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軍人エルフと喫茶店  作者: さと かんひこ
終章 春、明日へ
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最終品目 メロンソーダと春風

 リヒテンベルク准将はその日、足掛けほぼ五年ぶりに、連邦首都の路地裏にあるかつての行きつけだった喫茶店に足を運んだ。

 静かな平日の午後。暖かな春の日差しが、喫茶店『黒い森』を照らしている。

 その玄関先には、以前より少し背の丸くなったあの老店主が、彼を出迎えるように立っていた。


「お待ちしておりました」


 そう言って頭を下げる店主に、リヒテンベルクも礼を返す。


「お久しぶりです。随分、ご無沙汰してしまいました。

 二人とも、もう中に?」


 老店主は「ええ、お待ちです」と微笑んで、リヒテンベルクを迎え入れた。


 ドアベルのカランコロンという軽快な音を聴きながら、リヒテンベルクは思い出の店内に足を踏み入れ、いつも座っていたあの席へ目を向けた。

 楽しげに談笑する、顔に火傷の痕が残る背の高いエルフと、まだ若さの残るガルノード人の男。

 ()()がいなければ、出会うはずのなかった人達が、そこに座っていた。


(少佐。君が命をかけてでも叶えたかった未来は、理想は、これだったのか)


 ガルノード人と、エルフの友情。同じ店の同じテーブルで語らい、笑い合える日々。

 その為に彼女は、エルフリーデはあの日、自らの出自さえ明かして、炎に飲まれたのではないか。


(死者は、何も語らない)


 彼女が、二つの民族の宥和を目指していたのは、その行動からも明らかだ。

 だが、何故その理想に至ったのか等の確信めいたことは、結局何一つ語ることなく、この世を去ってしまった。


 ……エルフリーデがエルフだと知ったのは、彼女が灰になってからだ。

 きっと、ほとんどの人間がその事実を知りはしなかっただろうし、知っていたとしても、今後それを口にすることは無いだろう。

 本当に彼女が、ただ民族の間を取り持つためだけに軍に身を投じたのかさえ、今となっては分からない。

 故郷を火の海にされ、同胞を殺された復讐を果たすため、軍に身を投じたのだとしても、決しておかしな話ではないのだ。

 だが、もしそうだとするのなら、一体彼女に何があって、あんな行動をとったのだろう。


(俺は、少佐のことを何も知らない)


 そんな自分が、今、恐らくもっとも彼女の理想を叶えることができる立場にいる。

 エルフとガルノード。

 二つの異なる人種が手を取り合って歩んでいけるかどうか――故郷を失ったエルフが、再び父祖伝来の地に帰る事ができるかを左右する、そんな立場に、いる。


(……俺に、出来るか?)


 叔父と恋人をエルフに殺された自分に、それが出来るか。

 彼らを許し、彼らを憎んだ自分を、許せるか。

 それを、もっとも尋ねたかった人は、もうこの世にない。


 死者は、何も語らない。答えはいつも、自分の中にある。

 だが、その答えはまだ、見つからない。見つけられる日は、果たして来るのだろうか。



「……お、准将殿。来られましたか」


 ドアベルの音に気がつき、こちらを振り返った男――ルートヴィヒ・オーベルトの声に、リヒテンベルクは軽く手を挙げて応えると、そちらへ歩み寄り、彼の隣に腰掛けた。


「リヒテンベルクさん。遠路はるばる南部から来てくれて、どうもありがとう」


 リヒテンベルクが席に着くと、テーブルを挟んで向かい合わせに座るエルフ――レオナ・シュピーゲルが、そう言って手を差し伸べた。


「いえいえ。こちらこそ、命の恩人にこうしてまた相まみえることができて、光栄です。レオナ・シュピーゲル議長」


 リヒテンベルクはレオナの手を取り、固い握手を交わす。

 かつて夜道でエルフの若者達に襲われたとき、その命を救ってくれた青年が実は女性であったことと、エルフリーデの従姉だったことを知ったのは、もう随分最近になってからのことだ。

 彼女は今、国内外の穏健派エルフ達の集う政治結社“全エルフ民族会議”の指導者として、ガルノード国内での公民権獲得の為に奔走している。

 エルフ達が長く使い続けてきた、“エルクの角”という名をあえて捨てたのは、きっと並々ならぬ覚悟を持ってのことだったのだろう。


 彼らは現政権とも友好的な関係を築いており、また国内外の世論の後押しもあってか、二年後の夏に行われる連邦初の民主的な総選挙に、エルフ族の候補を送り出すことが決まっていた。

 エルフリーデの死と、レオナの努力が、結果的に世間と政治を動かしたのだ。


 この総選挙をもって、革命以来半世紀もの間続いた軍事政権は終焉を迎える。

 中央での政治から地方行政までをも支配していた軍政は、それに備えて各地で民政移管が進み、リヒテンベルクの所属する西部軍管区も、その引き継ぎに追われていた。


 この春少将に昇進することが決まったリヒテンベルクは、それと同時に、地方行政を担う組織としての西部軍管区の、最後の司令官に就任することが既に内定している。

 その、最後の司令官の、最初の()()――旧エルフ領の完全解放についての話をレオナとする為に、リヒテンベルクは今日、首都に残り、かねてより双方と親交のあるルートヴィヒを仲立ちに、非公式ながら会談の場を設けたのだった。



