↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/24

第2話 陰キャモブとクラスメイト  


 俺の通う私立白峯(しらみね)高校は、生徒数が全校で六百人ほどの中規模な学校だ。


 一学年はAからFまでの六クラスで構成されており、俺はその中の一つ、一年Cクラスに在籍している。


 教室に入り、自分の席である窓際の隅の席にカバンを下ろす。


 そして、そっと教室の前方に視線を向ける。

 

 そこには、七条芹愛がいた。


 朝のホームルームが始まる前のざわめく教室の中で、彼女は自分の席に上品に腰掛け、静かに教科書をめくっていた。


 きちんと着こなされた紺色のブレザーに、プリーツスカート。乱れのない艶やかな黒髪のロングヘアが、朝の窓から差し込む光を弾いてサラリと揺れている。


 あの彼女と先週末に身体を重ね合わせ、熱い夜をすごしたという事実は、未だに現実味をともなわない。


 そんな彼女との夢のようだった一夜を思い出し、ひそかに身体を熱く火照らせていると、彼女の席のすぐ前まで歩んできた人物がいた。澄んだ、よく通る声が教室の空気を揺らす。


「ねえ、芹愛ー!」


 声をかけたのは、クラスでも一際目立つ明るいオーラを放つ少女、羽川祈(はねかわいのり)だった。


 彼女は七条の机の端に両手をついて、周囲の空気をパッと明るくするような愛嬌たっぷりの笑顔を向ける。


「ん?  どうしたの、祈」


 七条は教科書からふっと顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべて応じた。


 その声のトーンは、学校での才色兼備の優等生としての完璧な響きを保ちながらも、どこか親しい友人に向けた柔らかな優しさを含んでいた。


「またさ、芹愛の部屋に遊びに行ってもいい?  前に作ってくれたあの手作りのクッキー、めちゃくちゃ美味しかったから、また食べたいなーって思ってさ!」


 羽川は少し甘えるように小首を傾げる。


「うーん、祈一人ならかまわないよ。いつでも歓迎するけど」


「やった!  じゃあさ、今週の金曜日とかは空いてる?  お泊まり会がてら、女子トークしようよ!」


 羽川は両手を合わせて、おねだりするように目を輝かせる。


 金曜日。それは、俺が七条と次に会う約束していた日だった。


 教室の喧騒のなか、俺は心の中で小さく息を呑む。


 もしここで彼女が羽川の誘いを受けてしまえば、俺との約束はどうなってしまうのだろう。


 そんな不安が頭をよぎったが、次の瞬間、七条の口から紡がれた言葉に、俺はハッとさせられた。


「ごめんね、祈。その日は……ちょっとダメなの。先約が入っちゃってて」


「えー、そうなの?  残念だなあ……じゃあ、お泊まりは諦めるとして、土曜日は?」


「うん、その日ならいいよ。大丈夫、空いてるから」


「やった!  じゃあ土曜は莉音の部屋で女子会決定ね!」


 羽川は満足そうに両手を合わせた。


 金曜日はダメ、先約が入っているから。


 それは紛れもなく、俺との週末の密会を優先してくれたということだった。


 彼女は羽川の誘いをやんわりと断り、俺との約束を守ろうとしてくれた。


 親しい友人からの誘いを断ってまで、地味で目立たない俺との時間を優先してくれるなんて。申し訳なさと、それ以上に胸を熱くさせる独占欲がごちゃまぜになり、俺の頬は再び緩みそうになるのを抑えるのに必死だった。


 そうやって静かな感動に浸っていると、彼女たちの元にある男子生徒が近づいてきた。


「祈に芹愛、相変わらず朝から楽しそうだな、二人とも」


 軽やかなトーンで声をかけたのは、クラスの中心人物の一人であり、学年全体でも一目置かれている常磐弓弦(ときわゆづる)だった。

 

 彼は清潔感のある綺麗なセンターパートの髪型に、サッカー部のエースとして鍛え上げられた引き締まった長身の持ち主だ。


 容姿端麗で運動神経も抜群、誰に対しても気さくで人当たりが良く、校内でのスクールカーストの最上位に君臨している。


 俺みたいな地味で冴えない生徒に対しても、見下すような態度をとることはなく、すれ違う時に「おっ、お疲れ」と爽やかに声をかけてくれるような、いいやつだ。


 ただ、少しばかり距離感が近く、女子の生徒たちの名前をさらっと下の名前(あるいはあだ名)で呼ぶような軽さがあるため、個人的にはどうも気恥ずかしさと苦手意識を感じてしまう相手だった。


