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第13話 祈捜査官の取り調べ


「えっと……確か……稲葉君……?」


 トイレから出てきた羽川祈の瞳が、驚愕で見開かれている。


 よりにもよって、学年トップの完璧なお嬢様・七条芹愛のプライベートな部屋から、クラスで最も目立たない陰キャモブ男子であるはずの俺──稲葉奏介が、なぜか気まずそうに姿を現している。この状況証拠だけで、普通の人間なら脳内でどんなピンク色の妄想を爆発させることか。


「い、祈……! ち、違うの! これはその……!」


 いつもは落ち着いていて完璧な七条が、珍しくしどろもどろになりながら、両手をパタパタと激しく振って弁明を試みる。その顔は真っ赤に染まっており、お嬢様の威厳は文字通り木端微塵に砕け散っていた。


「違うって、何が違うわけー!?」


 羽川は目を丸くした後、パッと顔を輝かせ、まるで面白いおもちゃを見つけた子供のような、最高に好奇心旺盛な笑みを浮かべた。


 彼女の足取りが急に軽くなり、スタスタと俺の前へと歩み寄ってくる。


「ふふーん……なるほどね? 週末に芹愛の部屋で二人きり、ねぇ? 男子を連れ込んで、何をしてたのかなぁ? おまけに私が来た途端に隠れようとするなんて、怪しさ百パーセント、黒光りレベルの怪しさだよ!」


「ち、違うからね! 私たちはただ真面目に、来週の期末考査に向けて数学の……」


「はい、そこまでー!」


 羽川はぴしゃりと七条の言葉を遮ると、「話はこっちでゆっくり聞かせてもらうよ」と俺たちをリビングへと促した。



   §



 羽川はリビングのローテーブルの前に陣取り、ソファにドカンと腰を下ろした。


 そして、俺を対面に座らせ、手元にあったスマホをシュッと取り出し、そのライト機能をオンにする。


 スマホの強烈なLEDライトが、真っ直ぐに俺の顔面を容赦なく照らし出した。


「さあとっとと洗いざらい全部吐いちまいな。そうすりゃあ楽になるぜ」


 どこかの刑事ドラマの取り調べ官気取りの、芝居がかった大げさな口調。


 ライトの眩しさに俺が思わず目を細めると、羽川はニヤニヤとした笑みを浮かべながら、さらに詰め寄ってきた。


「さあ、尋問を始めます! 第一の質問、稲葉君。なぜ君が、我が愛しの芹愛のプライベートスペースに潜伏していたのか。その深遠なる理由を述べよ!」


 逃げ場なし、と悟った俺は、眩しいスマホの光を片手でよけながら、観念したように大きく息を吐き出した。


 こうなったら、中途半端な嘘をつくよりは、ある程度本当のことを混ぜて納得させたほうが傷が浅くて済む。もちろん、肉体関係を持っているという最大級の爆弾については、絶対に墓場まで持っていくつもりだが。


「……わかったよ。白状するから、その眩しいライトを下ろしてくれ、目が潰れる」


 俺が渋々そう言うと、羽川は「おっ、素直でよろしい!」と満足そうにライトを少し下げてくれた。


 俺はソファの端に腰を下ろし、隣で冷や汗を拭っている七条を一瞥してから、語り始めた。


「きっかけは、マンションの隣同士になったことだよ。たまに顔を合わせて挨拶するようになって……」


「ふむふむ、なるほど。隣の部屋同士、か」


「それで、俺の普段の食生活があまりにも偏っててヒドかったから、それを知った七条が、見かねてだな……週末にこうして部屋に呼んで、バランスの取れた食事を作ってくれたり、勉強会を開いたりしてたってわけだ」


 俺が淡々と事実を説明すると、羽川は呆気に取られたように瞬きを数回繰り返し、そして──。


「──な、なにそれ……っ!?」


 彼女は両手で顔を覆い、興奮した様子でソファの上で身悶えし始めた。


「めちゃくちゃ王道なラブコメ展開じゃない! 偶然部屋が隣同士になって、自堕落な男子を見かねてお嬢様が手料理を振る舞って、秘密の勉強会……! 運命か! 赤い糸か! 今時ベタなラブコメのライトノベルでも、ここまで綺麗な王道展開はそうそうお目にかからないよ、すごい、すごすぎるっ!」


 羽川のテンションは最高潮に達し、興奮のあまり七条に詰め寄り、その肩を激しく揺さぶる。


 七条は顔を真っ赤にしたまま、「い、祈、揺すらないでよ!」と必死に引き剥がそうとする。


「ちょっと、祈、誤解しないでよね! 別にそういういかがわしい関係とかじゃないんだから! ただ、その……稲葉君、期末でもっと上位を目指したいって言ってたから、手伝ってあげていただけだよ!」


 七条が必死に弁解するが、羽川のニヤニヤ顔は一向に収まる気配がない。


「はいはい、弁解はいいからいいから! で、なんですって? 週末だけの関係、ねぇ……?」


「週末だけの関係って言い方をするな、語弊があるだろ」


 と俺が突っ込むと、羽川はさらに面白がるように目を輝かせた。


「ふーん、なるほどね。学校では周囲の目を気にして、一切関わらないようにしてるわけだ。学年トップのお嬢様と、地味なモブ男子の秘密の共犯関係……うわぁ、最高に背徳的でゾクゾクする設定じゃない!」