 そうこうしていると、老店主がお盆に何やら見覚えのある飲み物の入ったグラスを載せて、やってきた。

 澄んだエメラルドグリーンのそれが、窓から差し込む春の日差しにきらめいている。

 三人の前にグラスを置き、老店主は微笑んだ。


「こちら、サービスになります。久しぶりの再会を祝しての、ほんのお気持ちと思っていただければ」


 老店主は近くの空席から椅子を一つ引き寄せると、三人に向かい合うように、静かに腰を下ろした。


「……実は、皆さんに謝らなくてはならないことがあります。私は皆さんに、二つ、隠していたことがありました」


 穏やかな口調で、老店主は唐突にそう切り出した。


「隠し事、ですか?」


 身を乗り出すようにしてそう聞き返すルートヴィヒの向かい側で、レオナは何かを察したような顔をしている。


「何を、隠しておられたのですか?」


 眉根を寄せたリヒテンベルクに促されるように、老店主は言った。


「私は、元軍人です。かつて旧主流派と呼ばれた強硬派勢力に属し、退役後も、彼らと深くつながっていました。

 ――私は、皆さんを監視するために、ここにいました」

「二重スパイ、ですか」


 不意に、そう呟いたレオナの言葉に、老店主は頷いた。


「ええ。大統領閣下と私は同期でしたし、あまり何より私は目立つ方ではありませんでしたから。強硬派だと知っていた人も、ほとんどいないと思います。

 現役時代も、退役後も、表向きは穏健派として活動し、私はそこで得た情報を横流ししていました」


 退役後しばらく経ち、老店主は知り合いからこの店を受け継いだそうだ。

 そこで彼は、この喫茶店を穏健派将校やその協力者たちの情報交換場所として開くことで、さらに効率的に情報を集めるようになった。

 強硬派への情報提供も、ここで行われた。そしてあるとき、転機が訪れたのだという……。


「穏健派将校の一人から、レオナさんを紹介されました。

 エルフ族との宥和政策を進める為に、穏健派とレオナさん達との交流の場として、この店を使わせて欲しい、と」

「貴方は、それを快く受け入れたんですね」

「ええ。もちろん」


 リヒテンベルクの言葉にそう返し、一息ついて、店主は続けた。


「私は元々情報将校だったのですが、先のエルフ領侵攻作戦では、人手不足から前線指揮をやっていました。

 そこで私は、大勢の部下を失いました。エルフには、憎悪の念の方が強かった。

 ……しかし、私も多分老いたのでしょう。レオナさんや、エルフの人々をカウンター越しに眺める中で、ふと気づいてしまったのです。彼らもまた、人なのだと」


 揺れ動く心は日増しに強くなり、老店主は苦しんだ。

 エルフリーデと出会ったのは、まさにそんなときだったという。


「かつての私のような硬質な光を目に宿して、復讐の鬼にでもなろうとしている彼女を一目見て、何故か、放っておけなくなったのです。

 私は、彼女の力になりたかった。彼女の心に巣食った鬼を、どうにかしてやりたかった」


 そこから彼は、人知れず穏健派やエルフ達に肩入れをしていくようになった。

 強硬派達から怪しまれぬよう、それほど重要度の高くない情報を定期的に流して忠誠を示しながら、影では穏健派達を支援し、彼らの有利になる情報さえ提供した。

 その動きが影響を与えたのか、軍内部でも大きな勢力変化が起きはじめたのだという。

 それまで、大統領こそ擁立していたものの、依然として強硬派に劣勢を敷いられていた穏健派が、次第に力を伸ばしだした。

 軍内部での力量差が次第に覆りつつある中、強硬派は焦りからか以前よりさらに激しく苛烈な主張や行動を起こすようになり……最終的に老店主は、完全に彼らとの決別を選んだ。

 そして、老店主は二重スパイになった。


 そこからは、皆さんもご存知の通りです、と言って、老店主は口を閉じた。

 沈黙が、辺りにしんと立ち込める。だがそれは、不思議と重たいものではなく、何故か柔らかな空気を持った、静けさだった。


「貴方も、憎しみから解き放たれた者の、一人だったんですね」


 静けさの末に、ささやくような声で言ったリヒテンベルクに、老店主は一層深い笑みを浮かべて、頷いた。


「……人は、変われるのだと知りました。こんな(じじい)になっても、若い娘さんであっても、ね」

「俺も、変われるでしょうか?」


 老店主はゆっくりと目を開くと、言った。


「それは、彼女に聞いたほうが良いかも知れませんね」


 直後、カランコロンと、ドアベルが鳴った。

 明け放たれた扉から、まばゆい光が流れ込む。

 その光の中から、一人の若い娘が現れた。


「……嘘」


 レオナが、不意にそう言って立ち上がる。

 ルートヴィヒとリヒテンベルクは、その衝撃に動けなくなり、ただその姿を見つめるより他になかった。

 光の中をかき分けるようにして飛び出してきた、あの娘……尖った耳と、絹のような長い髪。

 顔には火傷の痕が残っているものの、見間違えるはずはない。あの人は――


「――エリー!!」


 レオナが、喉も割れんばかりにそう叫んで飛び出し、彼女を思い切り抱き締めた。


「親父さん。貴方の、もう一つの隠し事って……」


 声さえ失ったルートヴィヒを横目に、力なくそう言ったリヒテンベルクに、店主は満足げな笑みを浮かべて、レオナ達に目をやった。


「丁度、五年前になりますか。私ももう歳ですから、後継者を育てようと思い至りましてね。

 国内での無用な混乱から逃がすためと、修行のために、昔のよしみを色々使って、今まで海外諸国を回ってもらっていたのです。

 改めて、ご紹介しますよ。彼女の名前は――」


 春風が、柔らかく路地を吹き抜けていく。

 メロンソーダに浮かぶ氷が音を立て、揺れる。




「……お帰り、エリー。エルフリーデ」


 エルフリーデはレオナをぎゅっと抱き留めると、その耳元でささやいた。


「……うん、ただいま」




                    Fin.

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