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第8話 休日に咲く女王の素顔


 七条芹愛といつものように深く繋がり合い、互いの体温と切なさを溶かし合った翌日の日曜日。


 外の世界は初夏のまばゆい陽光に包まれており、俺は、昨日と同じように叔父の経営する喫茶店『ライムノート』でアルバイトに励んでいた。


 前髪を上げて額を出し、すっきりとセットされた髪型は、昨日七条たちが訪れたときと同じ。学校でのその他大勢の地味な陰キャモブ男子という仮面を完全に脱ぎ捨て、この店では評判のイケメン店員として、俺はカウンターの中で忙しく動き回っていた。


 そして、忙しいランチタイムが過ぎ去り、午後三時丁度。


 店内の客足が途絶え、穏やかなジャズのBGMだけが流れる静寂の時間がやってきた。


 やることがなくなった俺がカウンターに座り、暇を持て余していたその時だった。


 カランコロン、と入り口のドアのベルが軽やかな音を鳴らす。


「いらっしゃいませー」


 反射的に声を張り上げながら、俺はカウンターから顔を上げた。


 しかし、入店してきた人物の姿を見た瞬間、俺の喉はヒュッと音を立てて引きつり、続けるはずの言葉が完全に消え去った。


 そこに立っていたのは、見間違えようはずもない。


 我が校のクラスメイトであり、SNSのフォロワーを数多く抱えるインフルエンサー、そして校内では女王様として君臨している玖珂玲和奈だった。


 だが、その雰囲気が、いつもの学校での彼女とはあまりにも違っていた。


 いつもなら巻き髪を綺麗に整え、流行のブランド品やアクセサリーをこれでもかと身に纏い、計算された愛想笑いを浮かべているはずだ。


 しかし今日の彼女は、ふんわりとしたシンプルな白いワンピースに、足元は歩きやすいローヒール。メイクもどこかナチュラルで、そして何より、その顔には、学校では絶対に見せないような、底抜けに柔らかくて温かい、慈愛に満ちた笑顔が浮かんでいた。


 彼女は片方の手で、五歳くらいの小さな女の子の手を優しく引いていた。栗色のボブヘアをした、人形のように可愛らしい少女だ。


 うそ……だろ……? 玖珂が……小さい女の子と一緒に……?)


 脳の処理回路が一時停止しかける中、玖珂は俺の視線に気づいた様子もなく、小さな女の子の手を引いて窓際の席へと歩いていく。


 このままではいけないと、俺は慌てておしぼりと冷えた水を手にとり、足音を忍ばせるようにして彼女たちのテーブルへと近づいた。


「い、いらっしゃいませ。お水とおしぼりです」


 できる限り店員らしい落ち着いた声を絞り出すと、玖珂はふっと顔を上げ、俺の方を見た。


「ありがとうございます。あの、すいません。チョコレートパフェを一つ、それとキッズ用のオレンジジュースを一つお願いします」


「は、はい! チョコレートパフェ一つとオレンジジュースですね。かしこまりました」


 注文を復唱しながら、俺は思わず彼女の顔を二度見してしまった。


 あまりにも学校での印象と違いすぎて、脳内が混乱しているのが自分でもわかる。


「……あの、私の顔になにかついたりしてます?」


 不審に思ったのか、玖珂が首をかしげながら、自分の頬を軽く触って尋ねてきた。


「い、いえっ! 何でもありません! 失礼しました!」


 慌てて頭を下げ、俺は逃げるようにカウンターへと引き返した。


 教室での勝ち気で派手な彼女と、目の前にいるお姉さんとしての彼女。


 あまりのギャップに、頭の中でドッペルゲンガーの存在すら疑ってしまうレベルだった。



   §



 厨房に戻り、俺は動揺を抑えながらチョコレートパフェの調理に取りかかった。


 グラスの底にコーンフレークを敷き、バニラとチョコのアイスを重ね、ホイップクリームを絞り、ポッキーやチョコレートソースで飾り付ける。そして最後に、一番てっぺんに真っ赤なチェリーをちょこんとのせる。