 羽川の暴走しがちな妄想に、俺と七条は揃って深い溜息をつくしかなかった。


 しかし、羽川の追及はこれで終わらなかった。


 彼女はピタリと動きを止めると、ジッと俺の顔を観察するように見つめ、何かを思い出したようにパチンと手を叩いた。


「あ、そういえばさ、稲葉君。私、前にもどこかで……君の顔に見覚えがあるような気がしてたんだよねぇ」


「……は?」


 俺の心臓が、一瞬だけドキンと跳ね上がった。


「ほら、前に行ったことがあるんだよ。駅前の裏通りにある、隠れ家風のオシャレな喫茶店、『ライムノート』ってお店知ってる? あそこの店員さんに、すっごく雰囲気の似てる男子がいてさー。いつもは前髪で隠れてるから分からなかったんだけど、今こうして間近で見ると……ねぇ?」


 羽川の探るような鋭い視線が俺を貫く。


 やばい。あそこの店で働いている時に羽川と遭遇した時のことが脳裏によみがえる。あれだけ隠そうとしていたのに、まさかここでバレてしまうのか?


 七条も「あっ……」という顔をして、息を呑んで俺を見た。彼女も叔父の店を手伝う俺の姿を知っているからだ。


 隠し通すのは、もう無理だな。


 ここで変に嘘をついてボロが出るくらいなら、いっそ自分から明かしてしまったほうがスッキリする。それに、これ以上SNSや陰でのやり取りでビクビクしながら生きるのはごめんだ。


「……参ったな。そこまで勘がいいとはな、羽川」


 俺は小さく苦笑いを浮かべ、そしてソファに座ったまま、両手で自分の前髪をグッと上に持ち上げ、額を完全に露出させてみた。


 普段は目深に垂れ下がり、目元をすっぽりと隠していた鬱陶しい前髪が上がったことで、俺の顔立ちがはっきりと露わになる。


「やっぱり……! あそこのイケメン店員さん、本当に稲葉君だったんだ……!」


 羽川は両手で口を抑え、目を丸くして驚愕の声を上げた。


 隣で見ていた七条も、前髪を上げた俺の姿にわずかに頬を赤らめつつ、「……やっぱり、隠し通せなかったね」と呆れたように微笑んだ。


「なんで……? そんなにかっこいいのに、普段はなんであんなに地味にボサボサの髪型してるの? 学校にその髪型でいけば、間違いなく一躍人気者になれるのに!」


 羽川のもっともな疑問に、俺は少しだけ表情を曇らせ、目を伏せた。


「……昔、中学校の頃に、ちょっと人間関係で嫌なことがあってさ」


 リビングの空気が、わずかに重たくなる。


「目立ったり、変に注目されたりすると、また面倒な柵が生まれるんだよ。それが嫌でさ。だから高校に入ってからは、極力目立たないように、存在感を消して生きようって決めたんだ。喫茶店の時は、叔父の店の手伝いだし、身なりをちゃんとしろって言われてるから仕方なくあの髪型にしてるけどさ」


 ぽつりと本音を漏らす俺に、羽川はしばらくじっと見つめ返すように沈黙していたが、やがてふっと肩の力を抜いて、柔らかく微笑んだ。


「そっか……いろいろあったんだね。ごめん、変に詮索しちゃって」


「いや、いいさ。どうせいつかはバレてただろうしな」


 俺がそう言って肩をすくめると、七条がスッと立ち上がり、キッチンの方へと歩き出した。


「ふう……なんだか驚きの連続だったけど、せっかく祈もいることだし……三人で、今日の勉強会の続きをしようか」


 七条のその言葉に、羽川はパッと表情を明るくさせ、「賛成ー! おやつに芹愛の特製スイーツとか期待しちゃうなー!」と両手を上げた。


 それからの時間は、先ほどまでの緊迫した取り調べの雰囲気が嘘のように、穏やかで賑やかなものへと変わっていった。


 リビングのローテーブルを囲み、俺と羽川、そして七条の三人でテキストを広げる。


 羽川は持ち前の底抜けに明るい性格で、分からない問題を七条に軽快に質問しながら、時には脱線して俺たちの秘密(もちろん肉体関係以外の部分の、隣人としての交流や喫茶店でのアルバイトの話)をいじり倒してきた。


「ねえねえ、稲葉君、またあの喫茶店行っていい? イケメン店員としての華麗な働きっぷりを注文してあげるからさ!」


「やめろ、冷やかしに来る客は出入り禁止だ」


「えー、冷たーい! 芹愛、彼氏を何とかしてよ!」


「祈、からかわないの……っ! 私たちはそういうのじゃないって言ってるでしょ!」


 七条が顔を真っ赤にして抗議する声が、リビングルームに響き渡る。


 普段は孤高を貫くお嬢様が、親友の前で見せる少し子供っぽい焦った表情。それをこうして自然に受け止められている自分に、俺はふと不思議な心地よさを覚えていた。


 やがて、時計の針は夕方の五時を大きく回り、窓の外の空はすっかり茜色から群青色へと移り変わり始めていた。


「うわ、もうこんな時間かぁ! ……あ、そうだ!」


 羽川はテキストをパタンと閉じると、なにやら思い出したようにニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「ねえ、私、このままここに泊まっちゃってもいいかなー?」


「えっ……!?」


「だーって、明日日曜だし、家でも親が旅行でいないから一人で寂しいんだもん! ね? いいでしょ、女子会しようよ、芹愛!」


「もう祈ったら、いつもいきなりなんだから……」


 七条が観念したように呟く。


「それじゃあ、そういうことで。芹愛、夕食、期待してるからねー。稲葉君も一緒に食べていくでしょ?」


「ああ。迷惑じゃなければな」



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