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暴食の魔女

蜂蜜とバターの甘い香りが部屋に充満していた。


香りに誘われるように視線を動かすと、アルがナイフとフォークで皿を鳴らしながら、分厚いホットケーキを切り分けている所だった。


「ジェミニス様が気持ち悪くなっている時に、お嬢様のお腹が鳴ったので用意しました。…あっ、今の言葉は矛盾ですね。ジェミニス様がより気持ち悪くなった時にと訂正し、謹んでお詫び申し上げます」


メルルは申し訳なさそうに頭を下げた。

何処の何が矛盾なのか、ジェミニスにはサッパリ分からなかった。


「ジェミニス様が気持ち悪い時にお嬢様のお腹が鳴るのであれば、お嬢様は24時間お腹を鳴らす異音少女になってしまいます。あきらかな矛盾をはらんだ情報をこれ見よがしに披露してしまえば、多くの者に叩かれてしまうのは自明の理。改めて申し訳ございません」


「酷い」

「はい。危うく間違った情報を伝える酷い女になる所でした」

「僕は24時間気持ち悪いわけじゃないぞ」


2、3時間くらい気持ち悪い時間がある事はこの際認めよう。だが断じて24時間営業はしていない。


僕は訂正の訂正を求めた。


「ふっ」

そしたら鼻で笑われた。

蔑んだ目といい、ゾクリとするからやめて欲しい。

勿論、怖いから、だ。


僕は乾いた唇を舐めた。


にしても、アルはよく食べる。


バターにハチミツといったオーソドックスな一枚だけでなく、山盛りのフルーツの上にメープルシロップが掛けられたものや、大量の生クリームが渦を巻いているものがテーブルには並べられていた。


一つのホットケーキだけで胸やけを起こしなそうなレベルなのに、それが三つ。しかも三段重ね。


見ただけで少し気持ち悪くなる。


今は3時のおやつタイムかもしれないが、昼食を食べ終えたのはついさっきの事であり、見ただけで胸やけを起こすくらい、胃の中には色々と残っていた。


というか、アルは一体どんな胃袋をしてるんだ?朝も昼もアルは僕の倍以上料理を食べていたし、今も着々とホットケーキが胃の中に消えていっている。


うんこに行った素振りもないのに、この小さな体の何処に収まっているのだろうか。


「ホットケーキではなく、お嬢様をおやつとして食べたいなどと、考えてはいませんよね?汚らわしい」

「滅茶苦茶食べるなと思っただけで、それ以上の事は考えないぞ糞メイド」


汚らわしいが口癖のメルルに、僕は糞の称号を与える事にした。 この女の思考は糞のように汚らわしいし、何よりこれは、24時間気持ち悪いと言われた意趣返しでもある。


「どうやらジェミニス様はニッチなジャンルがお好みのようです。これではうかうかトイレにも行けません」

「メルルさんは糞ではなく、凄いメイドと訂正させて頂きます」


掃除も料理も出来て凄い。


「最初からそう言えば、無駄に性癖を開示する事もありませんでしたね」

「…アルにあれだけ食べさせて、メイドとして主人の体調管理は大切じゃないのか?」


口でこの糞メイド、いや、凄いメイドに勝てるビジョンがまったく見えなかった僕は、姑がするチクチク言葉のような方法でメルルを責める事にした。


メルルさん。ここに埃が積もってましてよ。

といった具合である。僕も中々に性格が悪い。


「お嬢様はいくら食べても太らない体質ですので、問題ありません」

「確かに、太くはない」


最初に抱き上げた時は軽い位だったし、かぼちゃパンツ一枚になった時もお腹が出ているという事もなかった。生まれた頃から贅沢をしていると、そういう体になるという事だろうか。  


食べたら食べた分だけ太る僕には、今一ピンと来ない。僕の場合は生命維持の為でもあるけど。


人体って凄い。


「何もせずとも体形を維持できる。まったく羨ましい限りです」

「体形とか、メルルもそんな事を気にするんだな」


意外である。


「メイドが細すぎれば没落を疑われ、太すぎれば教育が行き届いていないとバカにされる。存外、メイドというものは気を遣う職業なのです」


「なるほど」


得心である。  


「お嬢様のように太らないのは、メイドであれば誰もが羨む体質という事になります」

「でも、あれだけ食べたら流石に太るだろ」


「普通はそうですしそうでしたが、お嬢様はある日を境に劇痩せしました。旦那様や奥様に、きちんと食べているのかと心配される程。丁度声を失った時期と重なるので、二人の心配はひとしおでした」