 グラスに慎重にスプーンを添え、俺は再び彼女たちの席へと運んだ。


「お待たせしました。チョコレートパフェとオレンジジュースです」


「わぁ! きたよ、お姉ちゃん! パフェだって!」


 少女が、パッと両手を叩いて目を輝かせた。


「よかったね、玲美。ほら、お行儀よく食べるんだよ」


 玖珂は目を細め、まるですべてを包み込むような母親か、あるいは溺愛する姉のような、とびきり優しい眼差しで玲美と呼んだ少女を見つめている。


 その横顔があまりにも自然で、そして息をのむほど美しかった。学校で見せる作り物の女王様の仮面などどこにもなく、そこには一人の素直で優しい少女の姿があった。


 玲美ちゃんは待ちきれないといった様子でスプーンを手に取り、さっそくアイスと生クリームをすくって口いっぱいに頬張った。


「ん〜っ! おいしーい!」


「ふふ、よかったね。そんなに急いで食べると、お腹壊しちゃうよ」


 玖珂は優しく笑いながら、自分のハンカチを取り出した。


「ほら、玲美、お口の周りが……ちょっとこっち向いて」


 そう言って、自分の体を引き寄せ、女の子の口元についたチョコレートを丁寧に拭き取ってやる。その手際よさと、慈しむような仕草の細やかさに、俺はカウンターの陰から思わず見とれてしまった。


 面倒見がいい、あまりにも意外な一面だった。


 学校では、他人に媚びることはあっても、誰かの世話をこんな風に心から楽しそうに焼く姿なんて想像もつかない。


 けれど、その平和な時間は突如として訪れたハプニングによって破られた。


「ああっ!」


 玲美ちゃんが、パフェのてっぺんにのっていた一番の楽しみである真っ赤なチェリーを、勢い余ってスプーンから転げ落としてしまったのだ。


 チェリーは床にポトリと落ち、非情にも転がっていく。


「あー……っ、うう……っ」


 玲美ちゃんの目がみるみるうちに潤み、唇がへの字に曲がる。今にも大粒の涙がこぼれ落ちそうな、絶望の表情だった。


「あー、なにやってるの、玲美。だから気をつけてって言ったでしょ」


「うー……っ! さくらんぼ食べたかったのに……! まっかっかの食べたかったのに……!」


「落としちゃったものはしかたないでしょ? ほら、泣かないの」


 なだめようとする玖珂の言葉も耳に入らない様子で、女の子は本格的に泣き出す寸前だった。店内の他の客の視線もちらほらとこちらに向き始める。


 やばい、このままじゃ泣き出してしまう……!


 居ても立ってもいられなくなった俺は、すぐさま厨房の冷蔵庫へと駆け込み、新しいチェリーを一つ取り出した。そして小さな小皿にそれをのせ、小走りで彼女たちのテーブルへと戻った。


「あ、あの……よかったら、これ使ってください」


 俺が差し出した小皿の上には、ツヤツヤと輝く真っ赤なチェリーがのっていた。


 玖珂は目を丸くし、それから驚いたように俺の顔を見上げた。


「え……? これって……」


「はい、サービスです。さっき落としちゃった分です。あ、でも、店長には内緒ですよ?」


 俺が少しだけ困ったような笑みを浮かべて見せると、女の子の顔にパッと奇跡のような笑顔が戻った。


「ほんと!? やったぁ!」


 女の子は落ちていたチェリーのことなどすっかり忘れ、新しくやってきたチェリーをスプーンですくい上げ、嬉しそうに口へと放り込んだ。そして、満足そうにほっぺたを膨らませる。


