「ちょっと待て。持ち物とかは?」
『最低限は用意してある』
「金は?」
『少しだけ』
「言葉は?」
『通じる』
「文字は?」
『読める』
「おお。意外と親切」
『神だからね』
そこは関係あるのだろうか。
『じゃあ――良い人生を』
その言葉と同時に、足元の感覚が消えた。
「うおっ――!」
真っ白だった世界が、一瞬で遠ざかる。
そして――。
目を開けた。
最初に感じたのは、風だった。
草の匂い。
土の匂い。
鳥の鳴き声。
見上げれば青い空。
「……マジか」
起き上がる。
周囲には草原が広がっていた。
遠くには森。
さらに向こうには山らしきものも見える。
服装も変わっている。
簡素なシャツにズボン。
腰には短い剣。
背中には小さな袋。
確認すると、中には水の入った革袋と保存食らしきもの、それから数枚の硬貨が入っていた。
「最低限って、本当に最低限だな……」
まあ、裸一貫よりはマシだ。
立ち上がったところで、視界の端に何かが浮かんだ。
「……ん?」
半透明の板。
目の前に浮いている。
【ステータス】
Lv.1
ATK 10
VIT 10
AGI 10
INT 10
ステータスポイント:0
「うわ、本当にゲームみたいだな」
触ろうとすると指がすり抜けた。
消えろと思えば消える。
出ろと思えば、また現れた。
便利ではある。
「とりあえず……人を探すか」
ここがどこなのかも分からない。
東へ行けと言われても、まず方角すら分からない。
そう思った、その時だった。
ガサッ。
草むらが揺れた。
「……」
反射的に腰の剣へ手を伸ばす。
草の中から現れたのは、小型犬ほどの大きさの生き物だった。
四足歩行。
灰色の毛。
狼に似ている。
ただし額から、小さな角が一本生えていた。
どう見ても普通の動物ではない。
「……いきなりかよ」
低い唸り声。
牙が見える。
逃げる。
一瞬そう考えた。
だが、相手は四足。
背を向けたら追いつかれる気がする。
だったら――。
剣を抜く。
重い。
ゲームのように軽々振り回せるものじゃない。
角のある獣が地面を蹴った。
「っ!」
横へ飛ぶ。
牙が服をかすめた。
転びそうになりながら踏ん張る。
怖い。
当たり前だ。
画面の向こうじゃない。
目の前に、本物の牙がある。
噛まれたら痛い。
下手をすれば――また死ぬ。
「冗談じゃねえぞ……!」
振り向いた獣が、再びこちらへ走ってくる。
今度は避けるだけじゃない。
引きつける。
まだ。
まだ――。
「今!」
身体をずらしながら、剣を振った。
手に、嫌な感触が伝わる。
刃が獣の肩口へ食い込んだ。
甲高い鳴き声。
獣が地面を転がる。
だが、まだ動いている。
「一発じゃ死なねえのかよ……!」
剣を握り直す。
立ち上がろうとする獣へ近づき――。
振り下ろした。
一度。
二度。
やがて、動かなくなった。
「……」
荒い呼吸だけが聞こえる。
手が震えていた。
ゲームとは違う。
当たり前だけど。
血の匂いも。
斬った感触も。
死ぬかもしれないという恐怖も。
全部、本物だった。
その時。
目の前に文字が浮かんだ。
《魔物を討伐しました》
《経験値を獲得しました》
《Lv.1 → Lv.2》
《ステータスポイントを獲得しました》
「……本当に上がった」
ステータスを開く。
【ステータス】
Lv.2
ATK 10
VIT 10
AGI 10
INT 10
ステータスポイント:5
「5ポイントか」
四つの能力値。
ATK。
VIT。
AGI。
INT。
意味はだいたい想像できる。
昔やっていたMMORPGなら、ATKやINTに極振りして高火力で押し切るとか。
VIT極振りの肉壁。
AGIを上げまくって、回避と攻撃速度に特化するとか。
そういう遊び方もあった。
画面の中なら、それでいい。
死んでもやり直せる。
でも――。
さっき倒した獣を見る。
「極振りはねえな」
そもそもVIT極振りの肉壁なんて、仲間もいないんじゃどうしようもなさそうだ。
痛いのは嫌だけど、うーん……。
とりあえず、死なないことを優先する。
INTは……魔法の使い方すら知らない。
今振っても意味があるのか分からない。
なら。
ATKに1。
VITに2。
AGIに2。
決定する。
一瞬だけ身体が熱くなった。
【ステータス】
Lv.2
ATK 11
VIT 12
AGI 12
INT 10
ステータスポイント:0
「……お?」
剣を軽く振る。
さっきより、ほんの少しだけ軽い。
その場で数歩走ってみる。
こっちも少し違う。
劇的ではない。
でも確実に、身体そのものが変わっている。
「これは……結構でかいな」
魔物を倒せば強くなる。
強くなれば、生き残れる可能性が上がる。
ようやく神様がくれた力の意味が分かった気がした。
とはいえ。
「まず町だな」
魔物を倒し続けながら野宿生活なんて御免だ。
周囲を見渡す。
草原の向こう。
少し離れた場所に、細い道らしきものが見えた。
道があるなら、人がいる。
たぶん。
「さて……」
剣を鞘へ戻す。
とりあえず道まで出よう。
町を探す。
飯と寝床を確保する。
この世界のことを知る。
そして――。
東へ。
なぜ東なのかは分からない。
神様も教えてくれなかった。
まあ、急ぐ必要もないだろう。
せっかくもう一度もらった人生だ。
まずは、生き残る。
話はそれからだ。
俺は細い道を歩き始めた。




