第40話 最優秀賞の歓声と、偽りの微笑み
白峯高校の校庭を包み込んでいた午後の陽射しは、いつしかゆっくりと傾き始め、周囲の景色や校舎を深い茜色に染め上げていく。
二日間にわたって開催された『白峯祭』は、すべての公開スケジュールを終え、出し物や模擬店がその営業を締めくくっていた。
体育館には、全校生徒と教職員たちが一堂に会し、フィナーレを飾る『閉会式』の開始を待ちわびている。
二日間の長丁場を駆け抜け、生徒たちの顔にはそれをやり切った達成感と、受賞への期待に満ちた熱気が渦巻いていた。
……なんとか、二日間を終えたけど、無事に──とはいかなかったな……。
心の中で小さく息をつく。
この二日間、クラスの和風メイド&執事喫茶『雅』の裏方として奔走し、時には玖珂玲於奈に正体がバレるという危機を乗り越え、さらには校内で起きた黒崎翔矢たちの暴力騒動を正当防衛で鎮圧するという、モブにあるまじき大立ち回りを演じることになった。
だが、それ以上に俺の心を重く占めているのは、先程体育館の舞台裏で起きた出来事だった。
芹愛が、実の母親であるトップ女優・真中凛花から投げつけられた、あの氷のように冷酷な拒絶の言葉の数々。
あの時、舞台裏の暗がりの中で崩れ落ち、声を押し殺して激しく泣きじゃくっていた芹愛の姿が、脳裏からどうしても離れなかった。
……あんな残酷な言葉を浴びせられた直後に、このお祭り騒ぎの輪に戻るなんて、普通なら耐えられるはずがない……。
心配になって、彼女のほうへとそっと視線を向けようとした時、壇上に立った生徒会長が、マイクを握りしめ、全校生徒に向けて力強く声を張り上げた。
「それでは、大変お待たせいたしました! 今年の白峯祭、全クラスの模擬店、および出し物の中から、最も素晴らしい成果を収めたクラスに贈られる『最優秀賞』の発表を行います!」
そのアナウンスが響いた瞬間、全校の生徒たちが息を呑み、空気が一瞬にして緊張感に包まれた。
少しのための後、生徒会長が高らかに宣言する。
「今年度の最優秀賞は……一年C組! 和風メイド&執事喫茶『雅』です!!」
その言葉が響いた瞬間、一年Cクラスの生徒たちの陣地から、喜びの歓声が爆発した。
「うおおおおおっ、マジかぁぁぁ――っ!!やったぞおおお!!」
「最優秀賞だ! 全校のトップだよ、私たち!」
「やったな! みんなの努力が報われたぁ!」
誰もがこの栄誉を心から喜び、互いに抱き合い喜びを爆発させている。白峯祭の二日間の苦労がすべて報われた瞬間だった。
そんな中、クラス委員長が誇らしげな顔でステージへと上がり、全校生徒の盛大な拍手を浴びながら表彰状を受け取る。
「皆、本当にありがとう! やったぞーっ!」
クラス中がこの日一番の熱狂に包まれる中、俺も遠くからその様子を見守りながら笑みを浮かべていたが、ふと芹愛に目を向けると、彼女だけはどこか様子がおかしかった。
「おめでとう」「すごいね」と声をかけられるたびに、小刻みに頷き、綺麗に作り上げられた、いつもの完璧なお嬢様としての微笑みを周囲に向けている。
しかし──。
その微笑みの奥にある瞳は、完全に光を失っていた。
笑っているのは口元だけ。
ほんの数十分前、実の母親から「吐き気がするほど不愉快だ」と切り捨てられたその傷口から、彼女の心は今も音を立てて血を流し続けているようだった。
周囲の熱狂的な喜びの空気と、彼女の纏うあまりにも冷たく、痛々しいほどの空虚さのギャップに、俺の胸は締め付けられるように痛んだ。
§
その後、生徒会長の締めの挨拶と、全校生徒による盛大な一本締めをもって、今年の『白峯祭』のすべての公式行事は無事に幕を閉じた。
「これにて、白峯高校、令和年度の白峯祭を終了いたします! 皆さん、本当にお疲れ様でしたーっ!」
閉会式が終わり、クラスメイトたちが表彰状を囲んで記念撮影の準備でワイワイと盛り上がっている最中、芹愛の異常さに一番最初に気づいたのは、やはり彼女の親友である羽川だった。
羽川は、はしゃぐクラスメイトの輪からスッと身を引き、心配そうな顔をしながら芹愛のほうへと歩み寄った。
「ねえ、芹愛……」
羽川は芹愛の肩にそっと手を置き、その顔をのぞき込んだ。
「クラスが最優秀賞を取って、みんなあんなに喜んでるのにさ……芹愛、なんだかさっきからすごく顔色が悪くない? なんか、元気なくない?」
その羽川の温かい気遣いに満ちた問いかけに、芹愛はビクリと小さく肩を震わせた。どこかぎこちない笑顔を無理やり作り上げて首を横に振る。
「う、ううん……! そんなことないよ、祈……。クラスみんなで最優秀賞が取れて、私、すっごく嬉しいよ……!」
その声のトーンはわずかに上擦っており、どれだけ取り繕おうとしても、隠しきれない動揺が滲み出ていた。
「嘘だね」
羽川は少しも引くことなく、さらに一歩芹愛に近づき、真剣な眼差しでその瞳を見つめ返した。
いつもは天真爛漫でムードメーカーに徹している彼女だが、親友である芹愛のわずかな心の揺らぎや、隠し事をしている時の気配には、誰よりも敏感に気づく鋭さを持っているのだろう。
「さっきから目が全然笑ってないし、手の先も震えてるじゃない。何かあったんでしょ? 学校の中で嫌なことでも言われたの? それとも、今日の接客で何か……」
「ちがうの、祈……! 本当に、なんでもないんだって……!」
芹愛は頭を振り、これ以上踏み込まれたくないという防衛本能からか、少しだけ声を荒らげた。
「ただ、二日間のシフトで少し疲れちゃっただけだから……。心配しないで、祈、ありがとね」
そう言って、芹愛はこれ以上の追撃をかわすように、くるりと鮮やかに身を翻し、他のクラスメイトたちが集まっているほうへと足早に歩いていってしまった。
残された羽川は、複雑で、どこかやり場のない心配そうな表情を浮かべたまま、遠ざかっていく芹愛の背中をじっと見つめていた。
やがて、一年Cクラスの教室も、朝までの華やかな和風メイド&執事喫茶の面影はすでに消えかけ、竹林風の装飾や行灯が次々と取り外され、元の殺風景な教室の姿へと戻されようとしていた。
「おい、皆! 最後の片付けもテキパキ終わらせて、すっきり帰ろうぜ!」
「はーい!」
クラス委員長の元気な掛け声が教室内に響き渡る中、俺もダンボールの整理を黙々と進めていた。
ふと、教室の窓際の席に目をやる。
そこに座っていた芹愛は、ただぼんやりと窓の外の夕焼けに染まる空を見つめていた。
……このままじゃ、あいつの心が完全に壊れてしまうかもしれない……。
俺の胸の奥で、じりじりと焦燥感と、彼女を守りたいという強い衝動が渦巻き始めた。
俺が、なんとかしなきゃいけない……!)
隣人として、友人として、そして一人の男として、俺は彼女を救い出したい。
クラスメイトたちが賑わう裏側で、俺は密かにそう誓いを立てた。




