1
ちゃぽん、という水音がする。温かな温度が全身を包んでいるようだった。
私――皆川真希は目が醒めた。深く溷濁した眠りの中から甦った意識で、呆けたように周りに視線を彷徨わせる。
小首を傾げ、
「……ここ、どこ?」
乾いた脣で、私はゆっくりと呟いた。体中が痛くて、指と足の先っぽまで鉛が詰められた様に重たい。
ええっと、私はさっきまで何をしてたんだっけ?
鋭い刺激を感じながら、首を左右に動かしてみる。柔らかな湯気が目前を霞ませた。
アチコチ痛む体を微動させ、姿勢を変えながら再び目を閉じる。……確か、そうだ。あの巨漢の殺人鬼と対峙した記憶。それから、……ええっと、それから、
「あイテテ」
肩先を少し動かすだけで痛む。傷口に直接お湯が染みるみたいだ。――ん?
私は目をもう一度開き、自身の体を眺める。生まれたばかりの姿で、欧米風のオシャレな白磁色のバスタブに浸かっている、私。
「えっ、なんで裸?」
焦った私は、湯船から立ち上がろうとしたが膝小僧から太腿にかけて激痛がはしり、足に入れた力を諦めた。
諦めたまま、天井に頭を上げる。
はぁ~、と思い切り肩から息を吐き出す。
(そもそも、どうしてこうなったんだろう?)
やや首を傾げて知恵を絞る。
「う~ん、うぅ~ん?」
が、いくら頭をひねっても、以前の記憶と現在の状況が結びつかない。仕方なく頭を元の位置に戻してお湯を掬い顔を洗う。しかし、こんなことで現状は変わらない。今度は洗って冴えた意識と視界で周辺を捉える。
バスタブの周りを薄い紗が天井から囲んでいる。蝋燭の淡い灯りが幾つも揺らいでいた。……それに、いい匂いがする。芳香剤にも似ているけれど違う。もっと、優しい香り。
(なんだっけ、この匂い――すごく落ち着くのに、懐かしい)
傷だらけの指を動かして髪を触る。血反吐のこびりついた髪の毛にバリバリと汚い汚れが貼り付いたままだ。しかも、キューティクルなんて皆無の髪質。あの、巨漢にひっ掴まれ髪だが、よくもまぁごっそり毛が抜けていないものだなぁ、と妙なところで関心した。
と、突然ガチャリという扉の開いて軋む音色がした。
「――えっ、だれ?」
全裸の羞恥心から私は思わず言葉を発した。そしてすぐに後悔した。もし、敵か強姦目的の人間であれば、私の意識が回復した事に不都合を感じるだろう。
(ええっと、どうしよう……)
手近な場所に武器がないか腕を伸ばすが、「いってて」と強烈な痛みで上体を丸める。
扉を開いた主は、静かな足音で紗幕を抜けて私のもとまで走り寄った。
「……大丈夫ですか?」
黒いローブと深くかぶり素顔の隠れたフードの奥から女性の涼やかで優しい声音が洩れる。それから、バスタブの辺りで跪くと、おもむろに私の濡れた右腕を掴んでアチコチを白い優雅な指先で触診する。「本当に大丈夫ですか?」真剣な口調で私に訊ねる。
「えっ、あ、はい」戸惑いながら私は思わず返事をした。
その若い声の女性は小声で囁くように「良かったぁ」と言った。まるで、旧知の間柄のような反応。
私はようやくひいた痛みから安堵しながら、現状の純粋な疑問を口にする。
「あの、あなたは誰でここはどこですか?」
ローブの女性は少し考え込んだ様子だったが、やがてなにか決心したように軽く咳払いした。
「わたしは、風の魔術師。それから、ここは山賊団のアジト。かつて、森の盗賊と名乗っていた連中の本拠地。現在は、盗賊連合の持ち物」
『森の盗賊』その単語を訊いた瞬間、私の心臓が凍った。ついで、全身の血液が沸きたつ様な錯覚がきた。
……かつて、《黒馬の民》の砦を滅茶苦茶にした連中。
……かつて、私の大切な人達を奪い去った連中。
全部、全部、ぜんぶ、ぜんぶ、この連中が私達を滅茶苦茶にしたんだ!!
胃の腑がひっくり返りそうな気さえした。烈しい殺意の衝動が、痛む体の底からでも湧いてくる。
「……あなたもその手先? 仲間? 許さないッ!!」
私は右腕を払い、風の魔術師と名乗る女の指を解いた。床や壁に水滴が飛び散った。
「触らないでッ!」強く怒鳴った。
荒くなった呼吸を少し整え、それから私は込めれるだけの憎悪を視線に宿し、ひたすら睨む。
けれど、
「……真希さん、話しを聞いてください」
風の魔術師は高ぶる私をそう諭しながら語りかける。
なぜ私の名前を知っているの……? なんていう簡単な疑問は短絡的な私の頭にはすぐに浮かばなかった。
それに、不思議だった。さっきまで恨みの氷で固まった背骨と筋肉が弛緩してゆくように力が抜けていく。俗にウィスパーボイスと言うのだろうか? 怒りで震えていた喉も、今は穏やかになっている。
まるで魔法にかかったみたいだ。
戸惑いながらも落ち着いた私の様子をフードの奥から見ているのだろう。
そんな余裕な態度に思わず、
「……フードくらいとれば?」
精一杯の反抗の如く、私は嫌味ったらしく挑発した。相手のペースに乗ってしまうのが癪だった。情けない私の唯一の意地だった。
その言葉に一瞬呆気にとられていた彼女はやがて何度も頷き、
「ええ、そうですね」
フードを軽く払って素顔を現した。




