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第18話:再会の印

 全力で路地を駆け抜ける。

 ドローンの羽音が頭上に迫り、光が追尾する。翼は路地裏を縫い、工事現場の足場をすり抜け、ようやく大通りに飛び出した。


 人波に紛れることで、追尾は途絶える。

 だが息を整える暇もなく、胸の奥で夢の声が再び蘇った。


 その時、前方の暗がりから声が飛んできた。


「こっちよ、翼!」


 昨日会話したあの人の声ーー。胸の奥がざわついた。走りながら横顔をちらりと見た瞬間、胸に既視感が走る。だが考える暇もなく、腕を引かれ路地裏を駆け抜けた。


 追跡を振り切り、廃屋の地下室に逃げ込んだとき、彼女はようやく白いフードを外した。


「……名乗るのが遅れたわね。鳴海葵って呼ばれてた」


「……鳴海……葵……」


 名前を口にした瞬間、胸の奥で何かが弾けた。

 声も、瞳も──どこかで見た気がする。けれど、はっきりとは思い出せない。


「……会ったことがあるかもしれない」翼は思わず呟いた。


 葵は一瞬だけ目を伏せ、小さく肩をすくめる。

 

「覚えてないかもね。ずっと昔のことだから」


 翼の胸に電撃のような感覚が走る。夢で見た印、隔離施設の記憶、少年レイの幻影。霧の中に沈んでいた断片が、葵の言葉に反応して浮かび上がろうとする。


「俺もはっきりしないが、既視感がある。お前の声も、目も……どこかで」


 二人の間に沈黙が落ちた。

 その沈黙は重苦しくもあり、同時に確かな絆の兆しでもあった。外では、追跡者たちが通りを駆け抜ける靴音が響き渡り、やがて遠ざかっていった。


「……もう少しでここも嗅ぎつけられる」

 

 葵が声を潜める。

 

「だから、あんたに問うわ。翼、いまの生活に戻る気がある? それとも──」


「……選べ、か」

 

 翼は呟いた。父の声と夢の残響が重なり、背筋を震わせる。ここに至るまでのすべてが、一つの線で繋がりはじめていた。


 葵は彼をじっと見据える。その瞳には、危ういが確かな覚悟が宿っていた。翼はその視線を受け止めながら、自らの中で揺らいでいた天秤の傾きを悟る。

 ──彼女と歩むことでしか、父の死と夢の意味に辿り着けない。


 地下室の沈黙を破るように、金属を打つ鈍い音が響いた。

 ──追手だ。

 予想よりも早く、ここを突き止められたらしい。


「……やっぱりね」

 

 葵は腰のホルスターから小型のスタンガンを抜いた。市民が持てるはずのない代物。

 

「時間を稼ぐ。出口は奥にあるはず」


 翼は背筋を冷たく撫でられる感覚に包まれた。なぜ彼女がこんな装備を持ち、逃走経路まで熟知しているのか──。

 問いただしたい衝動を押し殺し、翼は無言で頷く。


 鉄扉が破られる直前、二人は地下通路を駆け抜けた。狭い空間に呼吸の音が反響し、照明の切れた区画では足元の瓦礫が滑りやすい。だが葵は一度も速度を緩めず、前へと導いていく。


 背後で足音と怒号が近づく。

 翼は反射的に懐へ手を伸ばし、支給された記録省の端末を取り出した。逃走経路を探すため──ではなく、追っ手を迷わせるためだ。即席でプログラムを走らせ、近隣の監視カメラに偽の信号を送り込む。わずかな時間でも敵の目を逸らせればいい。


「……翼?」

 

 走りながら葵が振り返る。

 

「俺にできるのはこれくらいだ」

「十分よ!」


 笑みを浮かべる彼女の顔に、翼は一瞬目を奪われた。それは単なる安堵ではなく、互いに支え合う確信の笑みだった。


 やがて通路の突き当たりに、重々しい鉄格子の門が現れた。葵が端末を取り出して解錠を試みるが、認証が弾かれる。

 

「……古い型式だわ」


 追手の声がすぐ背後まで迫る。翼は自らの端末を重ね、記録省式の解析コードを走らせた。数字が乱舞し、鉄格子の前で電子音が耳を打つ。

 

「頼む……開け!」


 その瞬間、錆びた鍵が解放音を鳴らす。二人は格子を押し開き、再び夜気の中へ飛び出した。


 路地裏に出た瞬間、都市の光が視界に広がる。追手の姿はまだ見えない。遠くでドローンが飛んでいる。


 翼は壁に手をつき、荒い呼吸を繰り返した。葵は周囲を確認しつつ、短く言った。

 

「……あんた、やっぱり只者じゃない」

 

「皮肉だな。俺はただの“監視される側”だ」

 

「監視されるだけの人間が、あんなコードを書けるわけない」


 言葉を交わすうち、葵の瞳がかすかに揺らいだ。そこには、翼に対する懐疑と同時に、何か懐かしいものを確かめるような眼差しがあった。


「……あのときの子、なの?」

 

 葵の囁きに、翼は眉をひそめた。

 

「……何の話だ」

 

「子どものころ、隔離施設の外で……一瞬だけ、会った。印を持つ子と」


 翼の心臓が強く跳ねた。脳裏に、幼い日の断片が蘇る。鉄柵越しの微かな声。

 その記憶は曖昧で、長い間封印されていた。だが──今、葵の言葉が鍵となって蘇ろうとしている。


 風が吹き抜け、都市の喧噪が一瞬遠のく。父・宗一郎の遺した謎と、夢に現れた少年レイの影。そして幼き日の記憶が、一本の線となって結ばれようとしている。


 遠くでサイレンが鳴り響いた。現実が、再び二人を急き立てる。


「行こう」

 

 葵が言う。翼は深く息を吸い込み、頷いた。


 ──この再会は偶然ではない。

 そう確信したとき、翼の中で決意が芽生えていた。

 父の死の真相を追うために。

 夢に現れた少年に会うために。

 そして、葵との「印の記憶」を確かめるために。

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