「あ、弓弦くん。聞いてよ、今週の土曜日に芹愛の部屋でお泊まり会することになったんだ!」


 羽川は得意げに胸を張って報告する。


「へえ、そうなのか。楽しそうだな」


 常磐は面白そうにフッと笑い、それからサラリと、絶妙なタイミングで話題を切り替えた。


「なあ、それならさ、今度俺とも遊びに行かないか?  他にも何人か誘ってさ。カラオケとか、皆でさ、どうだ?」


 常磐が爽やかな笑顔を浮かべて提案すると、羽川はパッと目を輝かせた。


「おっ、カラオケいいね!  行きたい行きたい!  芹愛もどう?  皆で行こうよ!」


 羽川はすっかり乗り気で、七条の方を振り返る。


 周りの視線も、一斉に七条へと集まった。常磐からの誘いとなれば、多くの女子なら喜んで飛びつくところだろう。


 けれど、七条はただ穏やかで隙のない微笑みを崩さずにこう答えた。


「ううん、誘ってくれて嬉しいけど……悪いね、私はそういう大人数の集まりはちょっと苦手だし、週末は自分のことで忙しいから、遠慮しておくよ」


 その断り方は、冷たさを感じさせない絶妙な柔らかさを含みながらも、明確に一線を引くものだった。


「そっか。まあ、芹愛がそういうなら無理には誘わないよ。気が向いたらまた言ってくれ」


 常磐は少しも不機嫌になることなく、あっさりと引き下がった。執着しないそのスマートさが、彼のモテる理由なのだろう。


 七条は、常磐の誘いをあっさりと断った。


 校内の誰もが憧れ、常磐のようなカースト上位の男子からの誘いであっても、彼女は自分の意志で綺麗に断ってみせる。


 常磐の誘いをさらりと断る彼女が、隣の部屋の地味な男子には身体を許し、密室で二人きりの時間を過ごしている。


 その事実を思い出すだけで、縮こまっていた俺の自尊心が心地よくくすぐられ、胸の奥が熱く高鳴っていくのを感じた。


 そして、常磐が自分の席に戻ろうとしたその時、別の方向から甘ったるい、けれどどこか計算されたような声が飛んできた。


「ゆづるー、ちょっとこっち来てよ。この動画、すごく面白いから見て欲しいの」


 媚びるような、それでいて周囲の男子をドキッとさせるような声音で常磐を呼んだのは、玖珂玲和奈(くがれおな)だった。


 彼女は毛先を綺麗に巻き上げたゆるふわウェーブのヘアスタイルに、流行のアクセサリーを身につけ、読者モデルとしても活動している抜群のスタイルの持ち主だ。


 校内でも有名で、インフルエンサーとしてSNSのフォロワーも数多く抱える、クラスの女王様的な存在だった。


 玖珂は明らかに常磐に好意を抱いており、周囲の目も憚らずにアピールを繰り返している。


 常磐はそんな彼女に対しても変わらぬ笑顔で「いいよ、どれどれ」と快く応じていたが、その瞳の奥が本気なのかどうかは、近くで見ている俺には到底読み取れなかった。


 華やかなグループがそれぞれの会話に花を咲かせる中、俺はふと視線をずらし、このCクラスにもう一人いる、奇妙な存在感を放つ人物へと目を向けた。


 七条瑞姫(しちじょうみずき)。


 七条という、七条芹愛と同じ苗字を持つその女の子は、クラスの端の席にぽつんと座っていた。


 彼女もまた、七条芹愛や羽川、玖珂に負けず劣らずの整った顔立ちをした美少女で、男子からの人気自体は非常に高い。切れ長の涼しげな目元に、どこかミステリアスな雰囲気を纏っている。


 しかし、彼女は群れることを極度に嫌う孤高の一匹狼だった。


 誰に対しても冷ややかな態度を崩さず、いつも一人でイヤホンをつけて本を読んでいるか、窓の外をぼんやりと眺めている。


 クラスの誰も彼女に話しかけようとはしないし、彼女自身も他者を寄せ付けないトゲトゲしいオーラを放っていた。


 その瑞姫が、やや吊り上がった鋭い瞳で、前方で羽川たちと楽しそうに話している七条の方を、じっと、鋭く睨みつけるように見つめていた。


 ……うわっ。


 思わず身震いする。


 その視線には、ただの無関心ではない、何か底知れぬ感情──強い執着や敵意、あるいはドス黒い独占欲のようなものが混じっているように見え、俺は思わず背筋がヒヤッとするのを感じた。


 苗字が同じ『七条』でありながら、一方は学園の華やかな中心に立ち、もう一方はすべてを拒絶するように孤高を貫いている。


 この二人になにか因縁があるのか、それともただの偶然なのかは分からないが、平和に見えるCクラスの裏側には、複雑な人間関係が潜んでいるのかもしれなかった。


 HRのチャイムが鳴り響き、担任の教師が教室に入ってきたことで、朝のざわめきはスッと消え去った。


 授業が始まっても、俺の頭の中は今週末のことでいっぱいだった。


 学校ではこれまで通り、七条とは全く接点のない『その他大勢の地味な男子』として振る舞わなければならない。


 彼女と目を合わせることもなく、ただ黒板の文字をノートに書き写すだけの退屈な時間。


 けれど、その仮面の下では、確かな事実が俺の心を支えていた。


 今週の金曜日になれば、またあの部屋に行ける……。


 彼女の甘い香りに包まれながら、二人きりの時間をすごすことができる。


 学校での完璧な『高嶺の花』としての彼女ではなく、俺の前だけに無防備な素顔を見せてくれる一人の小女としての彼女に会える。


 その秘密の共有こそが、退屈で窮屈だった俺の高校生活を、鮮やかな色彩へと塗り替えていく最高のスパイスになっていた。


 チャイムが鳴り、午前の授業が終わる。


 俺はそっとスマホを取り出し、誰にも見られないように隠しながら、メッセージアプリを開いた。


 宛先はもちろん、先週末に新たに加えられたアイコン。


『今日の学校、お疲れ様。授業長かったよ』


 送信ボタンを押すか迷ったが、学校での約束を破ることになるかもしれないと思い直し、画面をそっと消した。


 代わりに、心の中でそっとつぶやく。


 週末まで、あと数日。


 俺たちの秘密の関係は、まだ始まったばかりなのだから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。