第14話 お泊まりの夜、画面越しのパジャマパーティー
夕暮れ時、すっかり落ち着いたリビングルームのキッチンから、こうばしい良い香りが漂い始める。
エプロン姿の七条がトレイを持ってテーブルへとやってきた。
「お待たせ。大したものは作れないけど……二人とも、食べて」
「わぁっ! 待ってましたー!」
羽川はテーブルに並べられた料理を見るなり、パッと目を輝かせ、待ちきれないといった様子で両手を合わせた。
そこには、ジューシーに焼き上げられたハンバーグにデミグラスソースがたっぷりとかかり、色鮮やかな温野菜が添えられたプレートと、コンソメスープが並んでいる。
「芹愛の料理って、真鍋さん直伝ですごく美味しいからね! 今日の晩御飯、ずっと楽しみにしてたんだー!」
「祈、毎回美味しそうに食べてくれるもんね…」
「うん! 中学の頃にお弁当のおすそ分けしてもらった時から、ずっとファンだからね!」
羽川が嬉しそうに得意げな顔をすると、七条は「もう、そんな昔のことを……」と照れくさそうに頬を染めた。
フォークとナイフを手に取り、ハンバーグを一口サイズに切り分けて口に運ぶ。瞬間、肉汁の旨味が口いっぱいに広がり、コクのあるソースの味わいと見事にマッチした。
「ん……美味い。しっかり本格的な味がするぞ、七条」
「ほんとだ! やっぱり最高、お店で食べるやつより美味しいよ、芹愛!」
羽川も負けじと大きな一口を頬張り、両手をブンブンと振って絶賛した。
七条は「よかった……」と胸を撫で下ろし、どこかホッとしたような、誇らしげな笑みを浮かべる。
「二人ともありがとう。真鍋さんのレシピを思い出しながら、一生懸命作ったから……口に合ってよかったよ」
学校では周囲の目を気にし、お互いの関係を隠すように過ごしている俺たち。
だが、こうして羽川というムードメーカーを交え、賑やかな照明の下で食事をしていると、まるで普通の高校生たちの穏やかな放課後のワンシーンのようだ。
美味しい料理と他愛のない会話によって、俺たちの間に未だ残っていた少しばかりの緊張感が心地よく溶かされていくのが分かった。
§
楽しい夕食の時間はあっという間に過ぎ去り、時計の針はすでに夜の七時を回っていた。
リビングのソファにドカッと腰掛けた羽川は、すっかりリラックスモードに入り、テレビのチャンネルをパチパチと変えながら言った。
「ふう、食べた食べた! さて、それじゃあ今夜の女子会に向けて、お菓子とジュースの買い出しに行こっか、芹愛!」
「え、今から? もう夜遅いし、家にあるもので十分じゃない……?」
「だめだめ! お泊まりの醍醐味は、夜更かししながらのダラダラトークと深夜の買い出しなんだから!」
羽川に半ば強引に引っ張られるように、七条も「もぅ、仕方ないわね……」と苦笑いを浮かべながら立ち上がる。
そんな二人を見送りながら、俺は自分の鞄をしっかりと肩に掛けた。
「それじゃあ、俺はそろそろ失礼するよ」
「えっ、もう帰っちゃうの、奏介君?」
七条が名残惜しそうな、少し潤んだ瞳で俺を見上げる。
羽川がお泊まりしていく以上、男子である俺がこの部屋に夜遅くまで居座るわけにはいかない。ここで俺が帰るのが、プライバシーや安全の観点からも唯一の正しい選択だった。
「ああ。邪魔しちゃ悪いからな。二人でゆっくり女子会を楽しんでくれ」
「そっか……うん、気をつけて帰ってね。また月曜、学校で」
「うん、じゃあな」
玄関の扉を開けると、ひんやりとした夜の空気が肌を撫でた。
後ろ髪を引かれるような思いが胸の奥をよぎる。
今夜は、七条と同じ空間で眠ることができない。
先週までの静かな夜の密会を思えば、少しばかり物足りなさと寂しさが残るのも事実だった。
けれど、彼女の親友である羽川の手前、仕方のないことだ。
そんなことを考えながら俺は隣の自分の部屋に戻った。
§
自室に戻り、シャワーを浴びて一息つく。
静まり返った部屋の中で、明後日からの期末考査に向けて参考書を開こうとした、その時だった。
ブーッ、ブーッ……。
机の上に置いてあったスマホが、激しく振動音を立てた。
画面を見ると、表示されていたのは他でもない羽川からのLINE通話、それもビデオ通話の着信だった。
今度は、一体なんだ……?
