カルデラ4
ぐしょ濡れになったエイフラムとニナは、夜雨の晴れた後の澄んだ空気を吸い込みながら家路を辿る……。
龍と人の隠された歴史を、洞窟内の壁画によって直感的に〝知って〟しまった――エイフラムの胸中は言葉に出来ない興奮に溢れていた。
大雨の後は特に冷える。地面はぬかるみ、涼やかな空気が辺りに漂う。
しかし不思議と風は無く、濃紺の空に飾られた無数の星々だけが輝きを放つ。
「……寒くはないか?」
カンテラを前に掲げながら、エイフラムは肩越しに訊く。
薄紫色で皮膚の薄い唇は不健康そのものだが、凍えるような外気にも平気な顔をしていた。それも、濡れた衣服越しに、鍛え抜かれた筋肉が固いシルエットのお蔭だろうか。
しかし、
「え、ええ。あの……くしゅん」
寒さに耐え切れず、ニナはくしゃみをしながら体を両手で擦った。体中をグルグルと包帯が巻かれた彼女の体は――歩く度に帯の隙間から、かつての酷い火傷の痕跡が見え隠れした。
顔も、片目だけが見えるだけで、それ以外は全て包帯で覆われている。
火傷の影響で発汗作用があまり機能しない。ゆえに体温調節の苦手な彼女には、現在の状態は特に辛い。
「…………。」
エイフラムは一度立ち止まり、自らの羽織っていた分厚い外套を脱いでニナの頭に被せた。
「えっ!? あの、」
突然の行動に困惑したニナは、思わずお礼をいう前に驚きの声をあげた。
彼を看病して数日、彼は無口な人間だと認識してきた。あの洞窟での会話を除いて基本的に彼が何を考えているのか分からない――そう思っていた。
(この人は……)
本当に途轍もなく口下手なのかもしれない、とニナは思った。
この龍の棲む山に単独で登攀し、生死の境を彷徨いながらも超人的な回復力で数日後には自力で歩きまわっているのだ。彼女かれすれば、何者なのか正体が分からない。――けれど、
「あ、ありがとうございます」
悪い人ではない、と彼女は密に頬を緩めた。
「……ああ。外套も濡れているだろうが、ないよりマシだ」
朴訥とした口ぶりのエイフラムは、感謝の言葉に反応するでもなく、どこか遠い目をしながら再び歩き出す。
「早く小屋に戻って、体の暖まるスープを用意しますね」
「……気にしなくていい」
夜闇の中に一つ浮かぶカンテラの温かな火に照らされたエイフラムの横顔は、眠たげな目をしている。……どこか不機嫌な印象も受ける表情は、彼特有のリラックスした時のものだった。
2
「あの、明日……下界の村で市場があるのですが、一緒に来てもらえますか?」ニナが恐る恐る聞いた。
小屋に戻ってきた二人は、囲炉裏を囲っていた。
「……ああ。構わない。だが何故だ?」
「市場はこの、古龍様の棲む里で生活する人間にとって欠かせないんです。生活必需品と、この里の名産品を交換するんです」
「名産品?」
「はい。古龍様とこの里の人だけに許された儀式で……あ、すいません。あまり部外者の方に深くお話できないんです。ただ、古龍様の体から古い鱗や牙を頂戴しているんです。それと、下界で必需品と交換する――そんなところです」
ニナは早口でまくしたて、暖かな湯気の立ち上る囲炉裏で野菜スープを木匙で掬い、器によそった。
「……そうか」
エイフラムは頷き、古龍たちの巣があるというカルデラの中央に聳える小山の方角へ頭を動かす。
「……分かった。お前の護衛をすればいいんだな」
「護衛、ですか。あはは、そんなに大層なものではないんですけどね」
苦笑いをしてニナは野菜スープを差し出す。
「……そうか」
軽く頭を下げてエイフラムは器を受け取り、すぐに機械的に匙でスープを口に運ぶ。
しかし、彼の意識は一瞬も途切れることなく壁に立てかけた剣へと注がれていた。
いかなる時でも敵を想定して、警戒心が彼の体に漂っている。
「……オレは弱い」
ボンヤリとした目で、スープを眺めつつ本音を口にした。
気が緩んだのだろうか? 普段であれば口の固い彼にしては珍しい事だった。
「――えっ、あの、どうかされましたか?」
小さな呟きを聞き取ったニナは怪訝に眉をひそめ、ピタッと木匙で鍋をかき混ぜる手を止めてエイフラムの方をみる。
だが、彼は静かに首を横にふって何事も無かったかのように、
「……忘れてくれ」と、言った。
死にたい、死にたい、と幼少の頃から考え続けていたクセに、いざ戦場に立つと体は自然と生存するために剣を振るい人一倍「生きる」ことに執着していた――。
だから、あの砦での悲劇でも自分のような人間がのうのうと生き残ってしまった。
(誰かを失いたくないなら力が必要だ……。)
この残酷な世界で大切な人々を守り抜くには、それ以外に手段がない。
あの洞窟の壁画を見てもなお、その気持ちに変化がない。だからこそ、古龍に会いに行くべきだとエイフラムは、穏やかな夜の空気を吸い込みながら静かに――決意した。




