5. 嫌でも納得できることがある
子どもは、嫌なことをすべて拒否しているわけではない。
大人から見ると、泣いたり怒ったり嫌がったりしている子どもは、ただわがままを言っているように見えることがある。
しかし実際には、子どもは「嫌だから絶対にやらない」と思っているのではなく、なぜそれをしなければならないのか分からないことに苦しんでいる場合がある。
嫌なことでも、理由が通れば受け入れられることがある。
これは、子どもでも同じである。
たとえば、左利きの子どもに右手を使わせる場面を考えてみる。
今の価値観で見れば、左利きを無理に矯正することには慎重であるべきだ。
子どもに強い負担をかけることもあるし、その子の自然な使いやすさを否定してしまう危険もある。
けれど、ここで大切なのは、左利き矯正そのものの是非ではない。
大切なのは、子どもが嫌がっている時に、理由を説明されるかどうかである。
ただ「右手を使いなさい」と言われるだけなら、子どもには苦痛だけが残る。
なぜ左手ではだめなのか。
なぜ使いにくい右手を使わなければならないのか。
自分は左手の方が楽なのに、なぜ大人はそれをやめさせようとするのか。
理由が分からなければ、子どもにとってそれはただの強制である。
しかし、そこで大人がこう説明したらどうだろう。
「世の中には右手で使いやすいように作られている物が多い」
「字を書く時も、右手の人に合わせた形になっていることが多い」
「だから右手も使えるようになると、あとで困りにくくなる」
このように説明されると、子どもはすべてを完璧に理解できなくても、少なくとも理由の方向は受け取ることができる。
嫌なことに変わりはない。
右手は使いにくい。
思うように動かない。
泣きたくなるほど不満もある。
それでも、理由が通れば子どもは考える。
今は嫌だけれど、あとで困らないためなのか。
自分が使いやすいかどうかだけではなく、世の中の道具や文字の仕組みも関係しているのか。
なら、少しはやってみる意味があるのかもしれない。
このように、子どもは不快感と理由を分けて受け取ることがある。
ここで重要なのは、納得とは、嫌な気持ちが消えることではないということだ。
納得しても、嫌なものは嫌である。
苦手なものは苦手である。
面倒なものは面倒である。
しかし、理由が分かれば、子どもはその嫌なことを「ただ押しつけられたもの」としてではなく、「意味のあるもの」として受け止められる場合がある。
大人でも同じだろう。
理由もなく苦しいことをさせられれば、不満が残る。
しかし、その苦しさに目的があり、自分にとって必要だと分かれば、受け入れられることがある。
子どもも同じである。
子どもは、嫌なことを何でも拒絶しているのではない。
理由のない強制を嫌がっていることがある。
だから大人は、子どもが嫌がった時に、すぐ「わがまま」と決めつけない方がいい。
なぜ嫌がっているのか。
理由が伝わっているのか。
その子にとって、何が苦痛なのか。
それでもやる意味を、子どもに分かる形で説明できているのか。
そこを考える必要がある。
教育に必要なのは、子どもの嫌な気持ちをすべて消すことではない。
嫌な気持ちがあっても、理由を理解し、自分なりに受け入れられるようにすることである。
嫌でも納得できることがある。
その経験は、子どもにとって大きい。
なぜなら、それは「嫌なことを我慢する力」ではなく、理由を見て行動を選ぶ力につながるからである。




