第20話:影の座標
記録省本庁舎は、管理都市の中心部を貫くガラスの尖塔群のひとつに位置していた。
地上百階を超える高さを誇り、上層階の会議室からは都市の全貌が一望できる。夜の帳はまだ降りきらず、早朝の灰色の光が雲を透かし、街を静かに照らしていた。
巨大スクリーンに投影される監視映像は、整然とした市街地の秩序を無言で示しているが、その背後には不穏な陰影が確かに潜んでいるように見える。
壁一面の窓は分厚い強化ガラスで覆われ、外気を拒んでいる。
その中に設けられた楕円形の会議テーブルには、記録省の幹部たちが着席していた。白い光に照らされた彼らの顔は、一様に硬く、無表情だった。
正面の席に座るのは、記録省長官・白峰靖人。鋭い眼差しを持ちながらも、声の調子は抑制されている。
彼はいつもそうだった。激しい感情を表には出さず、合理と効率だけで判断する冷静な官僚。彼の言葉ひとつが、この都市の多くの命の行方を左右する。
その右手に並ぶのは、実働部隊を統括する指揮官・黒崎陸。
壮年に差しかかるが、その肉体は未だ現役の兵士のように引き締まっている。軍歴を持つ彼は、戦場で培った鋭さを纏い、机上の議論に収まらない迫力を周囲に放っていた。
他にも複数の部局長や分析官が座していたが、室内の空気は、明らかに二人を中心に流れていた。
モニターに映し出されるのは、監視網から抽出された追跡映像だった。
一人の若い男の姿が映っている。真田翼。
「件の対象は、再び不穏な動きを見せています」
若い分析官の声が会議室に響く。彼の指先が端末を操作すると、映像が拡大される。人波に紛れ、尾行を撒くように路地を駆け抜ける翼の姿が浮かび上がった。
「通常任務中に不審な接触が複数確認されました。映像は断片的ですが……追跡員の報告によれば、外部協力者と思しき女と接触し、追跡を振り切った模様です」
「女?」
黒崎が低い声で問い返す。
「はい。身元は未特定ですが、映像から照合したところ、地下組織と関わりを持つ可能性が高いと」
分析官は言い淀みながらも答えた。
「なるほど……やはり、血が呼び寄せるか」
黒崎の口元が、笑みとも嘲りともつかぬ歪みに変わる。
白峰が静かに言葉を挟んだ。
「黒崎。確証のない推測は控えろ。ここは報告を整理する場だ」
黒崎は肩を竦め、わずかに視線を落とした。だが瞳の奥には、抑えきれぬ熱が潜んでいるのを誰もが感じた。
分析官は続けた。
「さらに、監視員の証言では、記録省調査員・坂口翔太の姿も確認されています。任務として尾行していたようですが、最後の段階で対象を逃した……あるいは、意図的に逃した可能性があります」
会議室がざわついた。小声のさざめきが走り、互いの視線が交錯する。内部の人間が対象に肩入れするなど、通常ならばあり得ない。
白峰の指先がテーブルを軽く叩いた。
「坂口翔太については後日別途調査する。まずは対象だ」
黒崎がすかさず言葉を継いだ。
「処分すべきです」
黒崎は一切の間を置かずに言った。
「即座に」
その声は低く、しかし明確な断を含んでいた。
まるで命令のように。
まるで、それが最初から決まっていた結論であるかのように。
白峰の表情がわずかに曇る。
「黒崎、君の言う“処分”とは、拘束ではなく……排除、か?」
「当然です。彼の血統は、我々にとって最も危険な因子を孕んでいる。芽のうちに摘み取らねば、やがて都市全体を揺るがす」
その瞬間、会議室の空気が冷え込んだ。黒崎の言葉には、ただの職務上の判断を超えた個人的な執念が滲んでいた。
白峰は深く息を吐き、椅子に背を預けた。
「過剰だな。……だが、確かに見過ごせぬ動きではある。対象は我々の掌の外へ出つつある。監視網を強化し、同時に限定的な部隊投入を許可する」
黒崎の口元に、僅かな笑みが浮かんだ。
だが白峰は釘を刺すように続けた。
「ただし、排除ではなく拘束が第一の目的だ。いいな、黒崎」
黒崎は無言で頷いた。
その視線は、スクリーンに映る翼の姿から一度も離れていない。
やがて、誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。
「……やっと見つけた」
その言葉の意味を、この場の誰も知らない。




