暴食の魔女 ③
スアラ・スレアレルは小さな妖精のような魔女である。本人曰く、大きさも形も自由自在に変える事が出来るらしいが、アルの中に住み着くのには、今のサイズが良いらしい。
ただ、サイズを変更してまで中に住み着く必要はまったくないように思う。
なぜなら魔女とは、烙印を通して繋がりが構築された瞬間、例え世界の裏側にいようとも一瞬で現れる事ができるからだ。
その証拠にカラリアは、僕が色を得るまでまったく異なった場所にいる。
『クソボケが。必要に決まっておるじゃろ』
「Why?」
なぜ?
『顔と同じ大きさのプリンに齧りつく。それ程有意義な事はないからじゃ』
「有意義なのは分かるが…」
納得はできない。
『阿呆には見せねば分からぬか。よく見ておれ』
コーヒーカップのふちにちょこんと座っていたスアラは嘆息し、残されていたホットケーキに飛び乗った。コーヒーカップの精霊から、ホットケーキの精霊にジョブチェンジしたといった所だろうか。この魔女はいちいち可愛らしかった。
「独り言が激しく気持ちの悪いジェミニス様。お嬢様がおねむのようですので、ベッドに運びますね」
「気持ち悪い言うな」
「事実ですから」
ナイフとフォークを手にしたまま、こくこくと船を漕ぎ始めたアルをメルルは抱き抱え、ベッドに運んだ。そして、アルをベッドに寝かせたメルルは、アルと同じように隣で横になり布団を被った。耳を澄ませば、寝息まで聞こえてきそうな雰囲気である。
大切なお嬢様から声を奪った魔女と対話している最中に眠るとかマですか?
僕はメルルというメイドの事が、まったくもって分からなかった。
『どうじゃ?足らぬ頭で理解したか?』
「え?何が?」
『何がって、見れば分かるじゃろ』
「見てなかった」
僕が見ていたのは、アルとメルルの寝顔だった。
アルの寝顔は当然可愛いとして、悔しいがメルルの寝顔も、見惚れてしまうくらい綺麗なのである。
スアラも可愛らしいのだが、右目と左目でチャンネルを変えられない僕の眼中にスアラはなかった。
今の時代、皮が良いだけではもう見られないのである。
『糞人間が。わたくし様は見ておれと言ったのだから、きちんと見ておれボケカスが!』
凄んでくるものの、やはり全然怖くはなかった。
「次は見る」
『ちっ。では、改めてよく見ておけ糞人間』
スアラは不機嫌を隠す事なく舌打ちした後、再びホットケーキに齧り付いた。
スアラに齧られたホットケーキが、みるみる内に無くなっていく。なんて事はなく、スアラはホットケーキの上を這っているだけだった。
後ろ姿は動きのせいもあって、芋虫みたいで気持ち悪かった。
「きもっ」
なので、素直な感想が口から飛び出るのも仕方ない。
『おい。今の言葉、まさかわたくし様に言ったのではあるまいな?』
「まさか、それはない」
スアラからの眼差しに僕は頭を振った。
魔女の機嫌を損ねて良い事は何一つない。嘘も方便である。
『…まぁよい』
ホットケーキの頂上に座りながら、良くない感じでスアラは睨んできたものの、理不尽をふるわない分、寛大ではあるようだ。話が通じなさそうな見た目とは裏腹に、一番話が通じるタイプなのかもしれない。
で、今の気持ちの悪い芋虫ごっこは、一体何のデモンストレーションだったのだろう…。
分からん。
『なんであれ、理解したじゃろ?これがわたくし様が小娘の中に住み着いておる理由じゃ』
「えっ?あっ、うん。まぁ…」
どうしよう。全然分からん。
『はぁ。それにしても腹が減ったのじゃ。ぺこぺこりーたなのじゃ』
「あれだけ食べて足りないと?」
アルが食べたホットケーキは全部で7枚。7枚のホットケーキの前にも十分過ぎる量の昼食も朝食も食べている。
糖尿病まっしぐらのデブですら満足して逝くレベルのラインナップで足りないとか、魔女は本当に欲深い。
『足りん。全く足りん。おい。糞人間。小娘を今すぐ起こして来い。見せた通り、肥はわたくし様単体では享受する事ができぬからな。魔女とは誠、不便な存在じゃ』
ホットケーキに飾り付けられた生クリームを、人差し指ですくう素振りをスアラは見せたが、生クリームがスアラの指に付く事はなかった。
ホットケーキの上を芋虫の如く這いずり回っていたのは、食べたくても食べられない事をアピールしていたのか。
ようやく合点がいったと、僕は思わず手を叩いた。
「アルを通さないと、肥を享受できない事は分かった。でも、アルに返して欲しいコエは、蓄える方じゃなくて出す方だ。そっちは返せ」
『無理じゃな。声という繋がりを経て、わたくし様は初めて肥を享受する事が出来るのじゃ。そんな事は魔男見習いのお前如きでも知っておるじゃろ。ボケカスが』
「違う可能性も考慮して一応聞いてみただけだ。後、魔男見習いはやめろ」
何度も言うが、僕はそんなものを見習いたくはない。
『わたくし様に命令するな。糞人間。ぶっ殺すぞ』
スアラは中指を立てて威嚇してくる。
本当に何も怖くない。でも、なんか少し腹が立つ。
僕は腹が立つという本能に従うまま、パチンと中指で額を叩いた。いわゆるデコピンというやつだ。
『はぅっ、痛いのじゃ』
思いの外クリティカルヒットしてしまった為、スアラは顔を仰け反らせた後、その場に蹲った。
これは、少しマズイかもしれない。
主に僕の命が…。
首付近に黒い靄が浮かびあがり、靄の中から死神が使う鎌が姿を現す。
鎌は明らかに僕を殺すように動いたか、黒い靄が寸前の所で鎌を静止させた。
『大丈夫?お兄ちゃん?』
「ありがとう助かった」
本当に。危うく死ぬ所だった。
『糞のボケカス人間が。わたくし様を傷物にしやがて。次は殺す。魔女ごと殺す』
「怖っ」
うん。今回ばかりは結構怖い。
魔女は怒らせてはならないと。僕は再認識した。




