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第25話:選択の同行者

 廃工場の外では、風が鉄骨を軋ませていた。


 規則的なはずの都市の夜に、わずかな“乱れ”が混じっている。

 その奥で、警備ドローンの羽音が低く巡回していた。


 翼たちの会話は一度途切れ、重い沈黙が降りる。誰もが胸の奥に、それぞれ異なる重さを抱えていた。


 翔太が口を開いたのは、それからしばらく経ってからだった。


「……正直に言う。俺はこれまでに、いくつもの“印”持ちを監視してきた」


 声は掠れていた。吐き出すように続ける。


「子供もいた。十にも満たない子供を“隔離”する任務に加わったこともある。その子は、最後まで俺の手を離さなかった。抵抗することもなく、ただ泣きじゃくって親に縋るその手を、俺は一つずつ剥がした」


 翼は言葉を失った。葵が顔を歪める。


「それがあなたの仕事だったのね」


「……そうだ。俺はその命令に従った。組織の歯車として。だがあの時、胸の奥で何かが壊れた」


 翔太は自嘲するように笑った。


「それでも今日まで俺は従い続けた。正義だと信じ込もうとして」


 拳が机を叩く。鈍い音が空気を震わせた。


「だがもう無理だ。翼、お前を処分対象として扱う決定を聞いた瞬間、俺は限界を超えた。……なぜかは自分でも分からない。ただ、これ以上同じことを繰り返したら、本当に俺は人間じゃなくなる気がしたんだ」


 その告白に、翼は胸を締め付けられる。翔太は単なる裏切り者ではない。彼は制度の中で長く葛藤し、ようやく一歩を踏み出した人間なのだ。


 葵が深く息を吐き、言葉を繋いだ。


「翔太……あなたがそう決めたのなら、もう過去の自分を責めるのはやめて。今は選択の時よ。私たちは皆、何かを背負ってる」


 その言葉に、今度は葵自身の瞳が揺らぐ。


「……私は幼い頃から、組織の影の中で生きてきた。私は生き残ってきたけど、その代償として“潜伏者”として暮らすことを強いられた。名前を捨てて、何度も“別人”として生き直してきた」


 彼女の手が紙資料を握り締め、白くなる。


「だから、孤独は慣れている。けど……本当はずっと、誰かと共に真実の太陽の下で笑い合いたかったのかもしれない」


 言い終えると、葵は小さく笑った。だがその笑みは痛みに満ちていた。


 翼は静かに彼女を見つめる。

 自分もまた孤独だった。父を失い、漠然と何者かに与えられた人生を歩き続けてきた。けれど今は違う――。夢を見たあの時から世界が逆転した。自分の鼓動が脈打つのを感じる。命令でも秩序でもない。“思い“が体を突き動かし、“意思“に明日を導かれる。そして今ーー葵と翔太という二人が隣にいる。


「……違うな。俺は“同じ”じゃない。逃げてきただけだ」


 翼は口を開いた。


「父を失ってから、ずっと空っぽだった。夢に出てきた声と少年に引き寄せられるようにここまで来たけど……それはきっと、俺一人じゃ辿り着けなかった。葵がいて、翔太がいたから今がある」


 三人の視線が交わる。それは脆く、不安定で、だが確かな結びつきだった。


「――だから――今度は俺が選ぶ。父が残したもの、レイの存在、そしてこの世界の隠された真実。そのすべてを確かめるために」


 翼の言葉は宣言のように響いた。翔太は深く頷き、葵もまた目を閉じて静かに同意する。


 机の上のホログラム地図が赤い光を放つ。その光は三人の瞳に映り込み、まるで未来の炎のように燃えていた。


 赤い光の地図が淡く揺れる。そこに刻まれた線は、かつて存在した研究都市の名残を示していた。

 葵が操作パネルに指を走らせる。青い点が幾つも現れ、赤い円で囲まれる。

 赤い線が、まるで“血管”のように都市の奥へ伸びている。


「……これが現在も稼働している監視網。地表の道路を進めば、まず突破できない。ドローンと検問が張り巡らされている」


 翔太が資料を繰りながら答える。


「だが、地下には旧時代の物流トンネルが残っている。表向きは封鎖されていることになっているが、ここ――」


 指で示したのは、地図の縁に伸びる細い線。


「記録省の内部データによれば、この一帯の閉鎖工事記録に不自然な空白がある。つまり、完全には塞がれていない可能性が高い」


 翼が息を呑んだ。


「そこを通れば、第六研究都市に辿り着ける……?」


「少なくとも、表の監視を避けられる」


 翔太が頷く。


「問題は、この情報がどこまで正しいかだ。俺が持ち出せた資料は断片に過ぎない」


 沈黙が落ちる。だがすぐに葵が言った。


「可能性に賭けるしかないわ。正規ルートでは必ず捕まる」


 その瞳は揺らがない。孤独の中で生き延びてきた者特有の強さがあった。


 翼は地図を見つめた。赤い線が、未来への細い糸のように思えた。

 父がなぜ自分に「選べ」と言い残したのか。夢に現れるレイの意味は何か。

 答えを見つけるには、その奥底へ進むしかない。


「決まりだな」


 翔太が息を吐く。


「ただし、準備が必要だ。食料、通信妨害装置、そして旧規格のアクセスキー……」


「アクセスキーならある」


 葵が囁いた。

 二人の視線が彼女に集まる。


「昔、父が密かに託してくれたの。どこに使うか分からなかったけど……たぶん、これが役立つ」


 ポケットから取り出されたのは、掌ほどの古びた金属片。中央に刻まれた紋様は、翼の夢に刻まれていた「印」と、完全に一致していた。その瞬間、何かが“繋がった”。

 翼の胸が熱くなる。――導かれている。偶然ではなく、すべてが繋がっている。


 その時、廃工場の外から微かな低音が響いた。

 三人が同時に顔を上げる。

 翔太が窓辺に走り、目を凝らす。


「……来たな。偵察型だ。まだこちらに気づいてはいないが、時間の問題だ」


 葵が即座に資料を片付け、端末をシャットダウンする。

 翼も地図を閉じ、金属片を懐に収めた。


「動こう。――もう、時間がない」

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