 それを見た玖珂は、ほっと胸を撫で下ろすと同時に、驚きと感謝の入り混じった複雑な瞳で俺を見た。


「あの……わざわざありがとうございます。すみません、店長さんに怒られませんか?」


「大丈夫です、気にしないでください。それに、泣かれちゃったらこっちも困っちゃいますからね」


 俺が軽く笑ってみせると、女の子が急に思い出したようにピタリと動きを止め、俺を見上げた。


「ねえねえ、お兄ちゃん」


「ん? どうしたの?」


「これ、ひみつ?」


 女の子は、小さく可愛い指を一本、自分の小さな唇にピタッとあてがってみせた。


「……っ!」


 その仕草があまりにも可愛らしくて、俺と思わず息を呑む。


「そう。しー、だよ」


 俺も同じように、自分の人差し指を口元に当てて、小さく「しー」のジェスチャーを返してみせた。


「ふふっ、わかった! ひみつね、しー、だね!」


 女の子が嬉しそうに声を上げて笑う。


 そのやり取りを見ていた玖珂は、ふっと力を抜き、それから心からの、とびきり綺麗な笑顔を俺に向けた。


「ありがとうございます。……あなた、本当に優しいんですね」


 その言葉は、学校で男子たちを値踏みするような女王様としての声音ではなく、年ごろの女の子としての、素直で、あまりにも温かい響きを含んでいた。


 あまりの直球な優しさと、その無防備すぎる笑顔に、俺の胸の奥はドクリと大きく跳ね、思わず顔に熱が集まるのを感じた。


「い、いえ……! どういたしまして!」


 これ以上顔を合わせているとボロが出そうだった俺は、慌てて頭を下げると、足早にカウンターへと引き返した。



  §



 それからしばらくして、チョコレートパフェを綺麗に平らげた玲美ちゃんと玖珂は、席を立ってレジへとやってきた。


「お会計、お願いします」


「はい、チョコレートパフェ一つとキッズジュースで、〇〇円になります」


 俺がレジを打ちながら告げると、玖珂は財布からスッとスマートにカードを取り出し、支払いを済ませた。


 そして、店を出ようと扉に手をかけたその瞬間、彼女はふと足を止め、振り返って俺に声をかけた。


「あの」


「は、はい?」


 身構える俺に、玖珂は少しだけ照れくさそうに、けれどまっすぐな瞳で見つめながら言った。


「さっきは……本当にどうもありがとうね。助かったよ。ほら、玲美も、お兄ちゃんにバイバイは?」


 玖珂に促され、女の子が元気に手を振る。


「うん! お兄ちゃん、ありがとー! バイバイ!」


「お、おう! バイバイ、また来てな」


 俺が手を振り返すと、女の子は嬉しそうにキャッキャと笑い、玖珂に手を引かれてカランコロンと心地よいベルの音を残して店を出て行った。


 店の外へと消えていく二人の後ろ姿を、俺はしばらくの間、カウンターの中からぼんやりと見送っていた。


 まさか……あの玖珂玲於奈にあんな一面があったなんてな……。


 学校でのきらびやかで少し近寄りがたい女王様としての姿。


 そして、今日見せた、小さな子供を思い切り可愛がり、優しい笑顔を浮かべる一人の少女としての素顔。


 どちらが本当の彼女なのだろうか。


 いや、おそらくそのどちらもが本物の玖珂玲於奈なのだろう。


 人は誰しも、他人には見せない顔や、守りたいプライド、そして隠された素顔を持っている。


 学校では決して交わることのないクラスメイトたちの知られざる一面を、この喫茶店という場所で、俺は偶然にも目撃してしまったのだった。


 ……それにしても、あんな可愛い笑顔を向けられたら、ちょっとズルいよな……。


 心の中で小さく呟きながら、俺は胸の片隅にほんの少しだけ残った甘い気恥ずかしさを抱えつつ、次の客の来店を待つために、再び店員としての仮面をしっかりと装着し直した。



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