第38話 再び迫る過去の因縁
ゆっくりと顔を上げ、声のした方向へ視線を向ける。
そこには、派手なブランド物のブルゾンを羽織り、耳にピアスの光る男──夏祭りの夜、あの神社の境内で俺を嘲笑い、芹愛の前で醜態を晒した元親友・黒崎翔矢が立っていた。
そしてその隣には、いかにも柄の悪い、金髪を逆立てた不良っぽい男子がニヤニヤとした笑みを浮かべながら連れ添っている。
翔矢の視線が、まっすぐにこちらへと向けられた。
「見つけたぞ」
ゆっくりとした足取りで俺たちのほうへと近づいて来る翔矢の口元には、かつて俺のすべてを奪い、陰で嘲笑っていた時と同じ、極めて悪質な笑みが張り付いている。
「こんなところにいたのかよ、奏介。しかも、隣に連れてるその女……夏祭りの時にもいた、あの超絶美人さんじゃねえか。お前、いつの間にこんなハイスペックな彼女を作ったんだよ?」
翔矢のそのねっとりとした声を聞き、隣に立つ芹愛の身体が、わずかにこわばるのが気配で分かった。彼女は不快感を露わにするように眉をひそめている。
俺は一歩前へ踏み出し、そんな芹愛を背後にかばうようにして、冷ややかな眼光で翔矢を睨みつけた。
「……翔矢。お前がなんでここに来てるんだ?」
「あぁ? なんだよその言い草は。せっかく友人の晴れ舞台を見に来てやったってのに、その冷たい態度はねえだろ」
翔矢は隣にいた金髪の不良仲間と顔を見合わせ、ゲラゲラと下品に笑った。
「連れの一人がこの高校に通っててな。今年の白峯祭はすげえ可愛い女子が多いらしいって聞いたもんだから、ちょっと可愛がりに来てやったのよ。そしたら、よりにもよって陰キャの奏介が、またこんなすげえ美人のメイド連れてイチャついてるなんてな」
翔矢の視線が、ねっとりと芹愛の姿を値踏みするように舐め回す。
俺が少しでも幸せそうにしているのが許せないのか。その歪んだ嫉妬と悪意が、全身からドロドロと滲み出ている。
「用がないなら、消えろ。これ以上ここにいると、警備員や教師を呼ぶぞ」
俺が低く、抑え込んだ声音で警告すると、翔矢はフンと鼻で笑い、まったく怯む様子も見せずにさらに一歩詰め寄ってきた。
「呼べるもんなら呼んでみろよ、優等生ぶったクズが」
翔矢は冷笑を浮かべ、周囲の目を少しも気にする様子を見せず、さらに一歩、踏み込むようにして俺との距離を詰めてきた。
こいつは……本当に、昔から少しも変わっちゃいない……!
胸の奥で、ドス黒い怒りの感情がフツフツと泡を立てて煮え滾るのを感じる。
けれど、今の俺は一人ではない。すぐ背後には、着物風メイド服に身を包んだ芹愛が立っているのだ。彼女にこれ以上不愉快な思いをさせるわけにはいかない。ここで俺が感情的に暴れてしまえば、彼女の楽しみにしていた白峯祭の思い出まで泥を塗ることになってしまう。
「……翔矢、これで最後だ。静かに立ち去れ。これ以上俺たちの邪魔をするなら、本当に容赦はしない」
俺は声を低く押し殺し、突き刺すように睨みながら警告を発した。
だが、翔矢はその警告を無視して、ひときわ大きくゲラゲラと下品な笑い声を上げた。
「おいおい、聞いたかよ! あのいつもクラスの隅っこでオドオドしてた陰キャの奏介がよ、この期に及んで俺にこんな大口叩いてやがるぜ! なぁ、いつの間にそんな強い男になったんだよ? おい、お前、ビビって足震えてんじゃねえのかよ!」
翔矢のその嘲笑混じりの声に、周囲を通りかかった生徒たちが「なんだ、喧嘩か?」「あいつ、他校の不良っぽくない……?」と、好奇の視線を向けながら足を止め始めた。
周囲のざわめきが少しずつ大きくなる中、黒崎の隣でこれまで黙ってニヤニヤと様子を伺っていた金髪の不良が、やおら一歩前へと踏み出した。
身長は俺よりも頭一つ分ほど高く、体格もがっしりとしている。耳や眉には幾つものピアスが光り、いかにも日常的に暴力に明け暮れている人間の放つ、特有の荒々しい圧力を纏っていた。
その金髪の男が、じっと俺の背後に隠れるようにして立っている芹愛の方へと、いやらしい視線を向ける。
「なあ、翔矢。こいつの言ってることはどうでもいいけどさ……それより、後ろにいるそいつ、めちゃくちゃいい女じゃねえか。そのメイド服もよく似合ってやがる」