「それじゃん」  


僕は思わず大声を出した。

魔女との繋がりは、明らかにそれだ。


魔女はアルの声以外にも肥を奪った。


アルはあげたと言っていたけど、もしかするとアルがあげたと考えているのは、声ではなく肥の方だったのかもしれない。言葉の妙というヤツだ。


「つまりお嬢様は今まさに、魔女と繋がっているという事でしょうか?」

「可能性は十分考えられる」


色欲の魔女が色に反応して現れるように、傲慢の魔女がプライドをへし折りに現れるように、暴食の魔女が肥を食らいに現れる可能性は高い。

いや、もしかすると既に現れている可能性すらある。


「視えますか?」

「いや、全然」


アルを食い入るように見つめてみたが、魔女の姿は何処にも確認する事は出来なかった。魔女の姿や烙印が見えるといっても、僕の目は布一枚で何も視えなくなる位、万能ではない。


魔女のすべてを布一枚で隠せるとは思えないものの、視えないという事は、何かに隠れている可能性は高かった。


例えば腹の中であれば、目視する事は不可能になる。  


【そんなに見てもあげないよ】

「いらないから大丈夫」


【…】


疑いの眼差し。


「【…】を便利に使うな。本当に欲しいなんて、思ってないんだからな」


寧ろ欲しそうな口調になったな。と思いながらも今回ばかりは本当にいらない。そもそも僕は甘い物がそんなに好きではないのだ。


「貧乏極まった顔をしていますね。新しく焼きましょうか?」

「いらないから」


極まる程、物欲しそうな顔をしているのか?と思いながらも断りを入れつつ、僕は魔女がアルの中にいると仮定した場合、どうすれば引き摺り出せるかを考えた。


ホットケーキに毒、もしくは異物を混入させて吐き出させるのはどうだろうか?


却下。アルが苦しむ。


カラリアを使って、アルの中を探らせてみるのはどうだろうか?


却下。魔女を便利に使うなんて事は、余程利害が一致しない限り不可能であり、無駄にアルを苦しませる事にもなりかねない。


アルが開けた口を、頑張って覗き込むのはどうだろうか?  


受理。口が空いている時に中を覗き込む事て、魔女が視える可能性もあるかもしれない。試す価値は十分あった。


「アル。今からお医者さんごっこをしよう」

【‼】


「違う。歯医者さんごっこだぞ。おとはを聞き間違えるのはNOだ」


言い間違えるのもNOだ。まぁ、歯医者もお医者だし、いかがわしさに、そこまで差はない気もするけど。いや、大差ある。今から行う事は、けして下心のない健全で安全な医療行為なのだから。そう、これは健全で、真っ当な医療行為。汚らわしさなど、一ミリも入り込めない位には健全なのだ‼


健全を歌えば歌う程、健全さが消えていくのはなぜだろか。


これも言葉の妙である。


【…】

「安心して下さいお嬢様。ジェミニス様が何かをするようでしたら、私がジェミニス様の目玉にフォークを突き刺し、喉元をナイフで掻き切りますので」


恐怖するアルにメルルは、ナイフとフォークをカチカチと鳴らしながら微笑んだ。


食べちゃうぞ♡(物理)である。

怖い。


「腐っているので即廃棄です。汚らわしい」

「酷い」


少しは食べて。


「お嬢様。私のホットケーキをあげますね。はいアーン」

【あーん】


僕が歯医者さんごっこをする前に、メルルはアルにホットケーキを食べさせた。

僕に対して、聞こえない悲鳴をあげたくせに、メルルにはなんの抵抗もなさそうだ。


悲しい。


「おいしいですか」

【あまうま】

「では、次は口を開けたままでいて下さいね」

【あーん】


アルが口を開け、メルルが一口サイズのホットケーキをアルの口に運ぶ。


アルがそのまま口を閉じずにいると、フォークに乗ったホットケーキに小さな何かが齧り付いた。


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