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 雨に濡れて冷えた衣服を乾かそうと、洋燈から種火を取り出して、洞窟内に落ちた枯れ枝をくべる。エイフラムは上半身を裸で、黙然とひたすら火を育てていた。

 「……この洞窟の絵をどう思われますか?」

 寒そうに二の腕を交差させて摩る包帯の女は、そう訊ねた。

 「どういう意味だ?」

 「この場所が、決して人の世と交わらないのは人類の一番醜い部分の記憶を残しているから……我々が、竜に選ばれてここで生活しているのも結局、人の世界に戻れないから……」どこかに切なさの帯びた声音で喋る女。

 エイフラムは一言として発さず視線を焚火に向ける。

 「あんた達は、ここで本物の竜をみたことがあるんだな?」

 唐突なエイフラムの質問に訝しがりながらも頷き、

 「はい、でも――」答えようとした瞬間だった。

「教えてくれ」

「えっ?」

 焚火に集中していたエイフラムが、がばっ、と姿勢を変えて女の両腕を強く握った。

「痛っ……」瞬時の強い握力に女は体を固くして悲鳴に近い声を上げる。

その様子に気がついたエイフラムは、「ああ、すまない」と深く沈み込んだ指を離すと気まずそうに焚火に再び意識を戻す。

 外は猛烈な風が踊り狂うような音を奏でている。

「……」

「……」

 沈黙。

 長い間、ふたりに無が訪れた。

「なぜ、竜に拘るのですか?」

女はやっと言葉を口にした。憚られるような事を訊いたのであれば謝ればよい。それより、この山脈にまで自力で登攀してきた者なんて聞いたことがなかった。余程の理由がなければ――

「力が欲しい。誰にも奪われたくない人たちを奪われずに済むだけの力を……」

「えっ?」

朴訥な声に女は一人での逡巡を中断した。

「誰かを守れる力が欲しいんだ」

なぜだか女は内心を掻き乱された気がして、

「竜は人の争いごとの道具ではありません」強い口調でたしなめる。

しかし、

「だとしても、今の俺には必要なんだ」

 エイフラムは純粋な意思の宿った瞳で女を見返した。

 「だれか、想い人でも?」

 戯れだった。本当は彼がなんと答えるかは想像ができていた。しかし意外にもエイフラムは、

 「……分からない。俺は最初同胞のために力を欲していた……だが、峻険な峰を登るたびに、あいつの顔が思い出していた。結局俺は我欲まみれだ」苦い様子で語る。

 (――まさか)

 女は驚き、

 「どんな方なんです?」

 「わからん。――ただ、俺が命を捨てようとしたときに初めて怒ってくれたヤツだった。そんな奴は今までみた事がなかった。俺をみてくれた人間だ」

 「じゃあ――」と、女は言いかけて口を噤んだ。これ以上聞けば、自分の心にいらぬ波風がたつだろうと思えた。なぜ? 出会って介抱したばかりの目前の青年をもっと知りたいとすら感じていた。

 こんなことは今までなかった。この山脈での遭難者で何人もの人々を介抱してきた自分が初めて個人的な感情を持つ。想像すらしなかった。

 エイフラムは不審そうに眉を曲げ、

 「〝じゃあ〟なんだ?」

 「いえ。とくになにもありません」

 冷淡な声音で返事をする。女は左目で見る。瞳に映るエイフラムは不健康そうな青年だった。紫色の脣に、筋肉質に引き締まった上半身。眠たげな眼の奥には熱い闘志を飼っている。

「手を……見せてもらっても?」

「……? ああ、構わない」

差し出した右掌はゴツゴツとした分厚い皮膚。火傷や生傷の絶えない腕も手も五指も、彼の生き様を示していた。

「…………っ!!」

女は危うく片目から涙を零しかけた。一体、どういう生き方をすれば、自らの肉体をこのように酷使できるのだろうか? 恐らく彼を初めて叱った女性もこんな気持ちだったのだろうか? 胸には複雑な感情の痛みが奥部から響く。

 様々な感情の飛来を一つの深いため息で悩みを吐き出すと、

「帰ったら、薬草を塗りましょうか」

努めて明るい口調で目線をエイフラムの顔から逃がす。いま、もし彼を見れば自分自身が何を言い出すかわからなかった。

「頼む」

その声に惹かれるように、不意に女は俯き加減の顔を上げ、エイフラムの表情を覗いた。不器用に口端をあげて笑顔を作ろうとしていた。彼なりの誠意なのだろうか。そうであれば、あまりにもお粗末だ。……けれども、女は悪い気がしなかった。



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