8月23日(日)
8月23日(日)天気 くもり
午前中に鈴虫の怪異に歌を聞いてほしいと頼まれました。ちょうど今日は家族で夜レストランに出かけたので、帰り道に歌を聞かせてもらいました。とても綺麗でした。
「飛翠、今日夜3人でレストラン行くから。」
朝ごはんを食べ終えて、お母さんが言った。
「わーい! 何食べるの?」
「ハンバーグのところでいい?」
「やったー!」
レストランは久しぶりに行く。近所のハンバーグレストランのハンバーグは肉の味が強くて飛翠も大好きだった。
心の中でハンバーグ!ハンバーグ!と唱えながら、玄関を出る。
「おや、随分機嫌がいいね。いいことがあったのかい?」
「天さん! おはようございます。今日の夜ハンバーグレストランに行くんだ。」
「もしかして近くの?」
「うん! 天さんも知ってるの?」
「あそこの近くは空気が肉の空気になっているからね。私は近寄りがたいのだけど。」
「近寄りがたい?」
何かあるのだろうかと考え、ふと天さんの見た目に目が向く。天さんの体は煙のような気体でできているが、その形は巨大な鳥だ。鳥としては肉を焼いている場所に近寄りたくないのかもしれない。
しかし、天さんは飛翠の考えを見透かした上でそれは違うと否定した。
「別に私は鳥の怪異ではないからね。空気が肉の空気だと言っただろう。肉の焼いた匂いを人が嗅ぐと、みんな肉を食べることばかり考える。そうすると、近くに怪異がいても気がついてもらえないんだよ。無視ほど怪異にとって辛いことはないからね。」
人に認識されて姿を保つ怪異にとって無視されることは耐えがたいようだ。
確かに、あのハンバーグレストランの近くを通るとハンバーグを食べることばかり考えてしまう。
「それはそうと、今日は夜に出かけるってことだね。それならちょうどよかった。」
天さんが話を切り替えた。
「ちょうど良い? 夜に会える怪異とか?」
「察しが良くて助かるよ。ほら。」
天さんが翼で指し示した先に、手のひら大の、それでも普通の虫より大きな虫がいた。かっこいいスーツに蝶ネクタイをつけていた。
「おはようございます、お嬢さん。わたくしは鈴虫の怪異でございます。」
鈴虫の怪異は丁寧に挨拶してきた。飛翠は鈴虫という虫を音でしか知らなかったため、こんな見た目だったのかと目を丸くした。確かに声は綺麗だった。
「おはようございます。鈴虫の怪異さん。私は中川飛翠です。鈴虫さんとお呼びしてもよろしいでしょうか。」
「ありがとうございます。今回わたくしが貴方様の元に参りましたのは、わたくしどもの合唱をお聞きいただきたく思ったためです。以前、セミたちの合唱をお聴きになられたそうですね。」
確かに、以前公園でセミの怪異たちの合唱を聴いた。あの合唱は素晴らしかった。
鈴虫の怪異はセミの怪異と交流があるようだ。セミの怪異から人間の飛翠に合唱を聴いてもらったという話を聞き、今度は鈴虫の合唱を聞いてもらいたいとのことだった。
「今夜はあのレストランに向かわれるそうですね。その道の途中で夜に貴方様方が通られる際に合唱を披露させていただきます。」
「良いんですか? ぜひ聞かせてください!」
飛翠の返事に鈴虫さんは喜んだようだ。それではまた夜にと言って去っていった。
「今夜が楽しみ! また思い出が増えるなあ。」
「忘れられない思い出、だったかな。増えているなら何よりだ。」
「うん。天さんのおかげだね。ありがとうございます。」
「いや、こちらこそ。忘れないでもらえるなら何よりだからね。夜、楽しんでおいで。」
飛翠は一旦家に帰る。
夕方、お父さんとお母さんとレストランに向かった。
久しぶりに食べるレストランのハンバーグはものすごく美味しかった。家で食べるお母さんのハンバーグも美味しいが、レストランのハンバーグは違う美味しさがあった。
「ごちそうさまでした! 美味しかった!」
「よかったね。それじゃあもう帰ろうか。」
お母さんとお父さんが準備をして外に出る。
外はもう暗くなっていた。
3人で一緒に帰っていると、鈴虫の声が聞こえだす。
(きた!)
それはその名のごとく鈴を転がすような美しい声だった。だんだんと声が重なり、ハーモニーが奏でられる。夜に似つかわしい静かでキラキラした音楽だった。
お父さんとお母さんも鈴虫の声に耳を傾けていた。
「夏が終わってきたね。」
「それにしても、今日の鈴虫、なんだか音楽っぽいな。」
飛翠は鈴虫の合唱を堪能する。最後の音が鳴り響き、余韻に浸ると鈴虫さんが近くで声をかけてきた。
「ご清聴ありがとうございました。いかがでしたでしょうか。」
鈴虫さんの声は小さかったようで、お父さんとお母さんは気がついていないようだ。
飛翠は小さな声で答える。
「とっても素敵な合唱でした。夜の空気にあっていて、美しいって言葉がとっても似合う音楽でした。」
「そう言っていただけて嬉しいかぎりです。本日はありがとうございました。」
そう言って鈴虫さんは去っていった。あとには数匹の鈴虫が、いつもの夜に聞こえる鳴き声を鳴らしていた。
「飛翠? どうかしたの?」
飛翠がその場に立って動かなかったので、お母さんが気になったようだ。
「ううん。鈴虫の声、綺麗だなって思ったの。」
夏の終わりが近づいていた。




