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 牛酪バターを熱したナイフで溶かし切るように、生々しい感覚が未だ掌の中に残る。……

 初めて人間を殺したのはいつごろなのだろうか? 今更記憶なぞしていない。ただ、罪悪感と一種の達成感があるだけだった。殺しそこねた人間ほど厄介なものはない。必死に抗い、爪だろうと歯だろうと抵抗できる武器がある限り決して生命いのちを諦めない。それが俺には理解できなかった。


 エイフラムは、眼前の包帯を巻いた女に掌を触られながら、ふとそう思った。


 女の声は震えていた。寒気からくる震えだろうか? 耳を聾する風の音は洞穴の内部で幾重にも増幅され、醜い獣の断末魔に似ていた。


 一つの優しい灯りだけが頼りだった。


 もし、人を憎むことが人を愛する事と等価だったら? 戦場にきては傭兵に説教を垂れる神父が喋っていたことを思い出す。

  

 「……所詮俺もひとの子か」

 ぽつり、本音が溢れる。義兄の剣たらんとして己の生命全てを捧げる覚悟だった自分――余計な考えは身を滅ぼす。そう言い聞かせてきた。


 「貴殿には俺がどうみえる?」改まった口調でエイフラムがきく。

 

 「えっ」と微かに戸惑いの色を隠せない女。


  「どういう意味ですか?」


 「言葉通りだ。俺は今まで人を殺しすぎた。それを後悔はしてない。しかし、今更マトモな人間の道にも戻れない事だって覚悟はしている。その上で聞きたい。俺がどう見える? 血に飢えたケモノにみえるか? それとも………ふっ、あはははは」


 いつになく饒舌なエイフラム。そして、突然笑いだしたエイフラム。それはまるで緊張の糸が初めて切れるようだった。

 

 「……こんなことを他人に聞いているようでは、俺も大した人間ではない」


 ひとしきり笑い終えて、


 「先程のことは戯言だ。忘れてくれ。……それより、まだ貴殿の名前を聞いてない。教えてくれ」

 

 女はキョトン、とした雰囲気だったが何かを観念したように肩をすくめた。

 

 「わたしは、ニナ」


 「……ニナ。このたびは介抱して頂き助かった。感謝する」


 無口だと思っていた青年がこの洞穴ではよく喋る。この青年の他の側面を見てみたいとニナは密かにおもった。


 エイフラムはチラと、薄明かりに照らされる壁面を盗み見た。


 (この洞穴の絵は殺人者の弾劾を示している! 俺が死ねば必ず地獄道にゆくだろう。俺がいままで殺めてきた亡者の髑髏が俺の背中の影に付きまとっているみたいだ!!)


 凄みを帯びた眼と表情には脂汗が無数に流れている。己の人生は剣であり、修羅道である。余人の倍の苦痛を享受せねばならぬ。


 誰かに救いを求めたいのか? 誰かに癒されたいのか? 無駄だ!


 俺の肉体も生命も全て、義兄に捧げたのだ。


 「……俺はこの山に登る修験者にはなれそうにない」皮肉っぽい口調でいった。


 ニナは軽く笑った。


 「ええ、もう修験者以上に過酷なことをやり遂げておりますからね」


 決まり悪く、エイフラムは押し黙った。

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