そう言いながら、金髪の男は卑劣な笑みを浮かべ、あろうことか芹愛のほうへと手を伸ばそうとした。
「──っ!」
反射的に、俺の身体が動いた。
俺は一歩素早く踏み出し、芹愛の前に立ちはだかるようにして、男の伸びてきた腕を鋭く払い落とした。
「触るなよ、ゲス」
俺の低く冷たい声に、金髪の男の顔からヘラヘラとした笑みが一瞬で消え去った。
「……あ? てめえ、今なんつった……?」
「耳が遠いのか? 『触るな』って言ったんだよ。お前のその汚い手で、彼女に触れようとするな」
俺のその言葉に、金髪の男の額に青筋が浮き出た。彼は威嚇するように首を大きく鳴らし、一歩、また一歩と、俺を威圧するように詰め寄ってくる。
「おいおい、調子に乗ってんじゃねえぞ、このガキが……。テメェみたいなヒョロいモブ野郎が生意気な口きいてんじゃねえよ。許してもらいたきゃ、その女をこっちによこせ」
金髪の男は、まるで自分の所有物であるかのように、俺の背後にいる芹愛を指差した。
その瞬間、背後から、気高さを纏った声が届いてきた。
「……下劣な言葉を吐き散らす、救いようのない愚か者だね」
芹愛は言いながら、俺の背後からゆっくりと一歩前に出ると、恐怖の色など微塵も見せず、まるで這いずる虫けらでも見るかのような瞳で、金髪の男と翔矢を真っ向から見据えた。
「気が強くて最高だな! そのツンケンした態度を、すぐに泣き面に変えてやるぜ!」
けれど、金髪の男は気圧されるどころか、さらに顔を歪めて下品に笑った。
「おい、逆らわない方がいいぜ、お前ら。こいつ、地元じゃ喧嘩が強いことでめちゃくちゃ有名なんだからよ。手出したら、ただじゃ済まねえぞ?」
翔矢が、得意げに脅し文句を重ねる。
周囲に集まっていた生徒たちは、ただ事ではない雰囲気を察して、遠巻きに青い顔をしながらその様子を見守るだけで、誰も間に入ろうとはしなかった。
俺は頭の中で、冷静にこれからの状況をシミュレーションしていた。
ここで教師や警備員を呼べば、確かに一時的にはこの場を切り抜けることができるかもしれない。
しかし、それでは根本的な解決にはならない。
こいつらはまたいつか学校の周辺に現れ、懲りずに嫌がらせを続けてくるだろう。何より、今日という芹愛にとって大切な白峯祭の最中に、これ以上不愉快な波風を立てさせ続けるわけにはいかない。
ならば──。
ここで、徹底的にこいつらの暴力を叩き潰し、二度と俺たちの前に姿を現すことができないほどの恐怖を叩き込んでやる必要がある。
……よし。
俺は心の中で小さく息を吸い込み、わざと挑発的な笑みを浮かべてみせた。
「喧嘩が強い、ねえ……? へえ、地元じゃ鳴らしてるつもりかもしれないけれど、所詮は狭い範囲でしかイキれない、ただの井の中の蛙の雑魚ってわけか。そんなショボい腕っ節で、よく人様の前に顔を出せたもんだな」
その、あからさますぎる侮蔑の言葉に、金髪の男の顔から理性が完全に吹き飛んだ。
「──この、野郎……っ!!」
キレた金髪の男が、凄まじい怒号とともに、拳をブンと大きく振りかぶって殴りかかってきた。
その軌道は怒りに任せた大振りのもので、喧嘩慣れしているとはいえ、冷静に観察していれば容易に見切ることができるものだった。
それでも、俺はあえて、無防備にその場に立ち尽くした。
ドスッ、と鈍い音が響く。
金髪の男の重い拳が、俺の左の頬を正確に捉え、強烈な衝撃が走った。
「キャッ……!?」
すぐ隣にいた芹愛が、悲鳴を上げて小さく身を引く。
衝撃で俺の身体がわずかに右へとよろめく。切れた口内にじわりと鉄の味が広がるのがわかる。
「ハハッ! なんだ、口だけ叩きやがって、一発殴られただけでそのザマかよ! この雑魚ナメクジが!」
金髪の男が、勝ち誇ったように下品な笑い声を上げた。
翔矢も「いいざまだな、奏介!」と、指を差して悦に入っている。
だが、俺は特に動揺もせず落ち着いていた。
これでよし……。しっかりと周囲の生徒たちにも、あの男が一方的に暴力を振るった瞬間が目撃された。これだけ大勢の証人がいれば言い逃れはできない。これで、『正当防衛』の条件は完全に成立した……!
