第18話 水面下のハプニング、夏の日のビキニ・パニック
夏空に雲一つない快晴の朝。
待ちに待ったウォーターパークへ行く日がやってきた。
今日の目的地は、少し離れた郊外にある大型のレジャー施設──多彩なプールやウォーターシスライダーが揃う有名なウォーターパークだ。メンバーは誘ってきた羽川と七条との三人。
「そろそろ約束の時間だな」
俺は七条の部屋の前まで来ると、いつものようにインターホンを押す。
数秒の沈黙の後、ガチャリと音がして扉が開いた。
「おはよう、稲葉君」
はにかみながら挨拶する七条は、いつも学校で見せる凛とした制服姿や、休日の清楚な私服とも少し違う。
今日の七条は、夏らしい軽やかでガーリーなワンピースに身を包んでいた。白を基調とした爽やかな生地に、裾がフリルになったデザインが、彼女の大人びた気高さを程よく中和し、どこか瑞々しい少女の魅力を引き立てている。
「おはよう……。その、すごく似合ってるな」
思わず正直すぎる感想が口からこぼれ落ちると、七条はふっと嬉しそうに目を細め、微かに頬を赤らめた。
「本当? よかった……。こういう私服ってあまり選んだことがないから、変じゃないか少し心配だったの」
「変なわけないだろ。めちゃくちゃ可愛いって……って、行くぞ!」
照れ隠しに慌てて前を歩き出すと、七条はくすくすと上品に笑いながら、軽やかな足取りで俺の背中を追ってきた。
こうして二人で並んで最寄りの駅へと向かう道中も、いつもと違う特別な高揚感が俺を包み込んでいた。
§
待ち合わせ場所である駅の大きな休憩スペースに到着すると、約束の時間よりも少し早かったにもかかわらず、すでにその人物は待ち構えていたように手を振っていた。
「おーーい! こっち、こっちだよ、二人ともー!」
よく通る明るい声とともに、元気に大きく手を振っていたのは羽川だった。
俺と七条が近づいていくと、羽川は満面の笑みで出迎えてくれた。
「お疲れ様、羽川。早いな、もう着いてたのか?」
「そりゃあ、楽しみで朝からワクワクしちゃって、早く起きすぎちゃったんだもん!」
そう言って笑う羽川の今日のコーディネートは、彼女の底抜けに明るいキャラクターをそのまま形にしたようなものだった。
鮮やかなレモンイエローのショートパンツに、動きやすそうなロゴ入りのTシャツ。スニーカーの足元も含めて全体がスポーティーにまとめられており、見ているだけでこちらまで元気がもらえるような健康的な美しさが際立っている。長い髪は崩れないようにすっきりとポニーテールにまとめられていて、夏の日差しによく映えていた。
「おはよう、祈。待たせちゃってごめんね」
「ううん、全然! あ、二人とも、今日の服すごく可愛い&かっこいいじゃん! なんかデートっぽくない?」
羽川がニヤニヤと悪戯っぽく両眉を動かすと、七条はすっと目を伏せ、耳たぶをほんのり赤らめてそっぽを向いた。
「な、何を言ってるの、祈。いつも通りでしょ」
「そうそう、変なこと言うなって。ほら、電車の時間もあるし、さっそく出発するぞ」
慌てて話題を逸らし、俺たちは改札を抜けてホームへと足を踏み入れた。
§
電車に揺られること約二十分。
さらに最寄り駅から専用のシャトルバスに乗り換えて窓の外を眺めていると、視界の開けた場所に、突如として巨大な青い建造物が姿を現した。
ドーム状の屋内プールエリアと、幾重にも入り組んだウォータースライダー、そして敷地をぐるりと囲むように作られた流れるプール。
「わぁ……! すごい、めちゃくちゃ大きい!」
羽川がバスの窓に張り付くようにして歓声を上げる。
七条も目を丸くしながら、「本当ね……想像以上の規模だわ」と感心したように呟いていた。
バスを降り、チケット売り場を経て館内へと足を踏み入れると、プール特有の塩素と、夏休みのレジャー特有の活気に満ちた空気が鼻腔をくすぐる。
テンションの上がった羽川に促され、俺たちはそれぞれの更衣室へと分かれて水着に着替えることになった。
男性用の更衣室で俺はサーフパンツ姿になり、待ち合わせ場所であるプールサイドのパラソルの下で二人が出てくるのを待つことにした。
……いよいよだな。
あの美少女二人の艶やかな水着姿を拝めると思うと、緊張で手のひらに汗が滲む。
しばらくして、女子更衣室から、待ちに待った二人が姿を現した。
その瞬間、俺の視線は完全に釘付けになった。
羽川は、鮮やかなブルーのワンピースタイプの水着だった。スカート風のデザインでありながら、彼女の引き締まった健康的なスタイルと、スポーティーで活発な魅力を引き立てていて、いかにも彼女らしい爽やかさにあふれていた。
そして、その隣に並ぶ七条を見て、俺は息を呑み、言葉を失った。
七条が選んでいたのは、深く落ち着いたネイビーカラーのビキニだった。上品な装飾が施されたその水着は、彼女の白い肌の美しさをこれ以上ないほど際立たせており、日頃の制服や私服では隠されていた、息をのむほどにグラマラスでメリハリのあるプロポーションを完璧に露わにしていた。細く引き締まったウエストと、スラリと伸びた長い脚。気高い美貌と大人の色気が同居したその姿は、周囲の視線を一瞬で集めるほどの破壊力を持っていた。
