踏み出した一歩で足跡は付き辛い
……あの頃みたいに1人でいる。なにも考えなくて済む。だけど……
「知亜くーん。」
明美の声が、どこか遠くから聞こえてきた。
「何ですかー?」
知亜は、部屋から出て大きい声で返事をした。すると、居間から手が伸びてきてこいこいと指先が動いていた。
「どうしたんですか、明美さん?」
「あのね、これからお出かけするから知亜君にも一緒に来てほしいんだ。」
明美は両手で知亜に服を渡して、出かける事を伝えた。
「この服を着るんですか?」
「だって、知亜君昨日からずっとその服じゃない?ちょっと汚れも目立つし、せっかく知亜君はいい顔してるんだから、渡した服に着替えてかっこよくなりましょう。」
知亜の恰好は、確かに昨日から変わっていない。今、知亜が着ている服は、以前お世話になった新井家の春子が用意してくれた、どちらかというと女の子が好きそうな絵柄がプリントされた赤いTシャツと、どこか安いお店で買ってきたと思われる黒のスポーツパンツ姿だ。
そんな知亜の恰好を見て、明美はこの施設に元からあった知亜に似合いそうな服を持ってきたのだ。
「でも、この服新品みたいにきれいですよ。いいんですか?」
「うん……もうその服を着てくれる子は知亜君しかいないから。」
明美は寂しそうに、悲しそうにそう言った。
「……あの、何かあったんですか?」
「子どもの知亜くんは、気にしなくていいの。」
「でっでも……」
明美は、話を打ち切るように知亜の背中を押して居間から追い出した。知亜は、納得できないまま部屋へと戻り着替え始めた。
「……知亜君は、まだ知らなくていいんだよ。」
明美は、知亜の居なくなった居間でつぶやいていた。そして、誰かの部屋へと向かった。
「……涼。」
ある部屋の前で、明美は知らない人間の名前を言っていた。明美が向かった部屋は、明美と耶絵の部屋だった。明美は、そのまま自分の部屋に入っていった。その部屋は、耶絵の洋服と明美の洋服が収納された箪笥と耶絵のおもちゃ箱があった。
そして……知らない男の子の笑顔の写真が中央に飾られた仏壇が置かれていた。
明美は、その仏壇の前に正座して、鈴≪りん≫と呼ばれる仏具を鳴らした後両手を合わせて、写真の男の子に話しかけるように話し始めた。
「あのね、涼。おととい、警察から連絡があったの。
「小学2年生の男の子を預かってくれないかって。
「最初はね、涼のこと思い出しちゃうから断ろうと思ったの。
「だけど、涼と同じ2年生って聞いちゃって。同情っていうのかな?
「そんな気持ちになっちゃって、受け入れちゃったの。
「……無責任に引き受けた、って男の子が来るまで後悔してたの。
「だけどね、その男の子が来て思ったんだ。
「……やっぱり、涼の代わりにはならないって。
「酷いお母さんでしょ。だけど、涼は私の初めてできた子。
「そんな子の代わりになれる人間なんてっ……
「だけどね、私も一応大人だから。責任は取るよ。
「確かに、男の子1人引き取るだけでどれくらいのお金が必要なのかって。
「だけど、涼につかうはずだった積立金があってね。
「涼の為のお金をこの子に使って、少しでも新しく来た男の子の役に立てたいって思ったの。
「……やっぱり、どこかで涼の姿をその男の子に重ねちゃってたんだ。
「あっ、その男の子はね知亜君っていうの。
「涼はやんちゃだったけど、知亜君は大人しい子でね。
「涼とは正反対の子だなって。
「……だけど、涼と同じでお手伝いをしてくれるの。
「私ね、涼がお手伝いするって言って私のところに来てくれる時が一番嬉しかったの。
「2人でよくお皿洗ったよね。お布団干したよね。手を繋いでお買いものっ……
「……ごめんね、お母さん涼が居なくなっちゃってから涙もろいの。
「えっと、それでね、今から知亜君とお出かけしてくるの。
「涼に買ってきて、一度も着ないまま箪笥に仕舞った服、知亜君に貸しちゃった。
「いいよね、貸してあげても。
「……ねぇ、涼。お母さんね、頑張ってるよ。だから、見ててねっ。」
明美は、泣きながら涼という男の子に話しかけていた。そして遠くから、明美さーん着替え終わりましたー、という声を聞いて、涙をぬぐいまたねと告げて部屋から立ち去った。
涼という少年は、明美の大切な人だったに違いない。
この服、新品だよね。どうして、僕のサイズぴったりの服があるんだろう?