ゆっくりと顔を上げる。
「……お前、今、俺を殴ったな」
俺は低く、凍りつくような声を響かせた。
「あぁ? 殴ったからなんだよ! 文句あんのか、この野郎、もう一発……!」
金髪の男が再び獰猛な笑みを浮かべ、右の拳を振り上げながら詰め寄ってきた。
対する俺は、鋭いキレのある動きで一歩前へと踏み出した。
金髪の男が繰り出した二発目の大振りのフックを、ほんのわずかな紙一重の差でひらりと見切るようにかわす。
男のバランスが完全に崩れ、前のめりになったその瞬間──。
「……遅いんだよ」
俺の低い呟きとともに、右の拳が、完璧なまでのタイミングと角度で、金髪の男の顎の先端を正確に撃ち抜いた。
バキッ、という乾いた重い衝撃音が響き渡る。
「がはっ……!?」
金髪の男の目から光が消え、その巨体が音を立てて床へと崩れ落ちた。
そのままピクリとも動かず、完全に意識を失ってのノックアウト。
周囲で固唾を飲んで成り行きを見守っていた生徒たちは、一瞬の出来事で何が起きたのか理解できず、完全に言葉を失っていた。
「うそ……だろ……?」
さっきまで勝ち誇ったように笑っていた翔矢の顔から、血の気が一瞬で引き去っていく。
彼は信じられないものを見るような目で、床に気絶して転がっている金髪の男と、その前に静かに立っている俺を交互に見つめ、ガタガタと全身を震わせ始めた。
「な、なんだよお前……! お前、何をしたんだよ……っ!」
「何をしたって……見てただろ。そいつが一方的に俺に暴力を振るってきたから、身を守るためにやり返しただけだ。周りにいるみんなも、ちゃんと見てたよな?」
俺が周囲の生徒たちへと視線を巡らせると、目撃していた生徒たちは「あ、ああ……確かに、今の不良がいきなり殴りかかって……」「ただ自分を守るために……」と、次々に小声でうなずき始めた。
「てめえ……! ふざけやがって……!」
翔矢はぎりりと歯ぎしりしながら顔を歪め、逆上して俺に飛びかかろうとした。
「そこまでだ、君たち!!」
その絶妙なタイミングで、廊下の曲がり角から、厳格な教師と、警備員たちが、無線機を片手にものすごい勢いで駆けつけてきた。
「なにがあった! 大勢の生徒が集まって……って、おい、そこの床に倒れてるのは誰だ!?
君たち! 何があったのか説明しなさい!」
と一斉に詰め寄り、現場を取り囲む。
周囲の生徒たちが「あ、先生! あの金髪の人がいきなりこの人に暴力を振るって……それで、この人が身を守るために反撃したんです!」と、次々に証言の声を上げてくれた。
「なんだと……!? 外部の人間が我が校の生徒に暴力を振るったというのか……!」
教師の顔に激怒の色が走る。
彼はすぐ後ろに控えていた警備員に指示を飛ばした。
「君たち、話を聞くから、一緒に来なさい! 君、逃げようとしても無駄だぞ!」
「ひっ……!?」
翔矢は、警備員に腕をガッチリと掴まれた瞬間、まるでこの世の終わりを見たかのような情けない悲鳴を上げた。