「お、お待たせ……。その、変じゃない……よね?」
七条は少しだけ恥ずかしそうに両腕で自分の体を抱え込み、上気した頬をそっと手で覆った。
「っ……! いや、その……めちゃくちゃ、似合ってる……」
正直すぎる言葉が勝手に口から飛び出し、七条はさらに顔を真っ赤にして顔をそむけた。
羽川が「もう、稲葉君ってば素直なんだから! ね、芹愛の水着姿、めちゃくちゃ綺麗でしょ!」と楽しそうに笑いながら七条の肩を抱き寄せた。
それからの時間は、まさに夢のような──いや、ある意味で心臓に悪い非日常の連続だった。
流れるプールでは、浮き輪に身を任せながら三人でのんびりと水面を漂い、波のプールでは打ち寄せる人工の波にキャッキャと声を上げながらはしゃいだ。
最初は水着姿の恥ずかしさに小さくなっていた七条も、冷たい水に触れていくうちに緊張が解けたのか、時折子供のように無邪気な笑顔を見せてくれた。
「ねえ、二人とも! あそこにある一番高いウォータースライダー、行ってみようよ! すっごいスリルあるって評判なんだから!」
羽川が指差したのは、施設の一番高いところから急降下する、巨大なチューブ式のウォータースライダーだった。
「ウォータースライダーか……。よし、じゃあ行ってみるか」
「……私、絶叫系は少し苦手かもしれないけれど……二人が行くなら……」
こうして、俺たちはその巨大なスライダーの列に並ぶことになった。
順番が近づくにつれ、上から聞こえてくる悲鳴と水飛沫の音が響き渡り、七条が少しだけ不安そうにその瞳を揺らす。
「大丈夫か? 怖かったら無理しなくてもいいんだぞ」
「ううん、大丈夫……。せっかくだから、乗ってみる」
意を決したように頷く七条を連れ、いよいよ俺たちの番がやってきた。
安全上の理由から一人ずつ順番に滑り降りる形式らしく、スタッフの指示で、まずは俺が先陣を切って滑り降りることになった。
「じゃあ、先に行って下で待ってるから」
勢いよく滑り台に飛び出すと、激しい水流とスピードに身体が持っていかれ、数秒後にはキャッチプールの水飛沫の中に盛大に放り出された。
「ぷはっ……!」
顔を拭いながら、俺はプールの縁に上がり、上から降りてくる二人を待ち構えた。
少しして、まず羽川が「うひゃーーっ!」という元気な叫び声を上げながら豪快に飛び出してきて、水面にドボンと着水した。
「あははっ! 超楽しかったー!」
羽川がびしょ濡れのポニーテールを揺らしながら大笑いしている。
そして、そのすぐ後に、少し緊張した面持ちの七条が滑り降りてきた。
「きゃっ……! あ、危ない……!」
七条はバランスを崩しながらも、綺麗に水面に滑り込んできた。
俺と羽川が「お疲れ!」と声をかけようとした、その時だった。
七条の動きがピタリと止まった。
「……え……?」
七条は急に顔を真っ青にし、両腕をクロスさせて自分の胸元を必死の形相で押さえ込んだのだ。水の中から上がろうとする足がもつれ、バランスを崩して沈みそうになる。
「えっ、七条!? どうしたんだよ急に……!」
「っ……! さ、触らないで……! み、見ないで……っ!」
七条の瞳にはみるみるうちに涙が浮かび、声は震え、顔だけでなく全身が真っ赤に染まっていた。
何が起きたのか一瞬理解できなかったが、彼女の必死に抑え込んでいる手元を見て、俺は血の気が一気に引くのを感じた。
まさか……! スライダーの激しい水圧と衝撃で、ビキニの背中の紐の結び目がほどけちまったのか……!?
もし今、彼女が両腕の力を抜けば、水着が外れてしまうという絶体絶命の危機だった。周囲には他の客も大勢いる。
「た、助けて……稲葉君……っ!」
震える声で名前を呼ばれ、俺は一瞬たりとも迷っている暇などなかった。
「おい、羽川! 七条の背中を隠してやってくれ! 紐が外れたんだ!」
「えっ!? わ、わかった!」
状況を察した羽川が、素早く回り込んで自分の体で七条の正面と周囲の視界をガッチリとガードした。
俺は羽川にブロックされて震えている七条の背後へと回り込む。
「七条、動くなよ……! 今、結ぶから……っ!」
「っ……! は、早く……! 外れちゃいそう……っ!」
心臓がバクバクと暴れ狂う中、俺は震える手でそのほどけた紐をキャッチし、不器用ながらも必死の思いでしっかりと結び直した。手が少しでも触れるたびに、七条の肩がビクリと小さく跳ね上がるのが伝わってきた。
「……よし、これで大丈夫だ……!」
結び目がしっかりと固定されたことを確認し、俺がパッと手を離すと、七条は小さく息を荒げた。
「はぁっ……はぁっ……死ぬかと思った……」
羽川が心配そうに七条の背中をさすりながら、「大丈夫? 芹愛、しっかりして!」と声をかける。
幸いなことに、周囲の客たちは自分たちの遊びに夢中で、この一瞬のハプニングに気づいた者はいなかった。
だが、当事者である俺たちの心拍数は、間違いなくこの日一番の最高値を叩き出していた。
「……稲葉君……ありがとう……」
七条は顔を真っ赤に染め上げたまま、涙目のまま上を向き、消え入りそうな声でそう呟いた。
その危機一髪だった彼女の姿に、俺はどっと全身の脱力感を覚えながらも、胸をなで下ろすしかなかった。