少し嫌な予感(というか、間違いなく何か面白半分な企みがある予感)を覚えつつも、俺は通話ボタンをスワイプした。
「もしもし……? どうしたんだ、羽川」
画面がパッと切り替わり、そこに映し出されたのは、七条家のリビングの一角だった。
カメラを手に持ってニコニコと満面の笑みを浮かべている羽川の背後で、もう一人の人物が慌てふためいているのが見える。
「あ、繋がった繋がった! ねえ聞いてよ稲葉君、今ね、私たち二人ですっごくレアなものを見せ合って盛り上がってたところなの!」
「レアなもの……?」
「そ! これ見てよ、ジャジャン!」
羽川がスマホのカメラをグイッと横に向ける。
そこに映し出されたのは──普段の凛とした制服姿や、上品なお嬢様然とした私服とはまったく違う、淡いパステルピンクの色合いに、裾にフリルがあしらわれた可愛らしいモコモコのパジャマ姿の七条だった。
「ちょっ、祈! やめなさいってば! そんなの急に映さないでよ、恥ずかしいから……っ!」
七条が真っ赤な顔で画面に飛び込んできて、羽川の手からスマホを取り返そうと必死に格闘している。
普段は完璧主義で隙のない彼女の、こんなにも子供っぽく慌てる姿や、あまりにもガーリーで無防備なパジャマ姿。
「見てよこれ! 芹愛のお宝パジャマ姿だよー! すごくない!? 学校では絶対に見られない、完全プライベートな激レアショットの生中継だよ!」
羽川が悪戯っぽくケラケラと笑いながら実況する。
画面越しに映る七条は、顔を両手で覆い、「もう絶交だからね、祈……っ!」と耳まで真っ赤にして身を縮こまらせていた。
見慣れているはずの、しかし画面越しに見る彼女のその姿は、想像以上に破壊力抜群だった。
先週の夜、二人きりで過ごした部屋の記憶が鮮やかに脳裏によみがえる。
あの時はもっと近くで、彼女の体温を感じながら同じ時間を共有していたというのに、いまこうして別の女のスマホの画面越しに、その無防備な姿を見せつけられて胸をときめかせている。
複雑な心境と、男としての正直な感想が入り混じる中、俺はあえて冷静を装い、愛想笑いを浮かべるようにして口を開いた。
「あー……なるほど。確かに、それはなかなかのものだな。眼福、眼福、と」
棒読みすれすれの、どこか軽口交じりの俺の返答を聞いた瞬間、七条はバッと顔を上げ、スマホの画面を睨みつけるようにして抗議の声を飛ばした。
「ちょっと、奏介君! なにその気の抜けた言い方は! 絶対気持ちが込もってないでしょ!」
「いや、思ってるって。ほら、すごく似合ってるぞ、そのモコモコのやつ」
「うっ……! からかわないでよ……!」
さらに赤みを増した七条の表情を見て、羽川が背後で「いよっ、ラブラブだねぇ!」と茶化すような声を上げる。
「はいはい、そこまで! これ以上いじると芹愛が本気で泣いちゃうから、今日のビデオ通話はこの辺にしておいてあげる!」
「おい、勝手にかけてきて勝手に切る気かよ」
「だーって、こっからは女子だけの秘密の夜更かしトークタイムなんだからね! じゃあね、稲葉君、おやすみー!」
ピリッ と、一方的に通話が切断された。
スマホの画面は元のトークルームの画面に戻り、静寂が部屋に舞い戻る。
暗い自室のベッドの上で、俺はふうっと大きく息をつき、そして思わず苦笑いを浮かべた。
まったく、あの調子じゃ今夜の七条はろくに眠れないに違いない。
羽川に振り回されながらも、どこか楽しそうな彼女の姿を思い出すと、離れていても不思議と心が温かくなるのを感じた。
窓の外を見上げると、梅雨の晴れ間から覗く夜空に、小さな星が一つ、静かに光っていた。
期末考査まであとわずか。そしてその先には、二人で迎える本格的な夏が待っている。
次に彼女と二人きりになれる週末を心待ちにしながら、俺は静かにスマホの電源を落とし、布団に潜り込んだ。




